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2012年12月09日

10分でわかる「平家物語」巻九「河原合戦」(宇治川の合戦に敗れたあと、愛する女性のところへ籠る義仲)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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いくさ、やぶれにければ、鎌倉殿へ飛脚をもッて、合戦の次第をしるし申されけるに、鎌倉殿まづ御使に、「佐々木はいかに」と御尋ねありければ、「宇治河のまッさき候ふ」と申す。日記をひらいて御覧ずれば、「宇治河の先陣、佐々木四郎高綱、二陣梶原源太景季」とこそ書かれたれ。宇治・勢田やぶれぬときこえしかば、木曾左馬頭、最後のいとま申さんとて、院の御所六条殿へ馳せ参る。御所には法皇をはじめ参らせて、公卿殿上人、「世は只今うせなんず。いかがせん」とて、手をにぎり、たてぬ願もましまさず。木曾門前まで参りたれども、東国の勢すでに河原まで攻め入たるよし聞えしかば、さいて奏する旨もなくてとッて返す。


六条高倉なるところに、はじめて見そめたる女房のおはしければ、それへうちいり最後のなごり惜しまんとて、とみに出でもやらざりけり。いま参りしたりける越後の中太家光といふものあり。「いかにかうはうちとけてわたらせ給ひ候ぞ。御敵すでに河原まで攻め入りて候ふに、犬死にせさせ給ひなんず」と申しけれども、なほ出でもやらざりければ、「さ候はば、まづ先立ち参らせて、四手の山でこそ待ち参らせ候はめ」とて、腹かき切ッてぞ死にける。木曾殿「われをすすむる自害にこそ」とて、やがてうッたちけり。


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〈現代語訳〉


戦いは義仲の軍勢の敗北となったので、鎌倉の頼朝へ飛脚を送り、合戦の様子を細かく記して報告し申し上げたところ、頼朝はまず使いの者に「佐々木はどうだ」とお尋ねになったので、使いは「宇治川の先陣でございます」と申し上げた。頼朝が戦いの日記を御覧になると、「宇治川の先陣は佐々木四郎高綱、二陣は梶原源太景季」と書かれていた。宇治も勢田も敗れたと伝え聞いたので、義仲は最後においとま申し上げようと、院の御所である六条殿へと参った。御所では法皇をはじめ申し上げて、公卿や殿上人などの貴族が「この世はまさ今終わろうとしている。どうしよう」と手を握って、立てない願がおありでない。義仲は御所の門の前まで参上したが、頼朝方の東国の軍勢がすでに賀茂の河原にまで攻め入ったという旨うわさになったので、これといって法皇にお伝え申し上げることもなく引き返した。


六条高倉というところに義仲が初めてみそめた女房がいらっしゃったので、そちらの女性のところに入って最後の名残を惜しもうとして、すぐには出て来なかった。最近、義仲に仕えるようになった越後の中太家光というものがいる。「どうしてこのように、くつろいでいらっしゃるのですか。敵は既に、賀茂の河原にまで攻め入っておりますのに、これでは犬死になさることになるでしょう。」と(越後の中太家光が)申したが、義仲は依然として出て来なかったので、「そうでございますならば、まず私が先立ち申し上げて死出の山でお待ち申し上げましょう。」と、家光は腹をかき切って死んだ。義仲は「私を奮起させるための自害であるだろう」と言ってすぐに出発した。


posted by manabiyah at 22:16| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする