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2014年04月26日

10分でわかる「平家物語」巻十二「判官都落」(源義経は都を離れ奥州へと逃れる)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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繰り返し聴くこともできます。(ページ下に全訳あり。)


判官頸共きりかけて、戦神にまつり、「門出よし」と悦ンで、大物の浦より船に乗ッて下られけるが、折節西の風はげしくふき、住吉の浦にうちあげられて、吉野の奥にぞこもりける。吉野法師に攻められて、奈良へおつ。奈良法師に攻められて、又都へ帰り入り、北国にかかッて、終に奥へぞ下られける。都よりあひ具したりける女房達十余人、住吉の浦に捨て置きたりければ、松の下、まさごの上に袴ふみしだき、袖をかたしいて泣きふしたりけるを、住吉の神官共憐んで、みな京へぞ送りける。凡そ判官のたのまれたりける伯父信太三郎先生義憲・十郎蔵人行家・緒方三郎維義が船共、浦々島々に打ち寄せられて、互にその行ゑを知らず。忽に西の風ふきける事も、平家の怨霊の故とぞおぼえける。


同十一月七日、鎌倉の源二位頼朝卿の代官として、北条四郎時政、六万余騎を相具して都へ入る。伊予守源義経・備前守同行家・信太三郎先生同義憲追討すべきよし奏聞しければ、やがて院宣をくだされけり。去二日は義経が申しうくる旨にまかせて、頼朝をそむくべきよし庁の御下文をなされ、同八日は頼朝卿の申状によッて、義経追討の院宣を下さる。朝にかはり夕に変ずる世間の不定こそ哀れなれ。


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」
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〈現代語訳〉


義経は敵の首を斬ってさらし、いくさの神に祀って、「幸先良いことだ」と喜んで、大物の浦から船に乗って下られたが、ちょうど西からの風が激しく吹いて、住吉の浦に打ち上げられて、吉野の奥へと逃げて籠った。義経一行は吉野の僧兵たちに攻められて奈良へと落ちた。奈良の僧兵にも攻められて、再び都に戻って、北陸道を経て、とうとう奥州へと下られた。都からともに連れていった女房たち十人あまりを、住吉の浦に捨て置いたので、捨てられた女房たちは松の下、砂の上で袴を踏み乱して、袖を片方敷いて泣き伏していたのを、住吉神社の神官たちがそれを憐れんで、女房を皆、京に送ってやった。そもそも義経があてにしていた伯父の義憲や、行家や、緒方維義らの船達は、浦々島々に打ち寄せられて、お互い、その行方もわからない。義経の出航してすぐに西から風が吹いたことも、平家の怨霊のせいであると思われた。


同じ年の十一月七日に鎌倉の二位源頼朝の代官として北条時政が六万騎を伴って都に入った。源義経・同じく源氏である行家・義憲らを追討すべき旨を後白河法皇に奏上したところ、すぐに院宣が下された。去る二日には義経の申し出る旨に任せて頼朝に背くようにとの院の庁の下し文を出され、同じ月の八日には頼朝卿からの申し状に従って、義経追討の院宣を下された。朝に変わり、夕べにも変ずるという世の中の定めの無さは悲しいことだ。

posted by manabiyah at 13:03| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする