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2012年09月20日

下らない噂を立てる奴ら(『猫間』に見る木曾義仲の魅力)

平家物語の巻八に「猫間」という章段がある。
木曾の田舎から都に上洛した木曾義仲が、
田舎者ぶりを笑い者にされるエピソードだ。

食事の場面で義仲が
客人をもてなすセリフで、

「無塩の平茸あり」

というようなフレーズを使う。

「無塩」というのは本来は
「塩漬けでない新鮮な魚」という意味。

平茸はキノコなので、
「無塩の平茸」などという言葉はおかしい。

義仲は田舎者で言葉の意味をわからず、
「新しいもの=無塩」というのだと勘違いしているのだ、
と物語の語り手によって指摘される。

平家物語の最も標準的テキスト「覚一本」は、
こんなふうに義仲の田舎者ぶりを語る。

ところが!

平家物語には多くの異本(バージョン違い)がある。
その中でも時代が古いと思われる本では実は、

「無塩の平茸あり」
となっておらず、
「無塩あり、平茸あり」
となっている。



訳すと「新鮮な魚がある。それ以外に平茸もある。」という意味なのだ。
それがいつしか「無塩の平茸あり」などという形となり、
さらに、

「義仲は『新しいもの=無塩』
というのだと勘違いしている」


などという解説まで付け加わっていく。


「無塩あり、平茸あり」が
「無塩の平茸あり」となる過程には、
書き損じや、聴き間違いなど、
偶然が作用したのだろうけど、
それが訂正されないまま、

「義仲は田舎者で言葉の意味をわからず、
『新しいもの=無塩』というのだと勘違いしている」などと、

解説まで加わって行く過程には、
成り上がり者である田舎者義仲を
笑い者にしたい人々の意識の作用
が感じられる。


人は自分がこうあったらいいという
潜在意識を作用させながら、
情報を受け取る面がある。



この義仲のくだり以外でも「平家物語」の諸本での記述の異同を検証していくと、
人々がいかに勝手に物語を改変して伝えて来たかがよくわかって面白い。


だが我々現代人も、
古典文学を享受した人々を笑えない!


例えば、こんなケースがあり得るかもしれない。


あるXというプロ野球の球団の選手であるA選手は、
次年度の年俸提示を不服としてサインしなかった。
ちなみにそのXという球団では、多くの選手に対して、
次年度の年俸の、大幅ダウンが提示されたが、
A選手以外の他の選手はそれでも渋々サインとしている。



そして、次の日のスポーツ新聞に大きな見出しでこういうふうに出るとする

「X球団のA選手、
年俸の大幅ダウン提示を
不服としてサインせず!」


さて、これは正しい情報なのか?


論理的に言うと、一次情報に
「A選手は、次年度の年俸提示を不服としてサインしなかった
という記述はあるけれど、
「A選手が年俸の大幅ダウン提示を不服とした」とは書いていない。


ただ「年俸提示を不服」とあるだけなので、
「現状維持」で不満だったかもしれないし、
「アップ金額が期待より少なかった」のかもしれない。


だけど、こんなふうにスポーツ新聞の見出しに出てしまうと

「年俸ダウンを提示されたA選手」

というイメージが世間に出てしまう。
もしA選手が「現状維持」で不満とか、
「アップ金額が期待より少なかった」という理由で、
サインしなかったのなら、ちょっと気の毒なケースだ。

そして、不幸なことに、
いったんスポーツ新聞に出てしまうと、
その見出しに勝手な尾ひれをつけて、
世間は「A選手の時代は終わった」とか、
「引退するらしいぜ」とかネタにする。

さらに「だいたいA選手は、
プライド高そうでオレは昔から好きじゃなかった」
とか言い出すオッサンとか出て来る。


幸いにして、今の時代の人達は情報の消費スピードも早いから、
七十五日も経たないうちに、
次の別のニュースが話題にA選手のネタは忘れられるんだろうけど、

本質的には木曾義仲の
「無塩の平茸あり」と同じ現象。
昔の人も今の人もやっていることは同じだ。



だけど! 皮肉なことに、
意外と面白い現実がある。

平家物語の登場人物の中で、
「木曾義仲」のファンは意外と多い。
(松尾芭蕉や芥川龍之介も義仲ファンなのだ。)


そして、その魅力としてあげられるところは
「ちょっと間抜けなところ」とか
「都会のやり方にそまらない自由さ」だったりもする。


つまり「無塩の平茸あり」という記述への変遷は、
義仲を笑い者にしようという人々の
「良からぬ潜在意識」によるもの
だったのかもしれないが、

結果的には後世に
「義仲の魅力を誇張して伝える」
ことになったのかもしれない!



そして、何より!


義仲は時代に名を残したが、
笑い者にしようとした人々の名は
歴史に残ることは無かった。


そんなわけで、少なくとも僕自身は、
「ごちゃごちゃ下らない噂を立てる側」の人間ではなく、
「うわさのネタにされる側」の人間でありたいと思っているし、
むしろ、そういう立場を運命づけられているんだなと、
しばしば感じさせられる。


そんなことを思ってみると、
木曾義仲という人物の魅力を改めて再認識させられる。


もし何かの機会に
「平家物語中で最も好きな登場人物は誰ですか?」
という質問をされた時には

僕も

「木曾義仲!」

と答えることにしよう。
posted by manabiyah at 00:00| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする