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2014年06月06日

10分でわかる「平家物語」巻十二「六代被斬」その2(六代が斬られ平家断絶へ)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
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ここに文覚もとよりおそろしき聖にて、いろふまじき事にいろひけり。二の宮は御学問おこたらせ給はず、正理を先とせさせ給ひしかば、いかにもして此宮を位に即け奉らんとはからひけれども、前右大将頼朝卿のおはせし程はかなはざりけるが、建久十年正月十三日、頼朝卿うせ給ひしかば、やがて謀反をおこさんとしける程に、忽にもれきこえて、二条猪熊の宿所に官人共つけられ、召しとッて八十にあまッて後、隠岐国へぞながされける。文覚京を出づるとて、「是程老の波に望ンで、けふあすともしらぬ身をたとひ勅勘なりとも、都のかたほとりにはおき給はで、隠岐国までながさるる毬杖冠者こそやすからね。つひには文覚がながさるる国へむかへ申さむずる物を」と申しけるこそおそろしけれ。このきみはあまりに毬杖の玉をあいさせ給へば、文覚かやうに悪口申しけるなり。されば、承久に御謀反おこさせ給ひて、国こそおほけれ、隠岐国へうつされ給ひけるこそふしぎなれ。彼国にも文覚が亡霊あれて、つねは御物語申しけるとぞ聞えし。


さる程に六代御前は三位禅師とて、高雄におこなひすましておはしけるを、「さる人の子なり、さる人の弟子なり。頭をばそッたりとも、心をばよもそらじ」とて、鎌倉殿より頻りに申されければ、安判官資兼に仰せて召捕ッて関東へぞ下されける。駿河国住人岡辺権守泰綱に仰せて、田越川にて切られてンげり。十二の歳より卅にあまるまでたもちけるは、ひとへに長谷の観音の御利生とぞ聞えし。それよりしてこそ平家の子孫はながくたえにけれ。

平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」
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〈現代語訳〉


ところで文覚はもともと恐ろしいほどの修行者で、口出しをするべきでないことに干渉をした。高倉天皇の二宮にあたる宮は学問を怠りなさらず、正しい道理を優先しなさったので、どうにかしてこの宮を帝位につけ申し上げようと計画なさったが、前の右大将頼朝の卿がご存命の時はそれも実現しなかったが、建久十年正月十三日、頼朝卿がお亡くなりになったので、文覚はすぐに謀反を起こそうとした時に、あっという間に漏れ伝わって、二条猪熊の文覚の屋敷に役人が派遣されて、文覚を捕えて、文覚は八十歳を過ぎて後、隠岐の国へと流罪になった。文覚は都を出ることとなって、「このたび、寄る年なみにあたって、今日明日とも知れぬ私の身を、たとえ帝のおとがめであるとしても、都の周辺におきなさらないで、隠岐の国までもお流しになる毬杖冠者には我慢がならない。最後には私文覚が流される国でお迎え申しあげることになるだろうに。」と申し上げたことは恐ろしい。この後鳥羽帝はあまりにも毬杖の玉を愛しなさったので、文覚はこのように非難申し上げたのである。だから承久の乱を後鳥羽上皇が起こしなさった後に、他にも国は多いのに、隠岐の国へと流されなさったことは不思議なことである。隠岐の国でも文覚の亡霊が暴れて、後鳥羽上皇の前で、いつも物語をもうしあげたと噂になった。


その間、六代御前は三位禅師といって、高雄で仏道修行に専心しておられたのだが、「平維盛の子である、文覚の弟子である。頭を剃ったとしても、心をはまさかそぐまい、」と鎌倉の殿がしきりにそのように申されたので、安判官資兼に命じて召し捕って関東へと下しなさった。駿河国の住人、岡辺権守泰綱にお命じになって、六代は田越川で斬られてしまった。十二歳から三十歳を過ぎるまで命を保たれてたのは、ただただ長谷のの観音のご利益と評判になった。それ以来、平家の子孫は永久に絶えてしまった。

posted by manabiyah at 12:29| 平家物語過去分 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする