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2012年07月12日

10分でわかる「平家物語」巻七「経正都落」(平経正が琵琶の名器青山を仁和寺の御室に返す)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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繰り返し聴くこともできます。(ページ下に全訳あり。)



御室やがて御出あッて、御簾たかくあげさせ、「是へこれへ」とめされければ、大床へこそ参られけれ。供に具せられたる藤兵衛有教をめす。赤地の錦の袋に入れたる御琵琶もッて参りたり。経正是をとりついで、御前にさしをき、申されけるは、「先年下しあづかッて候ひし青山もたせ参ッて候ふ。あまりに名残は惜しう候へども、さしもの名物を田舎の塵になさん事、口惜う候ふ。もし不思議に運命ひらけて、又都へ立帰る事候はば、其時こそ猶下しあづかり候はめ」と泣々申されければ、御室哀れに思し召し、一首の御詠を遊ばいてくだされけり。


 あかずしてわかるる君が名残をばのちのかたみにつつみてぞおく



経正御硯くだされて、



 くれ竹のかけひの水はかはれどもなほすみあかぬみやの中かな



さていとま申して出られけるに、数輩の童形・出世者・坊官・侍僧に至るまで、経正の袂にすがり、袖をひかへて、名残を惜しみ涙をながさぬはなかりけり。其の中にも、経正の幼少の時、小師でおはせし大納言法印行慶と申すは、葉室大納言光頼卿の御子なり。あまりに名残を惜しみて、桂川のはたまでうちおくり、さてもあるべきならねば、それよりいとまこうて、泣々わかれ給ふに、法印かうぞ思ひつづけ給ふ。



 あはれなり老木わか木も山ざくらおくれさきだち花はのこらじ


経正の返事には、


 旅ごろも夜な夜な袖をかたしきておもへばわれはとほくゆきなん


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」

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〈現代語訳〉


仁和寺の住職である御室はすぐにお出ましになって、御簾を高く挙げさせて、こちらへこちらへ、とお呼びになったので、経正は大床へと参った。経正は供としてお連れになっていた藤兵衛有教(とうびょうえ・ありのり)をお呼びになった。有教は赤い地の錦の袋に入れた琵琶をもって参上した。経正がこれを受け取り、前において、申されたことには「以前に頂き預かっておりました青山を持たせてまいっております。あまりに名残惜しくはございますが、これほどの名器を田舎の塵になすようなことは残念でございます。もし不思議なことに運命がひらけて、再び都に帰ることでもございましたら、其の時に、また頂き預かりたくございます。」と泣きながら申し上げたので、御室は悲しくお思いになって、一種の和歌をお詠みになり、くださった。

「心ならずも 別れるあなたの 名残として 後の形見に 包んでおこう」

経正は硯をお借りして

「呉竹の かけいの水は 変わっても やはり住み飽きることのない 宮の中だなあ」

そして経正がおいとま申して出られると、数輩(すはい)の童形(とうぎょう)・出世者(しゅっせしゃ)・坊官(ぼうかん)・侍僧(さぶらいぞう)に至るまで、経正のたもとにすがって、袖をとらえて、名残を惜しんで涙を流さないものはいなかった。その中でも経正が幼い頃に、若い僧でおられた大納言の法印行慶(ぎょうけい)と申すものは、葉室(はむろ)大納言光頼卿(こうらいきょう)の子であった。あまりに名残を惜しんで、桂川のほとりまで送っていき、ずっとそのままでいられはしないので、そこでおいとま申し上げて、泣く泣く別れなさる時、法印はこのように思い、歌としてつづけなさった。

「切ないことだよ 老木も若木も 山桜は 先立たれたり先立ったりして 結局花は残らないのだろう」

経正の返歌には、

「旅の衣で 夜な夜な袖を 片方だけ敷いて 考えてみれば私は 遠くへといくのだなあ」




posted by manabiyah at 00:00| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする