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2013年05月06日

10分でわかる「平家物語」巻九「敦盛最期その2」(美少年、平敦盛が亡くなる)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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繰り返し聴くこともできます。(ページ下に全訳あり。)


熊谷涙をおさへて申しけるは、「助け参らせんとは存じ候へども、御方の軍兵雲霞のごとく候ふ。よものがれさせ給はじ。人手にかけ参らせんより、同くは直実が手にかけ参らせて、後の御孝養をこそ仕候はめ」と申しければ、「ただとくとく頸をとれ」とぞのたまひける。熊谷あまりにいとほしくて、いづくに刀をたつべしともおぼえず、目もくれ心もきえはてて、前後不覚におぼえけれども、さてしもあるべき事ならねば、泣く泣く頸をぞかいてンげる。


「あはれ、弓矢とる身ほど口惜かりけるものはなし。武芸の家に生れずは、何とてかかるうき目をば見るべき。なさけなうもうち奉るものかな」とかきくどき、袖を顔におしあててさめざめとぞ泣きゐたる。良久しうあッて、さてもあるべきならねば、鎧直垂をとッて、頸をつつまんとしけるに、錦袋に入れたる笛をぞ腰にさされたる。「あないとほし、この暁城のうちにて管絃し給ひつるは、此人々にておはしけり。当時みかたに東国の勢なん万騎かあるらめども、いくさの陣へ笛もつ人はよもあらじ。上臈は猶もやさしかりけり」とて、九郎御曹司の見参に入れたりければ、是を見る人涙をながさずといふ事なし。


後にきけば、修理大夫経盛の子息に大夫敦盛とて、生年十七にぞなられける。それよりしてこそ熊谷が発心の思ひはすすみけれ。件の笛はおほぢ忠盛笛の上手にて、鳥羽院より給はられたりけるとぞきこえし。経盛相伝せられたりしを、敦盛器量たるによッて、もたれたりけるとかや。名をば小枝とぞ申しける。狂言綺語のことはりといひながら、遂に讃仏乗の因となるこそ哀れなれ。


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」
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【アイテム紹介】この場面に登場する平敦盛は笛の名手として知られていました。「平家物語」には雅楽の曲が登場する場面がたくさんありますが、その雅楽の曲を平安時代の楽譜に基づいて再現し演奏したのがこのCDです。特に雅楽に詳しくない人でも、これを聴きながら平家の人々が生きた時代の雰囲気を「音で」味わうことができますよ!
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〈現代語訳〉


熊谷が涙をおさえて申したことには「お助けもうしあげようとは思っておりますが、源氏方の軍勢がうんかのようにおります。まさか逃れることはできなさらないでしょう。他の者の手にかけもうしあげるよりは、同じ事なら私直実の手にかけ申し上げて、後の供養をいたしましょう。」と申したところ、敦盛は「ただ早く早く首をきれ。」とおっしゃった。熊谷はあまりにも気の毒で、どこに刀を立てようとも思えない。目がくらみ意識も遠くなって、前後不覚になったように思ったが、そのままにしておくことはできないことなので、泣きながら首を切ってしまった。


(熊谷)「ああ、弓矢を取る武士の身ほど残念なものはない。武芸の家に生まれなかったら、どうしてこのようなつらい目にあうだろうか、いやあわない。非情にもうちとり申し上げたことだなあ。」とくどくど言って嘆き、袖を顔におしあててさめざめと泣いた。しばらくしてから、そのままにしておくべきではないので、よろいひたたれをとり、首をつつもうとしたところ、錦の袋にいれた笛を腰にさされていた。「ああお気の毒なことだよ、今朝、城の中で管弦をなさっていたのは、この方々でいらっしゃったのだよ。今、味方の東国の軍勢が何万騎もいるだろうが、闘いの陣に笛を持ってくる人はまさかいないだろう。高貴な方はやはり優美なものだよ。」と、源九郎義経のお目にかけたところ、これを見る者が、涙を流さないことは無かった。


後に聞いたところ、亡くなったのは、修理大夫平経盛のご子息で、大夫敦盛といって生まれて17年になるものであった。それ以来、熊谷次郎直実の出家への思いは進んだ。その笛は祖父である平忠盛が笛の名手で、鳥羽院からいただいたものだったとの言われていた。経盛が相続したものを、敦盛に笛の才能があったことにより、お持ちになったとかいうことだ。その笛の名は小枝(さえだ)と申したそうだ。音楽は人の心を惑わす類いのものだと言いながらも、この笛が最終的に仏道に入る縁となるのはしみじみ感慨深いことだ。

posted by manabiyah at 13:07| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする