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2010年12月02日

10分でわかる「平家物語」巻二「西光被斬その2」(鹿谷の謀議が発覚し、清盛に捕らえられた西光法師)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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入道相国大床にたッて、「入道傾けうどするやつがなれるすがたよ。しやつここへ引きよせよ」とて、縁のきはに引きよせさせ、物履きながらしやつらをむずむずとぞふまれける。


「本よりを己等がやうなる下臈のはてを、君の召し、つかはせ給ひて、なさるまじき官職をなしたび、父子共に過分のふるまひすると見しにあはせて、あやまたぬ天台の座主流罪に申しおこなひ、天下の大事引き出いて、あまつさへ此一門亡ぼすべき謀反にくみしてンげるやつなり。有りのままに申せ」とこそのたまひけれ。

西光もとよりすぐれたる大剛の者なりければ、ちッとも色も変ぜず、わろびれたる景色もなし。居直りあざ笑ッて申けるは、「さもさうず。入道殿こそ過分の事をばのたまへ。他人の前は知らず、西光がきかん所にさやうの事をば、えこそのたまふまじけれ。院中にめし使はるる身なれば、執事の別当成親卿の院宣とて催されし事に、くみせずとは申すべき様なし。それはくみしたり。」


「ただし、耳にとどまる事をも、のたまふ物かな。御辺は故刑部卿忠盛の子でおはせしかども、十四五までは出仕もし給はず。故中御門藤中納言家成卿の辺に立ち入り給ひしをば、京童部は高平太とこそいひしか。保延の比、大将軍承り、海賊の張本卅余人からめ進ぜられし勧賞に、四品して四位の兵衛佐と申ししをだに、過分とこそ時の人々は申しあはれしか。殿上のまじはりをだにきらわれし人の子で、太政大臣までなり上がつたるや過分なるらむ。侍品の者の受領検非違使になる事、先例傍例なきにあらず。なじかは過分なるべき」と、はばかる所もなう申しければ、入道あまりにいかてッ物ものたまはず。


しばしあて「しやつが頸左右なうきるな。よくよくいましめよ」とぞのたまひける。


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」

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〈現代語訳〉


清盛入道は寝殿造りの広廂に立って「私清盛入道を倒そうとする奴のなり果てた姿である。やつをここに引き寄せろ。」といって、西光を縁の際に引き寄せて、履物のままで西光の顔をむずむずと踏まれた。


(清盛)「そもそもお前のような下賎極まりない者を、君がお召しになり、お使いになって、なすべきでない官職につけなさって、父子ともに身の程を過ぎた振る舞いをすると見ていたのに加えて、罪もない比叡山の天台座主を流罪にするように申し行って、天下に大事を引き起こして、のみならず我が平家一門を滅ぼそうとする謀反にくみしてしまったやつだ。ありのままに申せ。」とおっしゃった。


西光はもともと大変に気の強いものであったので、少しも顔色が変わらず、悪びれた様子もない。西光が居直って清盛をあざ笑って申したことには「そんなことはございません、清盛入道の方こそ身の程知らずのことをおっしゃている。他の人の前では知らないが、私、西光が聞くところでは、そのような事をおっしゃるべきではない。私は院の周りで召使われる身であるので、執事の別当成親卿が院のご命令として発せられた軍の招集の命令に行動をともにしないとは申すことはできない。それには参加した。ただしあなたは耳にひっかかる事をおっしゃるなあ。あなたは亡くなった刑部卿、平忠盛の子でいらっしゃるが14、5歳までは宮中に出仕もしていなさらない。あなたが藤原家成卿の辺に立ち入りなさっていたのを、都のうるさい若者たちはは高平太といったものだ。崇徳天皇の時代に、あなたの父忠盛が軍の指揮官を承り、海賊の張本人を30人ほど逮捕した功績で、四位となって兵衛佐に任じられたことでさえ、身に過ぎたことだと当時の人々は言いあったものだ。殿上での交際でさえ嫌われた人の子で太政大臣になりあがったのは身に過ぎたことであろう。武士出身のものが、受領や検非違使になる程度であるなら、先例が無いわけではない。そのくらいならどうして身の程を過ぎたなどと言うだろうか。」と西光がはばかることなく申し上げたので、清盛入道は怒ってものもおっしゃらない。


しばらくして「こやつの首をたやすく切るな、よくよく戒めてやれ」とおっしゃった。


posted by manabiyah at 00:00| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする