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2013年04月21日

10分でわかる「平家物語」巻九「重衡生捕」(かつて奈良の仏像や寺院を焼いた平重衡が生捕にされる)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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本三位中将重衡卿は、生田森の副将軍にておはしけるが、其勢みな落ちうせて、只主従二騎になり給ふ。三位中将其日の装束には、かちにしろう黄なる糸をもて、岩に村千鳥ぬうたる直垂に、紫すそごの鎧きて、童子鹿毛といふきこゆる名馬にのり給へり。乳母子の後藤兵衛盛長は、しげ目ゆいの直垂に、火おどしの鎧きて、三位中将の秘蔵せられたりける夜目なし月毛に乗せられたり。梶原源太景季・庄の四郎高家、大将軍と目をかけ、鞭あぶみを合はせて追ッかけたてまつる。汀にはたすけ舟いくらもありけれども、うしろより敵は追ッかけたり、逃るべきひまもなかりければ、湊河・かるも河をもうちわたり、蓮の池をば馬手にみて、駒の林を弓手になし、板やど・須磨をもうちすぎて、西をさいてぞ落ちたまふ。

究竟の名馬にはのり給へり、もみふせたる馬ども追ッつくべしともおぼえず、ただのびにのびければ、梶原源太景季、あぶみふンばり立ちあがり、もしやと遠矢によッぴいて射たりけるに、三位中将馬の三頭をのぶかに射させて、弱るところに、後藤兵衛盛長、我馬めされなんずとや思ひけん、鞭をあげてぞ落ち行きける。三位中将これをみて、「いかに盛長、年ごろ日ごろさは、ちぎらざりしものを。我を捨てていづくへゆくぞ」とのたまへども、空きかずして、鎧につけたるあかじるしかなぐり捨て、ただ逃げにこそ逃げたりけれ。

三位中将敵は近づく、馬は弱し、海へうち入れ給ひたりけれども、そこしも遠浅にてしづむべき様もなかりければ、馬よりおり、鎧のうは帯きり、たかひもはづし、物具ぬぎすて、腹をきらんとし給ふところに、梶原よりさきに庄の四郎高家、鞭あぶみを合はせて馳せ来たり、いそぎ馬より飛びおり、「まさなう候、いづくまでも御供仕らん」とて、我馬にかき乗せ奉り、鞍の前輪にしめつけて、わが身はのりがへに乗ッて御方の陣へぞかへりける。


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「平家物語連続講義放送リスト」

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〈現代語訳〉


本三位中将重衡卿(ほんざんみのちゅうじょうしげひら)は、生田森の副将軍でいらっしゃったが、その軍勢はみな落ちのびて、ただ主従二騎だけになってしまった。平重衡のその日の装束は、濃紺の地に、はっきりとした黄色の糸で、岩に千鳥の群れの縫い取りをしたひたたれに、紫のグラデーションに配色した鎧を着て「どうじかげ」という評判の名馬に乗りなさっていた。乳母子である後藤兵衛盛長(ごとうびょうえ・もりなが)は、一面に絞り染めを施した直垂に、紅く染めた革や糸でできた鎧を着て、重衡が秘蔵していた、夜目なし月毛に乗せられていた。梶原源太景季(かじわらげんだ・かげすえ)・庄(しょう)の四郎高家(しろう・たかいえ)は、重衡を大将軍だと、目をつけて、ムチとあぶみを合わせて追いかけもうしあげた。海辺には助けの船がいくつかあったが、後方から敵が追いかけていきて、のがれるすきもなかったので、湊河(みなとがわ)・かるも河を渡って蓮の池を右手に見て、駒の林を左手に見て、板宿・須磨をとおりすぎて、西に向かっておちのびなさる。


(重衡は)この上もない優れた名馬に乗りなさっていて、(梶原らの)走り疲れた馬たちでは、追いつけるとも思われず、(重衡は)ただひたすら逃げたので、梶原源太景季はあぶみにふんばって立ち上がって、もしかしてと遠矢を用いて、よくひいてうったところ、重衡は馬の後ろ足を深々と射られて、弱ったところに、乳母子の盛長は、「自分の馬をとられるだろう」と思ったのだろうか、ムチをあてて逃げていってしまった。重衡はこれを見ていった「どうした、盛長、これまでずっとそのように逃げるなどと約束はしなかったのに。私を捨ててどこに行くのだ。」とおっしゃったが、盛長は聞こえないふりをして、鎧につけた平家の赤いしるしをかなぐり捨てて、ただ逃げに逃げてしまった。重衡は、敵は近づくは、馬は弱っているはで、海に入りなさったが、そこはちょうど遠浅になってして馬が沈む様子でもなかったので、馬から降りて、鎧のうわおびを切って、たかひもを外して、鎧・甲を脱ぎ捨てて、腹を切ろうとしたところで、梶原よりさきに庄の四郎高家がむちとあぶみを合わせて馳せて来て、急いで馬から飛び降りて言った。「腹を切ってはいけません。私がどこまででもあなたのお供をいたしましょう。」と、重衡を自分の馬に乗せもうしあげて鞍の前輪のしばりつけて、自分は予備の馬に乗って味方の陣にかえっていった。

posted by manabiyah at 18:07| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする