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2011年02月03日

10分でわかる「平家物語」巻三「足摺」(ひとり鬼界が島に残された俊寛僧都)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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既に船出すべしとてひしめきあへば、僧都の乗ッてはおりつ、おりては乗ッつ、あらまし事をぞし給ひける。少将の形見にはよるの衾、康頼入道が形見には一部の法花経をぞ留めける。ともづな解いてをし出せば、僧都綱に取つき、腰になり、脇になり、たけの立つまでは引かれて出づ。たけも及ばず成りければ、舟に取りつき、「さていかに各々、俊寛をば遂に捨てはて給ふか。是程とこそおもはざりつれ。日比の情も今は何ならず。ただ理をまげて乗せ給へ。せめては九国の地まで」と口説かれけれども、都の御使「いかにもかなひ候ふまじ」とて、取りつき給へる手を引きのけて、船をば遂に漕ぎ出す。


僧都せん方なさに、渚にあがり倒れふし、幼きものの乳母や母などをしたふやうに、足ずりをして、「是、乗せてゆけ、具してゆけ」と、おめきさけべども、漕ぎ行く舟の習ひにて、跡は白浪ばかり也。いまだ遠からぬ舟なれども、涙に暮れて見えざりければ、僧都高き所に走り上がり、沖の方をぞまねきける。彼の松浦佐用姫がもろこし舟をしたひつつ、ひれふりけんも、是には過ぎじとぞ見えし。


舟も漕ぎかくれ、日も暮るれども、あやしのふしどへも帰らず。浪に足うちあらはせて、露にしほれて、其夜はそこにぞあかされける。さりとも少将は情けふかき人なれば、よき様に申す事もあらんずらんと憑をかけ、その瀬に身をもなげざりける心の程こそはかなけれ。昔壮里、息里が海岳山へはなたれけんかなしみも、今こそ思ひしられけれ。


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」


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赦文──澤村藤十郎
足摺・有王・僧都死去──坂東三津五郎
御産──菊川怜
飈無文──榎木孝明
法印問答・法皇被流──風間杜夫
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〈現代語訳〉


もう船を出そうと騒いだところ、僧都は船に乗っては下り、下りては乗って、こうあったらいいという事をしなさった。少将の形見としては寝具、康頼入道の形見としては一部の法華経を残した。ともづなをほどいて船を出すと、俊寛僧都は船のその綱に取りついて、海面が俊寛の腰の高さになり、脇の高さになり、背丈の立つまでは船にそのまま引かれていき、背丈が及ばなくなってしまったので、船に取りついて、「ああ、なんと皆さんは、この俊寛をとうとう見捨ててしないなさるのか?これほど冷たいとは思わなかった。日頃の友情も今はもうどうしようもない。ただ道理を曲げて私を乗せてください。せめて九州の地まででも。」と言葉を尽くしたが、都からの使いは「どうにも叶うことではございません」と、取りつきなさった俊寛の手を引きのけて、船を遂に漕ぎ出す。


俊寛僧都はどうしようもなさに、渚にあがって倒れて伏して、幼い者が乳母や母を慕うように足をばたばたさせて、「おーい、乗せてくれ!連れて行ってくれ!」とわめき叫んだが、漕ぎ行く船にとって普通のことだが、残ったのは白い波ばかりである。まだ遠くない船であるけれど、涙にくれた目には見えなかったので、俊寛僧都は高いところに走りのぼって、沖の方へと手招きをした。伝説にある松浦佐用姫(まつらさよひめ)が夫の乗る中国行きの船にむかって首にかけていた布を振ったという例も、この俊寛の悲しみに勝らないだろうと見えた。


船も漕ぎゆき姿を消し、日も暮れたが、祖末な寝床へも帰らない。波に足を洗わせて、夜露に濡れて、その夜はそこで夜を明かしなさった。「そうはいっても、成経少将は情け深い人であるので、都で私のことをいいように申して取りはからってくれる事もあるだろう。」と望みをかけて、その瀬に身を投げなかった心はむなしいことだった。昔、インドの壮里(そうり)息里(そくり)という兄弟が、継母に海岳山(かいがくざん)というところへ、捨てられたという悲しみが、今、思い知られる。




posted by manabiyah at 00:00| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする