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2012年04月12日

10分でわかる「平家物語」巻七「清水冠者」(わが子を頼朝に人質として預ける義仲)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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寿永二年三月上旬に、兵衛佐と木曾冠者義仲不快の事ありけり。兵衛佐木曾追討の為に、其勢十万余騎で信濃国へ発向す。木曾は依田の城にありけるが、是を聞いて依田の城を出て、信濃と越後の境、熊坂山に陣をとる。兵衛佐は同き国善光寺に着き給ふ。木曾乳母子の今井四郎兼平を使者で、兵衛佐の許へつかはす。


「いかなる子細のあれば、義仲討たむとはのたまふなるぞ。御辺は東八ケ国をうちしたがへて、東海道より攻めのぼり、平家を追ひおとさむとし給ふなり。義仲も東山・北陸両道をしたがへて、今一日もさきに、平家を攻おとさむとする事でこそあれ。なんのゆへに御辺と義仲と中をたがうて、平家に笑はれんとは思ふべき。但十郎蔵人殿こそ御辺を恨むる事ありとて、義仲が許へおはしたるを、義仲さへすげなうもてなし申さむ事、いかんぞや候へば、うちつれ申たれ。またく義仲においては、御辺に意趣思ひ奉らず」といひつかはす。


兵衛佐の返事には、「今こそさやうにはのたまへども、慥に頼朝討べきよし、謀反のくはたてありと 申す者あり。それにはよるべからず」とて、土肥・梶原をさきとして、既に討手をさしむけらるる由聞えしかば、木曾真実意趣なき由をあらはさむがために、嫡子清水冠者義重とて、生年十一歳になる小冠者に、海野・望月・諏方・藤沢などいふ、聞ゆる兵どもをつけて、兵衛佐の許へつかはす。兵衛佐「此上はまことに意趣なかりけり。頼朝いまだ成人の子をもたず。よしよし、さらば子にし申さむ」とて、清水冠者を相具して、鎌倉へこそ帰られけれ。


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」


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清水冠者──平井真軌
北国下向──下條アトム
竹生島詣──菊川怜
倶梨伽羅落──山寺宏一
篠原合戦・実盛──津嘉山正種
主上都落・福原落──広瀬彩
維盛都落──近藤正臣
忠度都落──下條アトム
経正都落──新内仲三郎
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〈現代語訳〉


寿永二年三月上旬に、頼朝と義仲の間に対立があった。頼朝は義仲追討のために、総勢十万騎あまりで、信濃の国へ向かった。木曽は依田の城にいたが、このことを聞いて依田の城を出て、信濃と越後の境である熊坂山に陣をしいた。頼朝は同じ信濃の国、善光寺に着きなさった。木曽は、乳母の子である今井四郎兼平使者として、頼朝のもとに遣わす。


「どのような事情があって、義仲を討とうなどとおっしゃるとのことなのか、あなたは関東8ヶ国を従えて、東海道から攻め上って、平家を追い落とそうとしなさるそうだ。私、義仲も東山道、北陸道をしたがえて、ただ一日でも先に、平家を攻め落とそうとすることである。どういうわけで、あなたと私が仲違いをして、平家に笑われようと思うだろうか。ただし、源行家殿があなたを恨むことがあるといって、私、義仲のもとにいらっしゃったので、その上、私、義仲までもが、行家殿をつめたくもてなし申し上げるようなことは、いかがなものかと思いますので、お連れ申し上げているのだ。全く義仲自身としては、あなたを恨み申し上げません。」と言いつかわした。


頼朝の返事には「今はそのようにおっしゃるが、たしかに私頼朝を討とうとする謀反の企てがあると申すものがいる。あなたの言うことは信じられない。」といって、土肥実平(さねひら)や梶原景時(かげとき)を先陣として、今にも討ち手をさしむけられるとの旨がうわさになったので、義仲は本当に頼朝を恨む気持ちが無いことを示すために、嫡子の清水冠者義重といって、11歳になる元服まもない若者に、海野・望月・諏方・藤沢という名だたる武士達をつけて、頼朝のもとにつかわした。頼朝の言うことには「この様子ならば本当に謀反の気持ちはないのだなあ。私、頼朝はまだ成人した子を持っていない。良い良い。それならこの者をわが子に申し上げよう。」と清水冠者義重を連れて、鎌倉へお帰りになった。


posted by manabiyah at 00:00| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする