「平家物語」各場面の原文朗読・現代語訳・解説の音声ファイルを公開しています。
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2013年10月16日

2013京都平家物語を巡る旅

ここ数年、自分がラジオ番組をやっていることもあり、
「平家物語」関係の名所旧跡などを中心に巡る旅をしている。
今年はどうしようかなと思ってたが、
ふと思い立って京都へ行ってきた。


4日朝出発。
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12時過ぎ京都着。
あれこれ電車を乗り継いで、少し歩いて、
辿り着いたのは蓮華王院三十三間堂。
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平清盛が後白河法皇に寄進したことで知られる。
後白河が院政を行った法住寺院庁の跡も同じ敷地内にある。

通し矢で有名な長い廊下。
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自らで体感した。

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三十三間堂から歩いて、六波羅蜜寺を目指す。途中で通る池殿町。
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これは清盛の弟に当たる「平頼盛」の屋敷があったことにちなむ地名。
頼盛は幼い源頼朝の助命を清盛に嘆願した池の禅尼の実子。

六波羅蜜寺に到着。
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この六波羅周辺には、
平家一門一族の邸宅が「三千二百あまり」あったとされる。

六波羅蜜寺で有名なのは口から仏の出てる「空也上人」の像。
さらに「平清盛」坐像。教科書等でも有名なあれだ。
無事に清盛坐像に会うことができた。
写真撮影は不可なので絵はがきを買ってきた。
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この周辺は鳥辺野という火葬場・墓地に近かったため、
この世とあの世の境と考えられたらしい。
六波羅珍皇寺には冥土の交差点「六道の辻」、
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この世とあの世を往復したという伝説のある「小野篁」の碑がある。
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そこから清水寺方面にちょっと歩いてみたが、
「いかにも」な観光地っぽい雰囲気に幻滅した。
清水寺はまたの機会にでも行くことにして、三十三間堂方面に戻る。

途中、新日吉神社なども見る。
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「後白河法皇が法住寺殿を造営し、近江日吉山王の神を勧請したのが始まり」とされる。
後白河法皇の子が高倉天皇。その高倉天皇の中宮が清盛の娘である徳子だ。
そして徳子の産んだ子が幼帝安徳天皇。
安徳天皇の父方の祖父が後白河で、母方の祖父が清盛という関係。

後白河の御所であった「法住寺」を訪れる。
実は、「法住寺」は三十三間堂の道路を挟んで向かい側。
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そして、その「法住寺」の裏に「後白河法皇」の墓もある。
土日は入れないらしいので、平日に来て正解だった。

そこからいったんバスで京都駅に戻り、
さらにバスと徒歩で「梅小路公園」へ。
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実はこの梅小路公園の一部は、
清盛が太政大臣を退いて、福原へと居を移した後の清盛の都での拠点。
「西八条第」の跡地なのだ。
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「鹿ヶ谷事件」の処分が決められた場所であり、
白拍子「祇王」の物語もここを舞台にしている。

梅小路公園にて日暮れ。この辺りで、初日分の探訪は終わり。

京都駅から嵯峨嵐山へと移動。20時頃、駅から少し離れると、嵐山はもう真っ暗。
ちょっと道に迷いながらも、なんとかホテル着。

iPadに青空文庫からダウンロードしておいた高山樗牛「滝口入道」を読む。
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http://www.aozora.gr.jp/cards/000271/files/1556_45797.html

平家物語に描かれた滝口入道と横笛の悲恋の挿話を元ネタとした、明治期の小説。
平家など古典の教養に基づいた、巧みな引用と華麗な文体。
そして熱い浪漫主義的ストーリー。

(読めそうな方は是非、読んでみてください。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000271/card1556.html
文語体で読みづらいかもしれないけど。)

そう、翌日はこの滝口入道の住んだとされる「滝口寺」を訪れる。
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000162

翌朝、嵐電の駅を過ぎて、竹の小径を入っていく。
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様々な和歌の歌碑がいろいろなところにある。
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野宮神社。
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光源氏と六条御息所の別れで有名。

そう、平家のみならず様々な日本の古典文学で、
嵯峨野は舞台となっている。
僕の番組でもかつて取り上げたことがある。

源氏物語「賢木、六条御息所との別れ」
音声ファイル
http://www.voiceblog.jp/manabiyah/1009609.html
テキスト
http://www.voiceblog.jp/manabiyah/1007935.html

竹の小径をさらに行く。落柿舎。
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松尾芭蕉の高弟である向井去来が住んだ場所。
裏に向井去来の墓。さらに西行法師の庵の跡も。

さらに祇王寺や滝口寺を目指して歩く。
坂道も多く、足が疲れる。
心配した雨は結局その後降らなかった。

いよいよ祇王寺へ。
滝口寺と祇王寺は隣接している。
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再興された時にそうなったのだろうが、
平家物語の読者にとっては、
近場にあって一度に二箇所訪れることができるのは便利。

まずは「滝口寺」から。
拝観者は僕一人だけだった。
小さくみすぼらしい民家のようなたたずまいで、
かえってそれっぽくて良かった。
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滝口入道は自らを訪れてきた横笛との対面を拒む。
そういえば、その場面もラジオで扱ったことがあった。
平家物語「滝口入道」
(音声ファイル)
http://www.voiceblog.jp/manabiyah/1068221.html
(テキスト)
http://www.voiceblog.jp/manabiyah/1061317.html

滝口入道と横笛の木像。鎌倉時代の作。
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つづいて祇王寺。
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http://www.giouji.or.jp/

祇王は清盛に愛された白拍子。
だが、ある時清盛の前に現れた別の白拍子である仏御前に、
清盛は心を奪われる。

祇王は妹と母の三人で尼となって山奥の庵でひっそりと暮らす。
ある時、その庵に、あの仏御前が訪れる。
彼女もまた尼姿となっていた。

そんな物語の舞台となった場所。
詳しくはこちらを。仏御前登場の場面。
平家物語「仏御前と祇王」
(音声ファイル)
http://www.voiceblog.jp/manabiyah/1149915.html
(テキスト)
http://www.voiceblog.jp/manabiyah/1147411.html


その後の部分は「平家物語連続講義」で解説した。

「平家物語」巻一「祇王」
http://manabiyah.seesaa.net/article/382120699.html

「平家物語」巻一「祇王その2」
http://manabiyah.seesaa.net/article/382120870.html

緑が美しい。
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もう少ししてから行くと、
紅葉など美しいらしい。四季様々に楽しめる。

ちなみに祇王寺では大覚寺との共通チケットを売っていたので、
ついでに購入。だが、大覚寺まではさらに徒歩20分以上あるらしい。
途中に「清涼寺」があるので、いったんそちらを訪れることにして出発。

「清涼寺」と「平家物語」は直接つながるものではないけど、
鹿ヶ谷事件で鬼界が島に流されたうちの一人である
平康頼は、後に赦されて、都に戻り京都東山に籠居した。

ところが、そんな康頼は、
「清涼寺の釈迦如来像がインドに帰ってしまう」
という噂を耳にする。
当時は末法の世。正法・像法の世を経て、
仏像の姿としても仏に巡り会えないのが「末法」だ。

康頼は「まだこの国には、
あの清涼寺の釈迦如来像があることを、
頼りにしていたのに…」と嘆き、
居ても立ってもいられずに、清涼寺を訪れる。
そこで極楽往生についての話を聞き、それを書き留めて、
説話集「宝物集」を記したのだ。

「清涼寺の釈迦如来像がインドに帰る」という噂を耳にした当時の人々は、
行列をつくって並んで清涼寺に押し掛けたとも述べられているのだ。

そんなすごい釈迦如来像を是非この目で見てみたい!

そんなわけで清涼寺を訪れたのだ。
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実はこの釈迦像は「生き仏」という扱いがされてきたという。
どういうことか。(wikiより。)

>「然(938−1016)という東大寺出身の僧がいた。
>「然は、宋へ渡航中の985年、
>台州の開元寺で現地の仏師に命じて1体の釈迦如来像を謹刻させた。
>その釈迦像は、古代インドの優填王(うてんおう)が
>釈迦の在世中に栴檀の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻したもので、
>「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」と呼ばれている。

実際のおシャカ様の姿のコピーのコピーというわけだ。

さらに、その仏像内部には、
頭に鏡、目に水晶、耳は空洞、喉には鈴、
さらに布でできた五蔵六腑が埋め込まれていたという。
(これは昭和の時代にわかったことらしい。)

で、是非とも近くで見たかったんだけど、
まず最初に寺に入った時には、
帳がかけられていた。

仕方ないので、寺に陳列されている品々など見て、
再び戻ってくると、ご開帳していた。
お坊さんがお経をあげて、
老夫婦がその前に合掌していた。

じゃあ、僕もいっしょにと思って、並んで合掌していたら、
若いお坊さんに、「ただ今礼拝中ですので、ちょっとお待ちください」と言われた。

ああ、すいません、お邪魔したようですね。
というわけで、その若いお坊さんとあれこれ語る。
「末法の世になって天竺に帰ろうとしたという、
噂の仏様を是非見たくて来たんですよ。」
と言うと、その若いお坊さんが、
「ええ!ち、ちょっと待ってください!!」
と急いでメモ用紙を持って来た。
「そのお話、是非詳しく聞かせてください!」
と言われた。

どうやら時々、耳にする話だったらしいのだけど、
出典が解らずに困っていたとのこと。
確かに自分の勤める寺のご本尊のことだから、
しっかりと正確に学んでおきたいのだろう。
熱心なお坊さんだ。

というわけで、上に述べた「宝物集」のことを教えてあげた。
作品名も平康頼という人物名もしっかりと。

で、しばらくたって無事に釈迦如来像に近くで対面できた。
他のベテランっぽいお坊さんが「三国伝来」「生身」の由来をしっかりと語ってくれた。
ちなみにこれまでに応仁の乱とかで寺自体は何度も焼けたんだけど、
この仏像だけはなんとか守り抜いて伝来当時のままの本物らしい。
ちなみに中国にあった元バージョンも義和団の乱で焼けてもう無いとのこと。

ちなみに清涼寺は「光源氏の墓があるところ」としてもアピールしている。
光源氏は架空の人物なので、まさか墓などあるわけがないのだが、
モデルとなった人物の一人とされる「源融(みなもとのとおる)」の墓があるのだ。
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そんな清涼寺を離れて、さらに歩いて大覚寺へ。
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ここは祇王寺との共通チケットがあったから来てみた。
この大覚寺は六代(平維盛の子ども)とその母達が隠れ住んだところ。
この六代が斬られて終わる「断絶平家」というタイプの異本がある。
例えば「それよりしてぞ、平家の子孫は絶えにけり」と「平家物語」百二十句本は終わる。

ちなみに藤原公任の歌で「なこその滝」というのが、有名。
行ってみたけど、涸れてしまっていて、
もう滝って感じではなかったな。
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そもそも当時から絶えて久しくなってた滝だから仕方ないけど。

大覚寺付近から、今度は電車に乗るべく移動。
嵐電「嵯峨嵐山」を出発して、
途中、嵐電北野線に乗り換えて、
「御室仁和寺」で下車。
そう「仁和寺」だよ。
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仁和寺といえば「徒然草」の「仁和寺にある法師〜」で有名だよね。
愛しい稚児を喜ばせようとして、
痛いことになってしまった法師どものお話を、
ラジオで放送したことがある。
徒然草「稚児のため余計な演出」
(音声ファイル) http://www.voiceblog.jp/manabiyah/969395.html
 (テキスト)http://www.voiceblog.jp/manabiyah/967923.html

ところで、「平家物語」で仁和寺と言えば、
琵琶の名手、平経正と守覚法親王との「青山」という琵琶の名器を巡るエピソードや、
大納言法印行慶との切ない別れの場面が有名だ。

「平家物語」巻七「経正都落」
http://manabiyah.seesaa.net/article/382242606.html


しかしながら、「徒然草」愉快なエピソードを感じさせるものなど仁和寺にはない。
「経正」については謡曲化されたものの説明を記した札があったが、
これも片隅で色あせている。
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仁和寺って由緒正しい真言宗御室派の総本山なんだけど、
なぜか古文の世界ではこぼれ話っぽいものばかりが出て来る。

世界遺産「仁和寺」。
外国人の方もたくさん来ていた。
うーん、確かに素晴らしい景色。
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五重塔がなかなか素晴らしい。
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さて、もう15時半過ぎ。
お寺を拝観できる時間は、
16時とか16時半までのところも多い。

電車にのって三駅先の「常磐」という駅へ。

そう「常磐」って源義経の母の名だ。
義経の母である常磐の生誕の地。
そして、この常磐の地に、
後白河法皇や崇徳天皇の母にあたる、
待賢門院璋子が晩年を過ごした「法金剛院」がある。
(大河ドラマでは壇れいが演じていた。)
駅から歩いて15分ほど。なんとか16時ギリギリに駆け込んだ。
拝観者は僕ひとりだけだった。
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待賢門院に仕えた堀河の歌の碑もあった。
(大河ドラマではりょうという人が演じてた。)

極楽をイメージして植えられたたくさんのハスの花。
2013heike-kyoto191.JPG残念ながらもうだいぶ枯れていたが…。
そして見つけた「沙羅双樹」!
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「平家物語」の冒頭でもお馴染みだよね。

「平家物語」巻一「祇園精舎」
http://manabiyah.seesaa.net/article/382119267.html

残念ながら花は咲いていなかった。

その後、再び常磐駅付近へ。
義経の母「常磐」の墓があるという「源光寺」を目指すが…。
うう、もう拝観時間が終わっていた。
そろそろタイムリミットだなあ。

気がつけば二日目は野宮神社、落柿舎、滝口寺、祇王寺、
清涼寺、大覚寺、仁和寺、法金剛院、源光寺と巡ったわけだ。
さすがにこれだけ回れば良しとしよう。
鹿ヶ谷とか八坂神社とか行ってみたかったけど、
またの機会に!


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平家物語 (物語の舞台を歩く)



「平家物語」の舞台を歩く―真説・平清盛


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posted by manabiyah at 22:34| 平家物語を巡る旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする