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2013年05月14日

10分でわかる「平家物語」巻九「知章最期」(息子や従者の命の犠牲によって、逃げることのできた平知盛)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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繰り返し聴くこともできます。(ページ下に全訳あり。)


監物太郎は究竟の弓の上手ではあり、まッさきにすすんだる旗さしがしや頸のほねをひやうふつと射て、馬よりさかさまに射おとす。そのなかの大将とおぼしきもの、新中納言にくみ奉らんと馳せならべけるを、御子武蔵守知章なかにへだたり、おしならべてむずとくんでどうどおち、とッておさへて頸をかき、立ちあがらんとし給ふところに、敵が童おちあうて、武蔵守の頸をうつ。監物太郎落ちかさなッて、武蔵守うち奉ッたる敵が童をもうッてンげり。其後矢だねのある程射つくして、打物ぬいてたたかひけるが、敵あまたうちとり、弓手のひざぐちを射させて、立ちもあがらず、居ながら討死してンげり。此まぎれに新中納言は、究竟の名馬には乗り給へり。海のおもて廿余町泳がせて、大臣殿の御舟につき給ひぬ。


御舟には人多くこみ乗ッて、馬たつべきやうもなかりければ、汀へおッかへす。阿波民部重能「御馬かたきのものになり候ひなんず。射ころし候はん」とて、片手矢はげて出でけるを、新中納言「何の物にもならばなれ。我命をたすけたらんものを。あるべうもなし」とのたまへば、力及ばで射ざりけり。此馬主の別れをしたひつつ、しばしは舟をも離れやらず、沖の方へ泳ぎけるが、次第に遠くなりければ、むなしき汀に泳ぎかへる。足たつほどにもなりしかば、なほ舟の方をかへりみて、二三度までこそいななきけれ。其後陸にあがッてやすみけるを、河越小太郎重房とッて、院へ参らせたりければ、やがて院の御厩にたてられけり。


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」

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【商品紹介】石母田正氏は「平家物語は一貫して現世を厭わしいものとし、来世を讃美したが、同時にこの物語ほど人間の生への執念の強さを語った文学も少いだろう」と述べ、「知盛はそれを素朴な言葉で語ることのできる人物であった」と述べてこの場面をとりあげています。「平家物語 (岩波新書青版)」には、「平家物語」を読み解くためのエッセンスが凝縮されています。是非一読を。



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平家物語 (岩波新書)


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〈現代語訳〉


監物太郎はこの上もない弓の名手であったので、先頭を進んでいる旗さしの奴の首の骨を、ひょうっとうって、馬から下へ逆さまに射って落とした。その敵の大将と思われるものが、新中納言知盛に組み合いもうしあげようと馬を馳せ並べたが、知盛の子である知章(ともあきら)が間に隔たって入り、馬を並べ、むんずと組みあってどんと落ちて、とりおさえて敵の首を切って、知章が立ち上がろうとしなさるところに、敵の童がおちあって、武蔵守知章の首を斬った。その上に監物太郎が落ち重なって、知章をうった敵の童をうちとってしまった。その後監物太郎は矢をあるだけ全部うちつくして、刀を抜いて戦い、敵をたくさんうちとって、左のひざがしらを射られて、立ち上がれずに、座ったままで討ち死にしてしまった。これに紛れて、新中納言平知盛は強い名馬に乗りなさっていて、海面を2キロほど馬に泳がせて、大臣宗盛殿の船に到着なさった。


大臣殿の船には人が多く混み合って乗っていて、船内に馬がたつことができないので、馬は水際に追い返した。平家の重臣である田口しげよしは「馬が敵のものとなってしまいしょう、射ころしましょう。」と一本の矢をつがえた弓を持って出て来たが、知盛は言った「誰のものにでもなるならばなれ。私の命を助けたのに、殺してはならない。」とおっしゃったので、しげよしは仕方なしにうたなかった。この馬は主人との別れを惜しみながら、しばらくは船から離れられず、沖の方へと泳いでいたが、次第に船が遠くなったので、主人のいないむなしい海辺に泳ぎ帰った。足がたつくらいの場所になったところ、依然として船の方をふりかえって、2、3度ほどいなないた。その後、陸にあがってやすんでいたところ、河越小太郎重房がとらえて、後白河院のうまやに献上したところ、そのまま院のうまやで飼われることとなった。


posted by manabiyah at 16:39| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする