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2011年12月08日

10分でわかる「平家物語」巻五「都帰」(福原から京へと都が戻されて、人々が京へと戻っていく)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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繰り返し聴くこともできます。(ページ下に全訳あり。)


今度の都遷をば、君も臣も御なげきあり。山・奈良をはじめて、諸寺諸社にいたるまで、しかるべからざるよし一同にうッたへ申すあひだ、さしもよこ紙をやらるる太政入道も、「さらば都がへりあるべし」とて、京中ひしめきあへり。同十二月二日、にはかに都がへりありけり。新都は北は山沿ひてたかく、南は海近くしてくだれり。浪の音つねはかまびすしく、塩風はげしき所也。されば、新院いつとなく御悩のみしげかりければ、いそぎ福原をいでさせ給ふ。摂政殿をはじめたて奉ッて、太政大臣以下の公卿殿上人、われもわれもと供奉せらる。入道相国をはじめとして、平家一門の公卿殿上人、われさきにとぞのぼられける。誰か心うかりつる新都に片ときものこるべき。


去六月より屋ども、こぼちよせ、資材雑具、運びくだし、形のごとく取り立てたりつるに、又物ぐるはしう都がへりありければ、なんの沙汰にも及ばず、うちすて打ちすてのぼられけり。をのをの、すみかもなくして、八幡・賀茂・嵯峨・太秦・西山・東山のかたほとりについて、御堂の廻廊、社の拝殿などにたちやどッてぞ、しかるべき人々もましましける。今度の都うつりの本意をいかにといふに、旧都は南都・北嶺近くして、いささかの事にも春日の神木、日吉の神輿などいひて、みだりがはし。福原は山へだたり、江かさなッて、程もさすが遠ければ、さ様のこと、たやすからじとて、入道相国の、はからひいだされたりけるとかや。


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「平家物語連続講義放送リスト」

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〈現代語訳〉


今回の福原遷都を帝も臣下のものもお嘆きなっていた。比叡山延暦寺や奈良の興福寺をはじめとして、様々な神社や寺院にいたるまで、「遷都はすべきではなかった」との旨を、一同が訴え申すので、あれほど我の強い清盛入道も、「それならば都を戻そう」ということになり、都中が騒然となった。同じく治承四年十二月二日、突然に都帰りが行われた。新都福原の地の北側は山に沿って高く、南側は海に近く低くなっている。波の音がいつもうるさく、潮風が激しいところである。それによって高倉院はいつからともなく病気がちなったので、急いで福原から出ていきなさった。摂政藤原基通 (ふじわらのもとみち)殿をはじめもうしあげて、太政大臣以下の公卿や殿上人が、われもわれもとお供し申し上げた。清盛入道をはじめとして、平家一門の公卿や殿上人が我れ先に急いで都へと移りなさった。誰が不快な思いをした福原の都に片時も残るだろうか、いや誰も残らない。


去る六月から京の都から屋敷を取り壊して取り寄せて、資材や道具などを運び下して、もとの形のような家をなんとか整えたのだったが、今回また正気とは思えない程、突然に都帰りが決まったので、なんの処置もできぬまま、そのまま打ち捨てて上京しなさった。それぞれが住処をなくして、八幡(やはた)・賀茂(かも)・嵯峨(さが)・太秦(うづまさ)・西山(にしやま)・東山(ひがしやま)など京の郊外に辿り着き、寺の御堂の回廊や、神社の拝殿などに宿って、相当な身分の人々もいらっしゃった。今回の福原遷都の本来の目的は何かというと、もとの都では奈良の興福寺や比叡山延暦寺が近くて、少しのことにも春日神社の神木や、日吉神社の神輿などが持ち出されて煩わしい。福原は山で隔たれて、川が重なって、道のりも遠いので、そのような煩わしいことは、簡単にできないだろうと、清盛入道が計画されたとかいうことだった。

posted by manabiyah at 00:00| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする