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2012年09月18日

10分でわかる「平家物語」巻八「山門御幸」(後白河法皇が都に戻り、それとともに木曾義仲が都に入る)


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同廿八日に、法皇都へ還御なる。木曾五万余騎にて守護し奉る。近江源氏山本の冠者義高、白旗さひて先陣に供奉す。この廿余年見えざりつる白旗の、けふはじめて都へいる、めづらしかりし事どもなり。さるほどに十郎蔵人行家、宇治橋をわたッて都へいる。陸奥新判官義康が子、矢田判官代義清、大江山をへて上洛す。摂津国・河内の源氏ども、雲霞のごとくにおなじく都へ乱れいる。凡そ京中には源氏の勢みちみちたり。勘解由小路の中納言経房卿・検非違使別当左衛門督実家、院の殿上の簀子に候ひて、義仲・行家をめす。木曾は赤地の錦の直垂に、唐綾威の鎧きて、いか物づくりの太刀をはき、切斑の矢負ひ、滋籐の弓脇にはさみ、甲をばぬぎ、たかひもにかけてさぶらふ。十郎蔵人は、紺地の錦の直垂に、火おどしの鎧きて、こがねづくりの太刀をはき、大なか黒の矢を負ひ、塗籠籐の弓、脇にはさみ、是も甲をばぬぎたかひもにかけ、ひざまづゐてさぶらひけり。

前内大臣宗盛公以下、平家の一族追討すべきよし仰せ下さる。両人、庭上に畏ッて承る。各々、宿所のなきよしを申す。木曾は大膳大夫業忠が宿所、六条西洞院を給はる。十郎蔵人は法住寺殿の南殿と申す萓の御所をぞ給はりける。法皇は主上外戚の平家にとらはれさせ給て、西海の浪の上にただよはせ給ふ事を、御なげきあッて、主上ならびに三種神器、都へ返しいれ奉るべき由、西国へ院宣を下されたりけれども、平家もちゐ奉らず。

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〈現代語訳〉


同じく寿永二年七月二十八日に、法皇は都にお戻りになる。木曾義仲が五万騎で法皇をお守り申し上げた。近江源氏の山本の冠者義高(よしたか)が、白旗をかざして先陣に立っておともした。この二十年余り見る事のなかった源氏の白旗が、今日はじめて都に入る、珍しい事である。そのうちに源行家が宇治橋を渡って都に入る。陸奥(みちのくの)新判官(しんほうがん)義康(よしやす)の子である、矢田判官代(やたのほうがんだい)義清(よしきよ)が、大江山を超えて都に入る。摂津国(つのくに)・河内(かわち)の源氏たちもたくさんあつまって同じように都に乱入する。およそ都中に源氏の軍勢が満ち満ちていた。勘解由小路(かでのこうじ)の中納言経房卿(つねふさのきょう)と、検非違使(けびいしの)別当左衛門督(べっとうさえもんのかみ)実家(さねいえ)が院の御所の殿上の間にお控えして、義仲と行家をお呼びになる。義仲は赤い地の錦のひたたれに、中国伝来の綾の模様の鎧を着て、金銀で飾ったいかめしい太刀を身につけ、鷹の尾の白い羽に黒が入った矢を背負い、黒地に白を巻いた弓を脇に挟んで、かぶとを脱いで、鎧のたかひもにかけてお控えする。行家は紺の地のひたたれに、明るい朱色の革で綴り合わせた鎧を着て、黄金で飾った太刀を身につけ上下が白く中央の黒い羽根の矢を背負って、とうを巻いて漆で塗り込めた弓を脇に挟んで、行家もかぶとを脱いで鎧のたかひもにかけ、ひざまづいてお控えした。

法皇は「前の内大臣平宗盛以下、平家一門を討て」との旨のご命令を下された。義仲と行家は庭先にかしこまってこれを承った。二人とも、都で泊まる所が無いとのむねを申し上げる。義仲は大膳大夫業忠(なりただ)の宿所である六条西洞院(ろくじょうにしのとういん)を頂いた。行家は法住寺殿の南殿という萓(かや)の御所を頂いた。法皇は、安徳天皇が外戚である平家にとらわれなさって、西の海の波の上を漂いなさることを嘆きなさって、安徳天皇ならびに三種の神器を都へ返しいれるべきとの旨、西国へ院宣を下されたが、平家はこれに従わなかった。


posted by manabiyah at 12:56| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする