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2011年01月29日

SNSが無くてもつながれますよね?(「卒都婆流」に見る平判官康頼の一念)

「平家物語」に「卒都婆流」というエピソードがある。

平家打倒を企てた鹿ヶ谷の陰謀が発覚しとらえられ、
現在の硫黄島とされる「鬼界ヶ島」に流罪となった、
平判官康頼という人にまつわる逸話だ。

この「鹿ヶ谷の陰謀」に関与したせいで、
都から遠く離れた鬼界ヶ島へ流罪となったのは、
俊寛、藤原成経、平康頼の3人。

このうち藤原成経、平判官康頼の二人は、
なんとか都に戻れるように、信仰の日々を送る。
島の一部を熊野に見立てて祈りを捧げ、
一晩中念仏をすることもあった。

ある時そんな康頼は、都を恋しく思うままに、
千本の卒都婆を作って、歌を書き、
熊野権現、さらには厳島神社にむかって、

「せめてこの卒都婆の一本だけでも
都に伝えてください」と、


祈りをこめつつ海へと流す。

果たしてその結果。なんとその内の一本が厳島神社に流れ着き、
康頼にゆかりのあった僧がそれを発見し、都へと持っていき、
康頼の母や妻子のもとへと届けられたのだった。

その奇跡的な出来事は、後白河法皇さらには、
平重盛、平清盛の知るところとなる。
清盛はその届けられた卒都婆に書かれた歌をみて、
大変に憐れみを覚えたということだ。

ちなみにその康頼が卒都婆に書いた歌はこんな歌だ。

「さつまがた 沖の小島に 我ありと 親には告げよ八重の潮風」
(薩摩潟の 沖の小島に 自分は生きていると
 親に告げてくれ はるか遠くを渡る潮風よ)
「思ひやれ しばしと思ふ 旅だにも なほふるさとは 恋しきものを」
(思いを察してくれ ほんのしばらくと思う
 旅でさえ やはり故郷は 恋しいのに)

親への思い、故郷への思いを痛切に訴える内容だった。
そして、この後、様々な経緯を経て、
最終的に康頼は許されて都に帰ってくることとなる。

さすがにこの「厳島神社に卒都婆が流れついた」というエピソードは、
作り話ではないかという気もするが、

「真剣に願えば、その思いは届く」

という、この物語が伝えようとしているところは、
現代に生きる我々も真摯に受け止めるべきことだろう。

インターネットや電子メール等、我々は、
「平家物語」の時代に生きた人々に比べて、
あまりに便利な伝達の手段(メディア)を手に入れている。

だが、それがゆえに、ちょっとおかしなことになっていないだろうか。
特に10代20代の若い子たちは、LINEやtwitterなどのSNSに依存することが多い。
それらを使って互いにメッセージをやりとりすることに慣れ過ぎていはしないか?
逆を言えば、

「SNSのアカウントを知らないとやりとりができない」

などという状態になっていたりはしないか?

例えば、もしあなたが、あるビッグな有名な人を、
自分の主催するイベントか何かに呼びたいと思って、
その人に、SNSでメッセージ等を送ったとする。
だけど、何らの返事ももらえなかったとしよう。

さあ、どうする?

もしかして、多くの人がここで諦めてしまったりしてはいないか、と思う。

本当にその人を呼びたいとか、いっしょに何かやりたいと思ったら、
その人とつながる手段は、まだまだ他にいくらでもある。

その人の事務所を調べて、手紙を書いて送ったり、電話をかけても良い。
その人の出演する他のイベントの会場に赴いて、挨拶しても良い。
その人とのコネクションをもっていそうな人を探して紹介してもらっても良い。
SNSだけがつながる手段ではないのだ。

実は、有名な方などは、日々もらうメッセージやレスの量が多すぎて、
処理しきれていないという場合もある。
そんな場合は、案外、ネットを介さないつながりの方が、
相手の印象に残って次の展開がスムーズだったりすることもあるのだ。

そう。なにも、

卒都婆を流せ!

というわけではないが、

いかにして相手にアプローチするか、
どのような手段でメッセージを伝えるか、
ということの答えは一つではないのだ。

ちなみにこの話は、イベントに有名人を呼ぶというようなケースでなくても同じ。
ある業界に入り込む、とか、あのプロジェクトに参加するとか、に応用しても良い。
お世話になったあの人にお礼を言いたいとか、
どうしても欲しいあのアイテムを手に入れるとか、でも同じことなのだ。

目標につながる道はネット上だけにあるとは限らない。
デジタルネットワーク社会に生きる我々は、
しばしばそのことを忘れがちだ。

パソコンやインターネットなどの情報技術(IT)を、
使いこなせる者と使いこなせない者の間に生じる、
待遇や貧富、機会の格差のことを、デジタルデバイドといって、
これはこれで、一つの社会問題となっている。

だけど、ネットばかり使っていることで、機会を逃すケース
ネットを超えられるか、超えられないかの差異

いわゆる「逆デジタルデバイド」現象に陥っていないか?

そんなことを僕はしばしば考えることがある。

皆さんも、自分に照らし合わせて検証してみてください。


posted by manabiyah at 00:00| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする