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2011年12月22日

10分でわかる「平家物語」巻五「奈良炎上」その2(平重衡が総勢4万騎で奈良を攻める)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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平家は四万余騎を二手にわかッて、奈良坂・般若寺二ケ所の城郭に押しよせて、時をどッとつくる。大衆はみな、かち立ちうち物なり。官軍は馬にてかけまはしかけまはし、あそこここに追ッかけ追ッかけ、さしつめ、ひきつめ、散々に射ければ、ふせくところの大衆、かずをつくいて討たれにけり。


卯刻に矢合して、一日たたかひくらす。夜に入ッて奈良坂・般若寺二ケ所の城郭ともにやぶれぬ。おちゆく衆徒のなかに、坂四郎永覚といふ悪僧あり。打物もッても、弓矢をとッても、力のつよさも、七大寺・十五大寺にすぐれたり。もえぎ威の腹巻の上に、黒糸威の鎧を重ねてぞ着たりける。帽子甲に五牧甲の緒をしめて、左右の手には、茅の葉のやうにそッたる白柄の大長刀、黒漆の大太刀もつままに、同宿十余人、前後に立て、てンがいの門よりうッていでたり。これぞしばらくささへたる。多くの官兵、馬の足ながれてうたれにけり。されども官軍は大勢にて、いれかへ、いれかへ、せめければ、永覚が前後左右にふせくところの同宿みな討たれぬ。永覚ただひとり、たけけれど、後ろあらはになりければ、南をさいておちぞゆく。


夜いくさになッて、暗さはくらし、大将軍頭中将、般若寺の門の前にうッ立ッて、「火をいだせ」とのたまふ程こそありけれ、平家の勢のなかに、播磨国住人福井庄下司、二郎大夫友方といふもの、楯をわり、たい松にして、在家に火をぞかけたりける。十二月廿八日の夜なりければ、風ははげしし、ほもとは一つなりけれども、吹きまよふ風に、多くの伽藍に吹きかけたり。


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」
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〈現代語訳〉


平家は四万騎を二手に分けて、奈良阪、般若寺の二箇所の城郭に押し寄せときの声をどっとあげた。興福寺の衆徒はみな、徒歩で立って太刀をもっていた。官軍である平家側は馬で辺りをかけまわって、あちこちへ追いかけていって、矢をつがえ、ひきしぼり、次々に討ったので、守りについていた衆徒たちは、いる限りのものが皆討たれてしまった。


午前六時ころから矢を合わせて、一日中戦い続けた。夜に入って奈良阪と般若寺の二箇所の城郭がともに敗れた。落ちのびていく衆徒の中に、坂四郎永覚(さかのしろうようかく)といふ荒法師がいた。ようかくは刀を持っても、弓矢を持っても、力の強さでも、寺々の中でもすぐれていた。もえぎおどしの鎧に、黒糸おどしの鎧を重ねてきていた。略式のかぶとの上に、五段仕立てになっているかぶとを被り、緒をしめて、左右の手には「ちがや」の葉のように、反った白木の大長刀を持ち、黒い漆塗りの大きい太刀を持ったまま、仲間の僧を十人あまり前後に立たせて、てんがいの門からうって出た。このようかくが、しばらく攻撃を防御した。多くの平家側の兵が、馬の足を長刀で横から切られて討たれた。それでも官軍は大軍だったので、入れ替わり入れ替わりして攻めたので、ようかくの前後左右で防御していた仲間たちはみな討たれてしまった。ようかくはただ一人、勇猛であったが、後ろ側があらわになって防御できなくなったので、南を目指して落ち延びた。


夜の戦いとなって、あたりはすっかり暗くなって、大将軍平重衡は般若寺の門の前にたって、「火を灯せ」とおっしゃるところまでは良かったが、平家の軍勢のひとりである、播磨の国の住人で福井庄の下級の役人である二郎大夫友方というものが、楯を割って、たいまつにして、あたりの民家に火をつけた。十二月二十八日の夜のことだったので、風は激しく、火元はひとつであったが、吹き惑う風によって、多くの寺の伽藍へと炎が吹きかかった。


posted by manabiyah at 00:00| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする