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2016年03月08日

一の谷平家物語を巡る旅(完〜埼玉へ)

さて、充実の神戸取材旅行からしばらく経ってから、
実は一の谷合戦を巡る旅の仕上げとして、
埼玉県内の史跡を巡ってきた。

そう、「一の谷合戦」の一つの特徴として、
東国武士の活躍ぶりが目立つということがあげられる。
例えば生田側の先陣を務めた河原兄弟は埼玉県行田市(旧・北埼玉郡南河原村)の出身。

孝子平知章を失いながら、海へと逃れた平知盛の乗り捨てた馬を捕えて、
後白河院に献上した河越小太郎重房はその名の通り「川越」の出身。
地名の川越はこの「河越氏」からきていると言われる。

特に、平忠度を討った岡部六野太忠純と、
敦盛を討った熊谷次郎直実は印象深い。
この二人も、武蔵国(現埼玉県)の武士だった。

やはりここは埼玉も探訪しなければ!

というわけで最後は埼玉編。

岡部六野太忠純の墓があるのは、
その名の通り「岡部」。
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JR高崎線「岡部駅」で下車。

駅前には岡部六野太忠純についての解説図や、
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岡部六野太忠純の墓のある場所の地図もある。
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岡部駅から徒歩で15分から20分ほど。
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近くには江戸時代の道標が残されている。
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普済寺。
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この境内に岡部六野太忠純が討った平忠度の歌の碑もある。
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普済寺の周囲はこんな感じ。
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この道路の右側が普済寺。
左側の緑のフェンスに囲まれたところに、
岡部六野太忠純の墓がある。
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六野太の墓石を粉を煎じて飲むと、
乳の出ない女性も乳がでるようになるという、
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言い伝えがあったとか。
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錆びた扉のむこうに見えるのが六野太の墓だ。
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石が削れているのがわかる。

平家物語ではえげつない東国武士として、
容赦なく忠度を討ち取る六野太だが、
地元ではまた違った顔を見ることができる気がする。

六野太は忠度を自分の領地にある一番景色の良いところに葬ったという。

その六野太が作ったという忠度の墓は、
「岡部駅」から一駅の「深谷駅」から、
徒歩15分ほどのところにある。

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深谷に到着。

唐沢川に沿って歩いていくと。
「忠度橋」という橋がある。
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三歩くらいで終わる短い橋。

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そこからすぐ近くにあるのが清心寺。

境内には忠度桜と書かれた桜も。
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「行き暮れて〜」の歌でも桜が歌われていて、
桜とは縁の深い忠度だが、

この忠度桜や墓の由来についてはこんなふうに書かれている。
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一説にはここに忠度の遺髪が埋められたとか。
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ここ清心寺にも忠度の腕塚がある。
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神戸にも埼玉にも腕塚ありということは、
もしかして分割されたとか…。

さて、続いてJR高崎線に乗って「熊谷」へ。
熊谷次郎直実は武蔵国大里郡熊谷郷(現熊谷市)の武士だった。

熊谷の駅前には扇を掲げて敦盛を呼び止める熊谷の像がある。
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後ろからは土肥でも梶原でもなく、
コバトンが迫ってきている…。
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近距離で撮影。
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ちなみにこの像は北村西望という方の作。
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あの「長崎平和祈念像」を作った方の作。

で、ふと気になった。
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あの神戸の須磨寺にも似たような構図の像があったが、
あれも北村西望さんのものか??

現地で聞ければ良かったのだが、
どうしても気になったので、
須磨寺に直接電話をかけて尋ねてみた。

結果として判ったこと。
須磨寺の熊谷像の作者は当時の資料が残っていないため不明。
おそらく著名な人のものではないだろうとのこと。
ちなみに熊谷駅前のものは1974年の作。
須磨寺のものは1967年に完成の後、2001年に改修とのこと。
一応、須磨寺にあるものの方が年代的には古い。

なお、須磨寺には、
埼玉バージョンの熊谷像のレプリカも、
展示されているとの情報を頂いた。

須磨寺の境内北側に無料駐車場があり、
エレベーターを使わずに階段を使うと、
階段沿いに展示がされているとのこと。

僕自身は神戸取材から帰って来てから知ったので、
今度、須磨に行く機会があれば是非見てみたいと思う。

さて熊谷駅から徒歩15分ほど歩いたところに、
熊谷寺(ゆうこくじ)がある。
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若き平家公達敦盛を討った後、熊谷は出家。
(ただし「吾妻鏡」の記述によれば、叔父との所領を巡る訴訟がきっかけ。)
出家の後は、上京して法然上人の弟子となり、蓮生(れんせい)と名乗る。
「吾妻鏡」では京都東山で亡くなったとするが、
埼玉県熊谷の地で亡くなったとも言われている。
この「熊谷寺(ゆうこくじ)」は晩年、熊谷の地に戻った蓮生が、
念仏を唱えるために建てた草庵がもととなっていると言われる。
また境内には熊谷直実の墓があるはずなのだが、
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一般公開は基本的にしていないようだ。
http://www.yukokuji.com/

そんな熊谷寺から熊谷駅へと歩いている帰途。
路上のベンチで休憩していたら…。
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バスの名が…。
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おお、直実号!!!
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熊谷直実が今も地元で根強く愛されていることがわかった。

神戸そして埼玉の地を探訪した「一の谷平家物語を巡る旅」。

ここで取材した内容は2016年3月7日に川越で催された市民講座、
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「平家物語の中の埼玉を読む」でも語らせてもらった。
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ちなみに神戸で買った干し梅は講義参加の皆さんへのお土産にした。
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取材の甲斐あって充実した講座になったのではないかと思う。
2015年に練馬で連続講義の形で開催した
http://manabiyah.seesaa.net/article/420456491.html
「みんなで読む平家物語名場面」に続いて楽しい企画となった。

ラジオでの講義とともに、
一般市民の皆様を対象とした講座も、
またあれこれやっていけたらと思う。

講義依頼などございましたら下記までご連絡ください。

manabiyah@bit.isao.net
posted by manabiyah at 09:46| 平家物語を巡る旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする