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2014年01月24日

10分でわかる「平家物語」巻十一「一門大路渡」(壇の浦の合戦に敗れ、生け捕りにされた平家の人々が都を引き回される)



↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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大臣殿、さしも花やかに清げにおはせし人の、あらぬさまに痩せ衰へ給へり。されども、四方見めぐらして、いと思ひしづめる気色もおはせず。右衛門督はうつぶして目も見あげ給はず。誠に思ひ入れたる気色なり。土肥次郎実平、木蘭地のひたたれに小具足ばかりして、随兵卅余騎、車の先後にうち囲んで守護したてまつる。見る人都のうちにもかぎらず、凡そ遠国近国、山々寺々より、老たるも若きも、来たりあつまれり。鳥羽の南の門・つくり道・四塚までひしとつづいて、いく千万といふ数を知らず。人は顧る事をえず。車は輪をめぐらす事あたはず。治承・養和の飢饉、東国・西国のいくさに、人だねほろび失せたりといへども、猶のこりは多かりけりとぞ見えし。


都を出でてなか一年、無下にまぢかき程なれば、めでたかりし事もわすられず。さしも恐れおののきし人のけふの有様、夢うつつともわきかねたり。心なきあやしのしづのを、しづのめにいたるまで、涙をながし袖をしぼらぬはなかりけり。まして馴れちかづきける人々の、いかばかりの事をか思ひけん。年来重恩をかうむり、父祖のときより伺候したりし輩の、さすが身のすてがたさに、多くは源氏についたりしかども、昔のよしみたちまちに忘るべきにもあらねば、さこそはかなしう思ひけめ。されば袖を顔に押しあてて、目を見あげぬ者も多かりけり。

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〈現代語訳〉


宗盛殿は、あれほどに華やかで美しくいらっしゃた人であったが、別人のようにやせ衰えなさっている。しかしながら、辺りを見渡して、ふかく思いしずんだ様子もおありでない。宗盛の息子清宗はうつぶして目もあげなさならない。本当に思いしずんだ様子である。土肥の次郎実平は、黒みをおびた黄赤色の直垂に、頬あてや、すねあて等だけをつけて、付き従う武士達が30騎あまり、車の前後を囲んで警護し申し上げた。この様子を見る人は都の中の人だけに限らず、だいたい遠い国、近い国、様々な山から寺から、老人も若者もやってきて集まった。鳥羽の南の門・つくり道・四塚まで人々がびっしりと連なって、幾千、幾万いるのか、数も知れない。人は振り返っても後ろが見えない。車は車輪を回して動くことができない。治承・養和の飢饉や、東国・西国でのいくさによって、人々が滅んで亡くなって数が減ったというが、依然として生き残った人は多かったのだと見えた。


平家の人々が都を離れてから、なか一年。それはとても最近のことであるので、平家の栄華の素晴らしかったことは人々も忘れていない。あれほど人々がその権勢に恐れおののいた平家の者たちの今日の様子は、夢とも現実とも分からないくらいだ。ものの道理のわからないはずの賎しい身分の男も女も、涙を流して、その涙で袖を絞らないものはいなかった。ましてや、平家の近くで慣れ親しんだ人々は、どれほどのことを思っただろうか。長年平家から重い恩を受けて、父祖の代からお仕えしていたものは、そうはいっても自分の身の捨て難さから、多くの者は源氏についていたが、昔の縁をすぐに忘れることはできないので、さぞかし悲しく思ったであろう。だからこそ袖を顔におしあてて、目をあげない者も多かった。


posted by manabiyah at 08:40| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする