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2013年08月04日

10分でわかる「平家物語」巻十「維盛入水」(入水の決意をしてもなお、妻子への思いを捨て切れない維盛)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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繰り返し聴くこともできます。(ページ下に全訳あり。)


比は三月廿八日の事なれば、海路遥かに霞みわたり、哀れをもよほすたぐひなり。ただ大方の春だにも、暮れ行く空は物うきに、況やけふをかぎりの事なれば、さこそは心ぼそかりけめ。奥の釣舟の浪にきえ入るやうにおぼゆるが、さすがしづみもはてぬを見給ふにも、我身の上とやおぼしけむ。おのが一行ひきつれて、今はとかへる雁がねの、越路をさして鳴きゆくも、ふるさとへことづけせまほしく、蘇武が胡国の恨みまで、思ひのこせるくまもなし。


「さればこは何事ぞ。猶妄執のつきぬにこそ」と思しめしかへして、西に向ひ手を合はせ、念仏し給ふ心のうちにも、「すでに只今をかぎりとは、都にはいかでかしるべきなれば、風のたよりのことつても、いまやいまやとこそまたんずらめ。遂にはかくれあるまじければ、此世になきものと聞いて、いかばかりかなげかんずらん」など思ひつづけ給へば、念仏をとどめ、合掌をみだり、聖にむかッてのたまひけるは、「あはれ人の身に妻子といふ物をば、もつまじかりけるものかな。此世にて物を思はするのみならず、後世菩提のさまたげとなりける口惜しさよ。只今も思ひ出るぞや。か様の事を心中にのこせば、罪ふかからむなる間、懺悔するなり」とぞのたまひける。



平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」


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琵琶法師ー〈異界〉を語る人びと」では「平家物語」の語り手であった琵琶法師のルーツや現代に至るまでの歴史が語られています。兵藤裕己氏は、この維盛入水の場面における「奥の釣舟の浪にきえ入るやうにおぼゆるが、さすがしづみもはてぬを見給ふにも、我身の上とやおぼしけむ。」の部分の記述を、「語りの視点がどこにあるのかわからない不思議な文章」「視点という視覚性そのものを払拭したような文章」として、シャーマニックな「『盲目』の琵琶法師の語り」との関連において説明しています。

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〈現代語訳〉


時期は春三月二十八日のことであるので、海の上は遥かに一面かすみわたり、悲しみを思い起こさせるほどである。ただ普通の春でさえも、暮れて行く空は物悲しいのに、まして、今日限りの命であるなら、どんなに心細かったであろう。沖の釣り船で、波に消えて行きそうに思われる舟が、そうはいっても、沈みきらないでいるのを見なさるにつけても、自分の身の上のようにお思いになったのだろうか。自分の仲間たちをひきつれて、今まさに鳴きながら北へ帰ろうとする雁が、北陸の方にむかって鳴いていくのにつけても、維盛は故郷にことづけをしたくなり、漢の時代の蘇武(そぶ)が、胡国(ここく)に捕らえられた恨みほどに、思い出さない残りは少しもない。


「だからこれは何事だ、依然として激しい執着心がつきないことだ。」と思い返しなさって、西にむかって合掌し、念仏をとなえなさる心の中でも、「すでに私の命が今を限りに終わろうとしているとは、都では知る事はできないので、風のたより程度のことづけでさえ、今か今かと妻子は待っているだろう。結局は明らかになることなので、私がこの世にないものと聞いて、妻子はどれほど嘆くだろう。」などと思い続けなさったので、維盛は念仏をやめ、合わせた手をはなし、滝口入道にむかっておっしゃったことには、「ああ人の身には妻子というものは、持つべきではないことだなあ。現世での物思いをさせるだけでなく、来世での菩提の妨げになってしまったのは悔しいことだよ。まさに今も思い出してしまうのだ。このようなことを心中にのこせば罪が深くなると思われるので、懺悔をするのだ。」とおっしゃった。

posted by manabiyah at 23:04| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする