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2012年02月16日

10分でわかる「平家物語」巻六「廻文」(木曾義仲の生い立ちと元服の様子)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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繰り返し聴くこともできます。(ページ下に全訳あり。)


其比信濃国に、木曾冠者義仲といふ源氏ありときこえけり。故六条判官為義が次男、故帯刀の先生義賢が子なり。父義賢は久寿二年八月十六日、鎌倉の悪源太義平が為に誅せらる。其時義仲二歳なりしを、母泣く泣くかかへて信濃へこえ、木曾中三兼遠がもとにゆき、「是いかにもして育てて、人になして見せ給へ」といひければ、兼遠うけとッて、かひがひしう廿余年養育す。


やうやう長大するままに、力も世にすぐれてつよく、心もならびなく剛なりけり。「ありがたきつよ弓、勢兵、馬の上、かちだち、すべて上古の田村・利仁・余五将軍、致頼・保昌・先祖頼光、義家朝臣といふとも、いかでか是にはまさるべき」とぞ、人申しける。或時めのとの兼遠を召して宣ひけるは、「兵衛佐頼朝既に謀叛をおこし、東八ケ国をうちしたがへて、東海道よりのぼり、平家を追ひ落さんとすなり。義仲も東山・北陸両道をしたがへて、今一日も先に平家を攻め落し、たとへば、日本国ふたりの将軍と言はればや」とほのめかしければ、中三兼遠、大きにかしこまり悦んで、「其にこそ君をば今まで養育し奉れ。かう仰らるるこそ、誠に八幡殿の御末ともおぼえさせ給へ」とて、やがて謀叛をくはたてけり。


兼遠に具せられて、つねは都へのぼり、平家の人々の振舞、ありさまをも見うかがひけり。十三で元服しけるも、八幡へ参り八幡大菩薩の御まへにて、「我四代の祖父義家朝臣は、此御神の御子となて、名をば八幡太郎と号しき。かつは其跡をおふべし」とて、八幡大菩薩の御宝前にてもとどりとりあげ、木曾次郎義仲とこそついたりけれ。


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」

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〈現代語訳〉


その頃、信濃の国に、木曾冠者義仲という源氏がいるとうわさになった。亡くなった六条判官源為義の次男、皇太子警護の長を担った源義賢(よしかた)の子である。父である義賢は久寿(きゅうじゅ)二年八月十六日に、鎌倉の悪源太のために殺された。その時は義仲は二歳だったのだが、母が泣く泣く義仲をかかえて信濃へと逃げのび、木曾の中三、中原兼遠のもとにいって、この子をどうにか育てて一人前にしてくださいと言ったので、兼遠が預かって、骨身を惜しまず20年あまり養育した。


次第に成長するにつれて力も世にすぐれて強くなり、心も他に並ぶものがないくらいに猛々しいものであった。「義仲様のような弓の腕前の優れた者は、馬上でも徒歩でも、すべて昔の坂上田村麻呂、平維茂、平致頼、藤原保昌、先祖である源頼光、源義家、と言っても、どうしてこの義仲様にまさるだろう。」と、人々は申した。ある時、義仲が育ててくれた兼遠をお呼びになっておっしゃったのは「兵衛佐、源頼朝は既に謀叛をおこし、関東8カ国を従え、東海道から都へ攻めのぼって平家を追い落とそうとするそうだ。私、義仲も東山道、北陸道を攻めて、さらに一日でもはやく先に平家を攻め落として、てっとりばやく言うと、日本国に二人の将軍がいると言われたいのだ。」という意志を示したところ、中原兼遠は大いにかしこまり喜んで、「そのためにこそあなたを今までお育て申し上げたのだ。このようにおしゃられてこそ、本当に八幡太郎源義家さまの子孫であると思われます。」といってすぐに謀反を企てた。


義仲は兼遠につれられていつも都にのぼって、これまでの平家の人々の振舞や有様を見てうかがっていた。13歳で元服した時も、八幡にお参りして八幡大菩薩の前で、「私の四代前の祖父、源義家は、この八幡様の子となって名前を八幡太郎と名乗った。私もここで元服してその一方でその源義家朝臣の跡をつごう。」と、八幡大菩薩の神前で髪をあげて木曾の次郎義仲と名乗った。

posted by manabiyah at 00:00| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする