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2014年02月07日

10分でわかる「平家物語」巻十一「腰越」(義経は鎌倉に入ることを許されず腰越にとどめおかれる)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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繰り返し聴くこともできます。(ページ下に全訳あり。)


金洗沢に関すゑて、大臣殿父子うけとり奉ッて、判官をば腰越へおッかへさる。鎌倉殿は随兵七重八重にすゑおいて、我身はそのなかにおはしましながら「九郎は進疾き男なれば、この畳の下よりはひいでんずるものなり。ただし頼朝はせらるまじ」とぞのたまひける。


判官思はれけるは、「こぞの正月、木曾義仲を追討せしよりこのかた、一の谷・壇の浦にいたるまで、命をすてて平家をせめおとし、内侍所、璽の御箱、事ゆゑなくかへしいれ奉り、大将軍父子いけどりにして、具してこれまでくだりたらんには、たとひいかなる不思議ありとも、一度はなどか対面なかるべき。およそは九国の惣追捕使にもなされ、山陰・山陽・南海道、いづれにてもあづけ、一方のかためともなされんずるとこそ思ひつるに、わづかに伊予国ばかりを知行すべきよし仰せられて、鎌倉へだにも入られぬこそほいなけれ。さればこは何事ぞ。日本国をしづむる事、義仲・義経がしわざにあらずや。たとへばおなじ父が子で、先にむまるるを兄とし、後にむまるるを弟とするばかりなり。誰か天下を知らんに知らざるべき。あまッさへ今度見参をだにもとげずして、おいのぼせらるるこそ遺恨の次第なれ。謝するところをしらず」とつぶやかれけれども、ちからなし。


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「平家物語連続講義放送リスト」

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【アイテム紹介】「義経記」はちょうど平家物語で描いている物語の前後に該当する時代の義経の人生を物語としている作品です。世の中に知られている義経や弁慶のイメージはこの「義経記」に描かれた像によるところが大きいです。この小学館のバージョンは原文と現代語訳が段組みになっていて、読みやすく、注釈もしっかりと施されています。義経について、もっと深く知りたい方は是非「義経記」を。

タイトルor画像↓をクリックすると詳細が表示されます。

新編日本古典文学全集 62 義経記

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〈現代語訳〉


金洗沢(かねあらいざわ)には関所が設けられて、宗盛親子は受け取り申し上げられたが、義経は腰越へと追い返された。頼朝は警護の武者をいくえにも囲ませ、自身はその中にいらっしゃったまま、「九郎はすばやい男なので、この畳の下からでも這い出て来そうなものだ。ただ、私頼朝はそんなことをされるつもりはないぞ。」とおっしゃった。


義経が思われたことには「去年の正月に、木曾義仲を追悼した時から今まで、一の谷の合戦、壇の浦の合戦にいたるまで、命をすてて平家を攻め落として、八咫鏡と八尺瓊勾玉を無事に取り返し申しあげて、宗盛親子を生け捕って、連れてここまで下ったからには、たとえどんな不都合があっても、どうして一度も対面しないことがあろうか、いや対面するべきだ。本来なら私を九州の警備の役にもおつけになって、山陰道や山陽射道や南海道のどれでも預けて、ひとつの方向の守備を任されるだろうと思ったのに、わずかに伊予の国だけを治めろとの旨だけをおっしゃられて、鎌倉へさえも入れられないのは不本意だ。いったいこれはどういうことだ。この日本の国の戦乱をしずめたのは、義仲や私義経の業績ではないのか。言ってみれば、同じ父の子で先に生まれたが兄で、後から生まれたのを弟とするだけだ。誰が天下を治めようとして治められないだろうか。その上今回、対面さえも遂げないで、都へ追い返されるのは恨めしいことだ。こちらとしても謝罪のしようもない。」とつぶやいたが、どうしようもない。

posted by manabiyah at 19:00| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする