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2014年01月11日

10分でわかる「平家物語」巻十一「能登殿最期その2」(平家の勇士、平教経が最期を迎える)



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判官かなはじとや思はれけん、長刀脇にかいはさみ、みかたの舟の二丈ばかりのいたりけるに、ゆらりととびのり給ひぬ。能登殿ははやわざやおとられたりけん、やがてつづいてもとび給はず。今はかうと思はれければ、太刀長刀海へなげ入れ、甲もぬいですてられけり。鎧の草摺かなぐりすて、胴ばかりきて、大童になり、おほ手をひろげてたたれたり。凡そあたりをはらッてぞ見えたりける。恐ろしなンどもおろかなり。能登殿大音声をあげて、「われと思はん者どもは、よッて教経に組んでいけどりにせよ。鎌倉へくだてッ、頼朝にあうて、物ひと詞いはんと思ふぞ。よれやよれ」とのたまへども、よる者一人もなかりけり。


ここに土佐国の住人安芸郷を知行しける安芸大領実康が子に、安芸太郎実光とて、卅人が力もッたる大力の剛の者あり。われにちッともおとらぬ郎等一人、おととの次郎も普通にはすぐれたるしたたか者なり。安芸の太郎、能登殿を見奉ッて申けるは、「いかにたけうましますとも、我等三人とりついたらんに、たとひたけ十丈の鬼なりとも、などかしたがへざるべき」とて、主従三人小舟に乗ッて、能登殿の舟におしならべ、えいと言ひてのりうつり、甲のしころをかたぶけ、太刀をぬいて一面にうッてかかる。能登殿ちッとも騒ぎ給はず、まッさきにすすんだる安芸太郎が郎等を裾をあはせて、海へどうどけ入れ給ふ。つづいてよる安芸太郎を弓手の脇にとてはさみ、弟の次郎をば馬手のわきにかいはさみ、ひとしめしめて、「いざうれ、さらばおのれら死途の山のともせよ」とて、生年廿六にて海へつッとぞ入り給ふ。


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「平家物語連続講義放送リスト」
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〈現代語訳〉


義経は教経に叶うまいと思われたのだろうか、長刀を脇に挟んで、味方の舟で二丈ほど離れていた舟に、ゆらりと飛び乗りなさった。教経は、敏捷さでは劣っておられたのか、すぐに続けて飛びうつることはなさらない。「もはやこれまで」と思われたので、太刀や長刀を海へ投げ入れて、かぶとも脱いでお捨てになった。よろいのくさずりも乱暴に捨て、鎧の胴だけを着て、髪はもとどりを解いたまま童のようなふうで、肩から手先まで手を広げてお立ちになられた。まったく周囲を寄せ付けない様子に見えなさった。恐ろしいなどと言う言葉ではいいつくせない。教経は大声をあげて「我と思うようなものは、組み合って私教経を生け捕りにしろ。鎌倉へと下って頼朝にあって、一言いおうと思うぞ。寄って来い!」とおっしゃったが、寄っていくものは一人もいなかった。


ここで土佐の国の住人で、安芸の郷(ごう)を知行していた安芸の大領(だいりょう)実康(さねやす)の子で、安芸の太郎実光(さねみつ)といって、三十人分の力を持っている怪力の豪傑がいた。実光自身にも劣らない郎等が一人がいて、さらに弟の次郎も並外れた力の強いものである。実光が、教経を見申し上げて申したことには、「どんなにあなたが猛々しくいらっしゃっても、我々三人が組み付いたら、たとえ十丈の鬼であっても、どうして従わないだろうか。いや従う。」主従三人は小舟に乗って教経の舟に並んで、えいっと乗り移って、かぶとの側面のしころを傾け首を防御しながら、太刀をぬいて横一列にうってかかった。教経はまったく動じることなく、まっさきに進んでいた実光の郎等の足を払って、海へどっと蹴り入れなさった。続いて寄ってきた安芸太郎実光を左の脇にはさみ、弟の次郎を右の脇にはさんで、一度、ぐっと締め付けて「さあお前ら、ならば私の冥土の旅への供をしろ。」といって、生年二十六歳、平教経は海へとつっとお入りになった。



posted by manabiyah at 22:53| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする