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2013年01月14日

10分でわかる「平家物語」巻九「木曾最期その4」(木曾義仲が討ち取られ、乳母子今井四郎が自害)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
再生ボタンをクリックして聴くことができます。(各回10分程度)
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繰り返し聴くこともできます。(ページ下に全訳あり。)


今井四郎只一騎、五十騎ばかりが中へかけ入り、あぶみふンばりたちあがり、大音声あげてなのりけるは、「日来は音にもききつらん、今は目にも見給へ。木曾殿の御めのと子、今井の四郎兼平、生年卅三にまかりなる。さるものありとは鎌倉殿までもしろしめされたるらんぞ。兼平うッて見参にいれよ」とて、射のこしたる八すぢの矢を、さしつめ引きつめ、さんざんに射る。死生は知らず、やにわにかたき八騎射おとす。其後打物ぬいてあれに馳せあひ、これに馳せあひ、きッてまはるに、面をあはするものぞなき。分どりあまたしたりけり。只「射とれや」とて、中にとりこめ、雨のふるやうに射けれども、鎧よければうらかかず、あき間を射ねば手もおはず。


木曾殿は只一騎、粟津の松原へかけ給ふが、正月廿一日入相ばかりの事なるに、うす氷は、はッたりけり、ふか田ありとも知らずして、馬をざッとうち入たれば、馬の頭も見えざりけり。あふれどもあふれども、うてどもうてども、はたらかず。今井がゆくゑのおぼつかなさに、ふりあふぎ給へるうち甲を、三浦石田の次郎為久、おッかかッて、よつぴいてひやうふつと射る。いた手なれば、まッかうを馬の頭にあててうつぶし給へる処に、石田が郎等二人落ちあうて、つひに木曾殿の頸をばとッてンげり。太刀のさきにつらぬき、たかくさしあげ、大音声をあげて、「此日ごろ日本国に聞えさせ給ひつる木曾殿をば、三浦の石田の次郎為久がうち奉ッたるぞや」となのりければ、今井四郎いくさしけるが、これを聞き、「いまはたれをかばはむとてかいくさをもすべき。これを見給へ、東国の殿原、日本一の剛の者の自害する手本」とて、太刀のさきを口にふくみ、馬よりさかさまにとび落ち、つらぬかッてぞ、うせにける。さてこそ粟津のいくさはなかりけれ。


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」
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〈現代語訳〉


今井四郎はただ一騎で、50騎ほどの敵の中にかけいって、あぶみをふんばってたちあがって、大きな声をあげて名乗ったことには、「つねひごろ、きっとうわさにも聞いているだろう。今はその目で見なさるがよい。我こそは木曾殿のめのとご、今井四郎兼平、生年33年になる。そのような者がいると頼朝殿までもご存じでいるだろうよ。私、兼平を討ち取って、頼朝殿にお目にかけよ。」と、兼平は射のこした8本の矢を、つぎつぎにつがえて素早くさんざんに射った。生死は知れないが、すぐに敵を八騎射落とした。その後、刀を抜いてあちらに馳せあい、こちらに馳せあって、切って回るが、面と向かって相手になるものもいない。敵の首をたくさん討ち取った。敵はただ「今井を射とれ」と、内側へ取り囲んで、雨の降るように矢をうったが、今井の鎧は頑丈で矢が裏まで通らず、すき間を狙って射ない限り今井は傷を負わない。


義仲はただ一騎で、粟津の松原へとかけていきなさったが、1月21日の夕暮れ時のことであった上に、うすい氷がはっていて、深い田んぼがあるとも知らずに、馬をざっとかけ入れたので、馬の頭も見えなかった。馬を蹴っても蹴っても、鞭で打っても打っても動かない。今井のゆくえが気がかりなあまりに、ふりかえりなさったその甲の内側を、三浦の石田の次郎為久が、追いすがって、弓をよく引き絞ってひゅっと射った。致命傷であったので、正面を馬の頭にあててうつぶしなさったところに、石田の郎等が二人、落ち合って、とうとう義仲の首をとってしまった。義仲の首を太刀の先につらぬいて、高くさしあげて、大声をあげて、「このごろ日本国に名高くいらっしゃた木曾殿を、私、石田の次郎為久がうち申し上げた」と名乗ったので、(今井)「今は誰を守ろうとして、いくさをするだろうか。いやもうその必要はない。これを見なされ、東国の武士達よ。日本一の剛の者が自害する手本を。」といって、太刀の先を口に含んで馬から逆さまに飛び落ちて、太刀につらぬかれて、死んでしまった。そのようにして、粟津での戦は無かった。

posted by manabiyah at 19:03| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする