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2010年11月18日

10分でわかる「平家物語」巻一「御輿振」(源氏、平家の活躍で、院側と、比叡山側の争いがいったん収束)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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大衆無勢たるによッて、北の門、縫殿の陣より神輿をいれ奉らむとす。頼政卿さる人にて、馬よりおり、甲をぬいで、神輿を拝し奉る。兵ども皆かくのごとし。衆徒の中へ、使者をたてて、申し送る旨あり。


其使は渡辺の長七唱と云ふものなり。唱、其日はきちんの直垂に、小桜を黄にかへいたる鎧きて、赤銅づくりの太刀をはき、廿四さいたる白羽の箭おひ、しげどうの弓、脇にはさみ、甲をばぬぎ、高ひもにかけ、神輿の御前に畏って申しけるは、


「衆徒の御中へ源三位殿の申せと候。今度山門の御訴訟、理運の条勿論に候。御成敗遅々こそ、よそにても遺恨に覚え候へ。さては神輿入れ奉らむ事、子細に及び候はず。ただし頼政無勢に候。其上あけて入れ奉る陣よりいらせ給ひて候はば、山門の大衆は目だりがほしけりなど、京童部が申し候はむ事、後日の難にや候はんずらむ。神輿を入れ奉らば、宣旨を背くに似たり。又ふせき奉らば、年来医王山王に首をかたぶけ奉って候身が、けふより後、ながく弓箭の道にわかれ候ひなむず。かれといひ是といひ、かたがた難治の様に候。東の陣は小松殿大勢でかためられて候。其陣よりいらせ給べうもや候らむ」


といひ送りたりければ、唱がかく申すにふせかれて、神人・宮仕しばらくゆらへたり。


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」


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〈現代語訳〉


延暦寺の衆徒は、守りの薄い場所だと判断して、北の門、縫殿の陣から、神輿を入れ申し上げようとする。源頼政卿は、しっかりとした人物で、馬から下りて、甲を脱いで、神輿を拝み申し上げる。兵たちも皆、このようにふるまった。延暦寺の衆徒の中へ頼政は使者をたてて、申し送りたいことがあった。その使いというのは、渡辺の、ちょうじつとなう、というものである。唱(となう)は、その日は、麹塵(きくじん)の直垂に、小桜の形を黄色く染めた鎧を着て、赤銅で作った太刀を身につけ、24本の白い羽の矢をさしたやなぐいを背負って、漆で塗ってつるを巻いた、しげどうの弓を脇に挟んで、甲を脱いで、鎧を吊る高ひもにかけて、神輿の前にかしこまって(となうが)申したことには、


「衆徒の皆様に源頼政三位殿から申し上げよとのことでございます。『このたびの延暦寺の皆様のご訴訟は、道理として当然のことでございます。裁定が遅れていることは、よそながら残念なことだと思っております。そうであるので、神輿を皆様が内裏へと入れ申し上げる事について、私がとやかく言うことではございません。ただし私、頼政の守りは無勢でございます。その上、この北の門を開けて皆様を入れ申し上げようとしている、この陣からお入りになりますならば、比叡山の衆徒は弱みにつけこんだなどと都の若い者たちが申し上げますような事態は、後々の非難へとなりますでしょう。私がここから、神輿を内裏にいれ申し上げたら、天皇の宣旨に背くことになります。また、もしそれを防ぎますならば、長年、比叡山の薬師如来と日吉山王権現を信仰し申しあげていたおりますわが身が、今日から、長く武士の道から離れることになりますでしょう。あちらといい、こちらといい、おのおの難しい問題です。東の陣は小松殿、平重盛が大勢で固めております。そちらの陣から、お入りになるべきではございませんか。』」


使いであった唱(となう)が、このように申すのにとどめられて、比叡山側の神主や下級の僧らは、そこでしばらく停滞することになった。

posted by manabiyah at 00:00| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする