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2012年09月18日

10分でわかる「平家物語」巻八「名虎」(都落ちした平家が九州に上陸、都では後鳥羽天皇が即位)


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同八月十日、院の殿上にて除目おこなはる。木曾は左馬頭になッて、越後国を給はる。其上朝日の将軍といふ院宣を下されけり。十郎蔵人は備後守になる。木曾は越後をきらへば、伊予をたぶ。十郎蔵人備後をきらへば、備前をたぶ。其外源氏十余人、受領・検非違使・靭負尉・兵衛尉になされけり。

同十六日、平家の一門百六十余人が官職をとどめて、殿上の御札をけづらる。其中に平大納言時忠・内蔵頭信基・讃岐中将時実、これ三人はけづられず。それは主上ならびに三種の神器、都へ帰しいれ奉るべきよし、彼の時忠の卿のもとへ、度々院宣を下されけるによッてなり。同八月十七日、平家は筑前国、三笠の郡太宰府にこそ着き給へ。菊池二郎高直は都より平家の御供に候ひけるが、「大津山の関あけて参らせん」とて、肥後国にうちこえて、己が城にひッこもり、召せども召せども参らず。当時は岩戸の少卿大蔵種直ばかりぞ候ひける。九州二島の兵どもやがて参るべき由、領状をば申しながら、いまだ参らず。平家安楽寺へ参ッて、歌よみ連歌して宮づかひ給ひしに、本三位中将重衡卿、

 すみなれしふるき都の恋しさは神もむかしに思ひ知るらん

人々是を聞いてみな涙をながされけり。同廿日法皇の宣命にて、四宮閑院殿にて位につかせ給ふ。摂政はもとの摂政近衛殿かはらせ給はず。頭や蔵人なしおきて、人々退出せられけり。三宮の御めのと泣きかなしみ、後悔すれども甲斐ぞなき。「天に二の日なし、国にふたりの王なし」と申せども、平家の悪行によッてこそ、京・田舎にふたりの王はましましけれ。

平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」


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名虎・鼓判官──横浜ボートシアター
緒環──豊竹呂勢大夫・鶴澤清治
太宰府落──島本須美
征夷将軍院宣──山田純大
猫間──茂山七五三
法住寺合戦──木場勝己
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〈現代語訳〉


同じ寿永二年八月十日、院の殿上で任官が行われた。木曾義仲は左馬頭となって越後の国をいただく。その上、朝日将軍の称号を院宣によってくだされた。源十郎行家は備後の国のかみとなった。義仲が越後をきらったので、伊予の国をお与えになる。行家が備後を嫌ったので、備前をお与えになる。それ以外の源氏十人余りを、受領・検非違使・靭負尉(ゆげのじょう)・兵衛尉(ひょうえのじょう)にしなさった。

同じく八月十六日に、平家は百六十人あまりの官職を停止され、昇殿を許された者の名を書いた札から削除された。中でも平時忠(ときただ)、信基(のぶもと)、時実(ときざね)の三人は削除されなかった。それは安徳天皇ならびに三種の神器を都へ返しいれるべき旨を、その時忠卿のもとへ、たびたび院宣を下されるという事情によってである。同じ寿永二年八月十七日。平家は筑前の国、三笠のこおり、太宰府に着きなさった。菊池次郎高直は都から平家のお供としてお仕えしたが、大津山の関所を開け申し上げましょうといって、肥後の国へと越えていき、自分の城にひきこもって、呼んでも呼んでも参上しない。その時は岩戸の少卿(しょうきょう)、大蔵種直(おおくらのなおたね)だけが平家にお仕え申しあげた。九州と対馬(つしま)・壱岐(いき)の武士たちがすぐに参るべき旨の承諾を申し上げながらまだ参上しない。平家は安楽寺に参って、歌を詠み、連歌をして神前に奉納なさったが、本三位(ほんざんみ)中将、平重衡(たいらのしげひら)は、

「すみなれた 古い都の 恋しさは、神はすでに昔に 思い知っているでしょう」

平家の人々はこの歌を聞いてみな涙を流された。同じく八月二十日、後白河法皇の命によって、第四皇子が閑院殿(かんいんどの)で位にお就きになった。摂政はもとの摂政のまま近衞殿藤原基通(もとみち)が変わらずお努めになった。蔵人頭や蔵人を任命して、人々は退出なされた。第三皇子の乳母は泣き悲しんで後悔したがどうしようもない。「天に二つの太陽はなく、国に二人の王はない」と申すが、平家の悪行によって、都と田舎に二人の王がいらっしゃることとなった。


posted by manabiyah at 13:00| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする