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2014年01月17日

10分でわかる「平家物語」巻十一「内侍所都入」(平知盛が亡くなり、壇の浦の合戦が終焉を迎える)



↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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新中納言「見るべき程の事は見つ、いまは自害せん」とて、めのと子の伊賀平内左衛門家長をめして、「いかに、約束は違ふまじきか」とのたまへば、「子細にや及び候ふ」と、中納言に鎧二領着せたてまつり、我身も鎧二領きて、手をとり組ンで海へぞ入りにける。是を見て侍共廿余人おくれたてまつらじと、手に手を取り組ンで、一所にしづみけり。其中に、越中次郎兵衛・上総五郎兵衛・悪七兵衛・飛弾四郎兵衛はなにとしてか逃れたりけん、そこをも又落ちにけり。


海上には赤旗赤じるし投げすて、かなぐりすてたりければ、竜田河の紅葉ばを嵐の吹き散らしたるがごとし。みぎはに寄するしら浪もうすぐれなゐにぞなりにける。主もなきむなしき舟は、塩にひかれ風にしたがッて、いづくをさすともなくゆられゆくこそ悲しけれ。


生どりには、前の内大臣宗盛公、平大納言時忠、右衛門督清宗、蔵頭信基、讃岐中将時実、兵部少輔雅明、大臣殿の八歳になり給ふ若公、僧には二位僧都宣真・法勝寺執行能円・中納言律師仲快・経誦房阿闍梨融円、侍には源大夫判官季貞・摂津判官盛澄・橘内左衛門季康・藤内左衛門信康・阿波民部重能父子、以上卅八人也。菊地次郎高直・原田大夫種直は、いくさ以前より郎等どもあひ具して降人に参る。女房には、女院、北の政所、廊の御方、大納言佐殿、帥のすけ殿、治部卿局已下四十三人とぞ聞えし。元暦二年の春の暮れ、いかなる年月にて一人海底にしづみ、百官波上にうかぶらん。国母官女は東夷西戎の手にしたがひ、臣下卿相は数万の軍旅にとらはれて、旧里に帰り給ひしに、或は朱買臣が錦をきざる事をなげき、或は王照君が胡国におもむきし恨みもかくやとぞかなしみ給ひける。


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「平家物語連続講義放送リスト」
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〈現代語訳〉


平知盛は「見るべきほどのものは見た。今は自害しよう」と、めのとごである伊賀の平内左衛門家長をお呼びになって、「どうだ。約束は破らないだろうな。」とおっしゃったので、「あれこれ言うことがありましょうか、いやありません。」と、家長は知盛に鎧をふたつ着せもうしあげて、自身も鎧をふたつ身につけて、二人は手をとりあって海に入ってしまった。これをみて平家の侍たち二十人あまりが遅れ申し上げまいと、手に手をとりあってともに海に沈んだ。その中でも越中の次郎兵衛・上総の五郎兵衛・悪七兵衛・飛弾の四郎兵衛たちは、どうやって逃れたのだろうか、そこをもまた落ち延びた。

海の上には平家の赤旗や赤印が投げ捨てられ、乱暴に捨てられていたので、竜田川の紅葉ばを嵐が吹き散らしたようであった。水際に寄せる白い波もうすい赤色になってしまった。主のいない空っぽの舟は潮にひかれて風にうごかされて、どこを指すということもなくゆられていくのは悲しいことだ。

生どりになったのは、前の内大臣宗盛公、平大納言時忠、右衛門の督清宗、蔵頭信基、讃岐の中将時実、兵部少輔雅明、大臣殿の八歳になり給ふ若公、僧には二位の僧都宣真・法勝寺の執行能円・中納言の律師仲快・経誦房の阿闍梨融円、侍には源大夫の判官季貞・摂津の判官盛澄・橘内左衛門季康・藤内左衛門信康・阿波の民部重能父子、以上、三十八人である。女性たちは、女院、北の政所、廊の御方、大納言の佐殿、帥のすけ殿、治部卿の局以下四十三人ということだった。元暦二年の春の暮れは、どういう年月として、帝が海底に沈んだり、たくさんの役人たちが波の上に浮かんでいるのだろう。帝の母であった建礼門院や、女官たちが東国と鎮西の源氏の武者の手にゆだねられ、臣下の公卿たちは数万の軍隊にとらえられて、故郷のみやこへと帰りなさったのだが、ある者は朱買臣のように錦を着なかったことを嘆き、ある者は王照君が胡国に赴いた悲しみもこうだったのかと悲しみなさった。



posted by manabiyah at 08:52| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする