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2013年03月24日

10分でわかる「平家物語」巻九「二度之懸」その3(息子たちを守ろうと戦った梶原景時の活躍ぶり)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
再生ボタンをクリックして聴くことができます。(各回10分程度)
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繰り返し聴くこともできます。(ページ下に全訳あり。)


梶原大音声をあげて名乗りけるは、「昔八幡殿、後三年の御たたかひに、出羽国千福金沢の城を攻めさせ給ひける時、生年十六歳でまッさきかけ、弓手の眼を甲の鉢付の板に射つけられながら、たふの矢を射て其敵を射おとし、後代に名をあげたりし鎌倉権五郎景正が末葉、梶原平三景時、一人当千の兵ぞや。我と思はん人々は、景時うッて見参に入れよや」とて、をめいてかく。



新中納言「梶原は東国にきこえたる兵ぞ。あますな、もらすな、うてや」とて、大勢のなかに取りこめて攻め給へば、梶原まづ我身のうへをば知らずして、「源太はいづくにあるやらん」とて、数万騎の大勢のなかを、たてさま・よこさま・蛛手・十文字にかけわりかけまはりたづぬる程に、源太はのけ甲にたたかひなッて、馬をも射させ、かち立になり、二丈計ありける岸をうしろにあて、敵五人がなかに取籠られ、郎等二人左右にたてて、面もふらず、命も惜しまず、ここを最後とふせぎたたかふ。


梶原是を見つけて、「いまだうたれざりけり」と、いそぎ馬よりとんでおり、「景時ここにあり。いかに源太、死ぬるとも敵にうしろをみすな」とて、親子して五人の敵、三人うッとり、二人に手おほせ、「弓矢とりはかくるも、ひくも、折にこそよれ、いざうれ、源太」とて、かい具してぞ出でたりける。梶原が二度のかけとは、これなり。


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【アイテム紹介】東国武士に挙兵をうながす以仁王の令旨が発せられたという記事から始まる「吾妻鏡」。それ以前の歴史書が西国の朝廷中心の歴史を記しているのに対して、「吾妻鏡」の特徴は東国に誕生した武家政権の歴史を書いているところにあいrます。鎌倉幕府の動きや、当時の武士のあり方を知る上での基本史料となっています。こちらはその「吾妻鏡」の現代語訳バージョンです。
タイトルor画像↓をクリックすると詳細が表示されます。
現代語訳吾妻鏡


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〈現代語訳〉


梶原が大声をあげて名乗ったことには、「昔、八幡太郎源義家様が、後三年の戦いの際に、出羽の国の千福金沢の城をお攻めになった時、生年十六歳で戦いの先をかけて、左の目をかぶとの鉢つけの板に射つけられながらも、仕返しの矢をうちこんで敵を射落として、後の時代に名を残した、鎌倉の権五郎景正の子孫である私梶原の平三景時は、ひとりで千人力の武士であるよ。我と思うような者は、私景時を討って平家の大将のお目にかけよ。」と、雄叫びをあげてかけていく。


新中納言平知盛は言った。「梶原景時は東国で名を知られたつわものだ。逃がすな、とりもらすな、討て。」と大勢の中に取り囲んで攻めなさると、景時は自分の身は気にすることなく「我が子源太はどこにいるのだろう」と、数万騎の軍勢の中をたてによこに、八方に十方にかけやぶり、かけまわって探しているうちに、梶原の長男源太は戦ううちに、甲のひもがゆるみ、後方にずれて、馬も射られて徒歩になって、二丈ほどのガケを背にして、敵五人の中に取り囲まれて、家来二人を左右にたてて、わきめもふらず、命も惜しまず、ここを最後と戦っている。


梶原がこれを見つけて、「まだ討たれていなかったのだよ」と急いで馬から飛び降り、「父景時ここにあり。源太よ決して死んだとしても敵に背中を見せるな。」と、親子ともに五人の敵のうち三人を討ち取って、二人に痛手を負わせて、「武士は攻めるのも引くのもタイミングによるのだ、さあ来い源太。」といって、長男源太をひきつれて敵陣を出て行った。梶原の二度のかけとはこのことを言うのだ。


posted by manabiyah at 14:18| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする