「平家物語」各場面の原文朗読・現代語訳・解説の音声ファイルを公開しています。
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2013年05月01日

10分でわかる「平家物語」巻九「敦盛最期」(熊谷は船へと逃げようとする平敦盛を呼び止め、その若さに驚く)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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繰り返し聴くこともできます。(ページ下に全訳あり。)


いくさやぶれにければ、熊谷次郎直実、「平家の君達たすけ舟にのらんと、汀の方へぞ落ち給ふらむ。あッぱれ、よからう大将軍にくまばや」とて、磯の方へあゆまするところに、練貫に鶴ぬうたる直垂に、萌黄匂の鎧きて、くはがたうッたる甲の緒しめ、こがねづくりの太刀をはき、きりふの矢負ひ、しげどうの弓もて、連銭葦毛なる馬に黄覆輪の鞍置いて乗ッたる武者一騎、沖なる舟に目をかけて、海へざッとうちいれ、五六段ばかりおよがせたるを、熊谷「あれは大将軍とこそ見参らせ候へ。まさなうも敵にうしろを見せさせ給ふものかな。かへさせ給へ」と扇をあげてまねきければ、招かれてとッてかへす。


汀にうち上がらんとするところに、おしならべてむずとくんで、どうど落ち、とッておさへて頸をかかんと甲をおしあふのけて見ければ、年十六七ばかりなるが、薄化粧してかねぐろなり。我が子の小次郎がよはひ程にて容顔まことに美麗なりければ、いづくに刀を立つべしともおぼえず。

「そもそも、いかなる人にてましまし候ふぞ。名のらせ給へ、たすけ参らせん」と申せば、「汝はたそ」ととひ給ふ。「物その者で候はねども、武蔵国住人、熊谷次郎直実」となのり申す。「さては、なんぢにあうてはなのるまじいぞ、なんぢがためにはよい敵ぞ。名のらずとも頸をとッて人にとへ。見知らうずるぞ」とぞのたまひける。熊谷「あッぱれ大将軍や、此人一人うち奉ッたりとも、負くべきいくさに勝つべきやうもなし。又うち奉らずとも、勝つべきいくさに負くる事もよもあらじ。小二郎がうす手負うたるをだに、直実は心ぐるしうこそ思ふに、此殿の父、討たれぬと聞いて、いかばかりか、なげき給はんずらん、あはれ、たすけ奉らばや」と思ひて、うしろをきッとみければ、土肥・梶原五十騎ばかりで続いたり。


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」
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【アイテム紹介】「平家物語」には数多くの異本(バージョン違い)がありますが、新潮社からは「百二十句本」が出版されています。

例えば、この一の谷の戦いで次々と描かれる平家の公達の最期も、諸本でその順序や内容に差があり、「百二十句本」では「敦盛最期」で締めくくられる構成になっています。なお、「百二十句本」には敦盛を討ち取った熊谷の述懐が書かれ、その中で息子小次郎の死を暗示させる記述があり、これが後の歌舞伎などの「小次郎身代わり」という設定に繋がったとも指摘されています。また熊谷と敦盛の父である経盛との手紙のやりとりも描かれています。

このように同じ場面を異本で読み比べることで、新たな発見を得ることができるのも「平家物語」の面白いところです。

タイトルor画像↓をクリックすると詳細が表示されます。
平家物語(百二十句本) 上

平家物語(百二十句本) 中

平家物語(百二十句本) 下


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〈現代語訳〉


平家が一の谷の戦いに敗れたので、源氏方の熊谷次郎直実は、「平家の公達は助けの船に乗ろうと、海辺に逃げなさっているだろう。ああ、ちょうどいい大将軍と戦いたい。」といって、磯の方へと馬をあゆませているところに、練貫に鶴を縫ったひたたれに、萌黄色で染めた鎧を着て、くわがたの飾りをした甲を身につけ、黄金で飾った太刀を身につけ、白い羽に黒いまだらの矢羽の矢を背負って、藤のつるを巻いた弓をもって、葦毛に灰色の模様のある馬に、金で飾った鞍を置いて乗っている武者一騎が、沖にある船をめがけて、馬を海にざっと入れて、15メートルほど泳がせているので、熊谷は言った。「そこにおられるのは大将軍と見申し上げます。卑怯なことに、敵にうしろを見せなさるものだなあ。お戻りくだされ。」と扇あげてまねいたところ、その者はとって返してきた。


その者が海辺にあがろうとするところに、熊谷は馬を並べて、むんずと組みあって、どっと落ちて、とりおさえてその者の首を切ろうとかぶとをおしのけて見ると、年齢は16、7歳ほどのものが、薄化粧をしてお歯黒で歯を染めていた。我が子小次郎ほどの年齢のもので、容姿が大変に美しかったので、熊谷はどこに刀を刺せばよいかわからなかった。


(熊谷が)「そもそもあなたはどのような人でいらっしゃいますか、名乗ってください、お助けもうしあげよう」と申すと、(敦盛は)「お前は誰だ」と問いなさる。「物の数に入る者ではございませんが、武蔵の国の住人である熊谷次郎直実。」と名乗りもうしあげた。「それでは私はお前には名乗るつもりはないぞ。だが私はお前にとっては良い敵である。私が名乗らなくても、首をとって人に問うてみろ、見知っているだろう。」とおっしゃった。熊谷は「ああこの方は立派な大将軍だよ。この人をひとり討ち取ったとしても、負けるはずのいくさに勝つはずはない。また討ち取らないでも、勝つはずのいくさに負けることもまさかないだろう。我が子小次郎が少しの傷を負ったのでさえ、私直実は心苦しく思うのに、この方の父は、この方が討たれたときいたら、どれほど嘆きなさるだろう。ああお助けもうしあげたい」と思って、後ろをさっと見ると、味方の土肥・梶原が50騎ほどで続いてきた。

posted by manabiyah at 16:48| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする