「平家物語」各場面の原文朗読・現代語訳・解説の音声ファイルを公開しています。
全て無料でダウンロード可能です。
オススメの使い方は→こちらをご参照ください。

2012年02月23日

10分でわかる「平家物語」巻六「飛脚到来」(義仲の反平家の動きを知った平家側の反応、源氏側のさらなる動き)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
再生ボタンをクリックして聴くことができます。(各回10分程度)
右端のDLボタンからダウンロードしてiPodなどに入れて、
繰り返し聴くこともできます。(ページ下に全訳あり。)


木曾といふ所は、信濃にとても南のはし、美濃ざかひなりければ、都も無下にほどちかし。平家の人々漏れ聞いて、「東国のそむくだにあるに、北国さへこはいかに」とぞ騒がれける。入道相国仰られけるは、「其もの心にくからず。おもへば信濃一国の兵共こそしたがひつくといふとも、越後国には余五将軍の末葉、城太郎助長、同四郎助茂、これらは兄弟共に多勢のもの共なり。仰くだしたらんずるに、やすう討て参らせてんず」とのたまひければ、「いかがあらんずらむ」と、内々はささやくものも多かりけり。二月一日、越後国住人城太郎助長、越後守に任ず。是は木曾追討せられんずるはかり事とぞ聞えし。同七日、大臣以下、家々にて尊勝陀羅尼、不動明王書供養ぜらる。是は又兵乱つつしみのためなり。


同九日、河内国石河郡に居住したりける武蔵権守入道義基、子息石河判官代義兼、平家をそむひて兵衛佐頼朝に心をかよはし、已に東国へ落ち行くべきよし聞こえしかば、入道相国やがて打手をさしつかはす。打手の大将には、源太夫判官季定、摂津判官盛澄、都合其勢三千余騎で発向す。城内には武蔵権守入道義基、子息判官代義兼を先として、其勢百騎ばかりには過ぎざりけり。時つくり矢合して、入れ替へ入れ替へ、数剋たたかふ。城内の兵ども、手の際たたかひ打ち死にするもの多かりけり。武蔵権守入道義基打死す。子息石河判官代義兼はいた手負うて生捕りにせらる。


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」

------------------------------------------------------------------------------------
【アイテム紹介】「人形歴史スペクタクル 平家物語」。これは名作!原作は吉川英治「新平家物語」。1993年12月から1995年1月にわたってNHK総合にて放送された人形劇。子どもの頃観ていたという人も、まだ観た事がないという人も、これは絶対に「繰り返し」観ておくべき作品。川本喜八郎の人形世界が実に素晴らしい。人形の造形、動きのひとつひとつが、美しく、表情豊かで、感動してしまいます。クオリティ高いです。大人の鑑賞に耐えうる作品、いや、むしろ大人こそが観るべき。「大人買い」推奨です!

タイトルor画像↓をクリックすると詳細が表示されます。
人形歴史スペクタクル 平家物語 完全版 DVD SPECIAL BOX

------------------------------------------------------------------------------------

〈現代語訳〉


木曽という場所は、信濃の国といっても南の端で美濃の国との国境であったので、都にもとても近い。平家の人々は義仲の動きを漏れ聞いて、「東国が背いたのでさえ大変であるのに、北の国までもが背くとはどうしたことだ。」と騒ぎなさった。清盛入道がおっしゃったことには「その木曽とやらは恐るるに足らない。思えば信濃一国の武士どもが義仲に従っても、越後の国に、平維茂の子孫、城太郎助長(じょうのたろう すけなが)、同四郎助茂(すけもち)がいる。このものたちは兄弟ともに、多くの武士を従えている。彼らに命令をくだしたら、きっとたやすく討ち申し上げるだろう。」とおっしゃったので、「どうであろう」と内々でささやく者も多かった。二月一日に、越後国住人である城太郎助長を越後守(えちごのかみ)に任じた。これは木曽義仲を討つための計略であるとうわさになった。同じく二月七日に大臣以下の家々では、尊勝陀羅尼(しんじょうだらに)や不動明王(ふどうみょうおう)を書いて供養がされた。これは戦乱を鎮圧するためのものである。


同じく二月九日、河内の国の石河郡(いしかわのこおり)に居住していた武蔵権守(むさしのごんのかみ)入道義基(にゅうどうよしもと)、子息石河判官代(いしかわのほうがんだい)義兼(よしかぬ)が、平家に背いて、源頼朝と通じて、すぐにでも東国へ落ちのびていくだろうという旨がうわさになったので、清盛入道はすぐに追っ手をつかわした。打手の大将には、源太夫判官季定(げんだいふ・ほうがんすえさだ)と、摂津判官盛澄(せっつのほうがん・もりずみ)が任命された。あわせて軍勢3000騎で出発する。場内では源義基・義兼親子をはじめとして、軍勢は100騎程度に過ぎなかった。戦いのかけ声をあげ、開戦の合図の矢が飛び、軍勢が入れ替わりながら数時間戦った。城の中の兵たちは、力の限り戦って討ち死にするものが多かった。武蔵権守入道義基は打ち死にした。息子である源義兼は痛手を負って生け捕りにされた。

posted by manabiyah at 00:00| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする