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2016年03月08日

一の谷平家物語を巡る旅(その4〜須磨寺)

さて、山陽電鉄に乗り換えて、須磨寺駅を目指すも、
電車を乗り損ねて須磨駅についてしまった…。
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一駅戻って、改めて須磨寺駅に到着。
駅前には「平重衡とらわれの松跡」の碑があった。
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「三位中将、馬の三頭をのぶかに射させて、弱るところに、後藤兵衛盛長、我が馬、めされなんずとや思ひけん、鞭をあげてぞ落ち行きける。」
(重衡は馬の後ろ足を深々と射られて、弱ったところ、乳母子の盛長は、自分の馬をとられるだろうと思ったのだろうか、鞭をあてて逃げていってしまった。)


乳母子の裏切りにあって捕えられた重衡。
最終的には、かつて自ら炎上させてしまった奈良に送られて斬られてしまうこととなる。

駅から少し歩くと「須磨寺」が見えてくる。
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正岡子規の句碑。
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平敦盛と熊谷次郎直実の像。
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言わずと知れた「敦盛最期」の場面。
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熊谷「あれは大将軍とこそ見参らせ候へ。まさなうも敵にうしろを見せさせ給ふものかな。かへさせ給へ」と、扇をあげてまねきければ、招かれてとッてかへす。(熊谷は言った「そこにおられるのは大将軍と見申し上げます。卑怯なことに、敵にうしろを見せなさるものだなあ。お戻りくだされ」と扇あげてまねいたところ、その者はとって返してきた。)

この後熊谷は我が子ほど歳の若い敦盛を泣く泣く自分の手にかけることとなる。
亡くなったのは、平経盛の子で、敦盛といって十七歳になるものだった。
それ以来、熊谷の出家への思いは進む。

そんな敦盛と僕。
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こちらは敦盛御首洗池。

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そして源義経御腰掛松。
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義経はこの松に腰をかけて、敦盛の首を確かめたとのこと。

亡くなった敦盛のもっていた笛の名は小枝(さえだ)。
祖父平忠盛が笛の名手で、鳥羽院からいただいたものだった。
経盛が相続したものを、敦盛に笛の才能があったことにより、
譲られたものであるが、これは通称「青葉の笛」という名で知られている。

その青葉の笛の碑。
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唱歌としても有名だ。
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そして敦盛の首塚。
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こんなふうに敦盛に関するものがたくさんこの須磨寺にはある。

人形の展示もしていた。
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この宝物殿の中に青葉の笛もある。

こちらは弁慶が一の谷合戦の際に、
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長刀の先に掛けて担いできて陣鐘の代用にしたとされる弁慶の鐘。

須磨寺から駅の方に戻る。

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駅の近くには源頼政ゆかりの「頼政薬師寺」もあった!

さていよいよここから坂落としの現場へ。
posted by manabiyah at 09:02| 平家物語を巡る旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする