「平家物語」各場面の原文朗読・現代語訳・解説の音声ファイルを公開しています。
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2010年11月03日

10分でわかる「平家物語」巻一「殿下乗合」(孫の受けた恥辱を晴らそうとする平清盛)


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資盛朝臣、大炊御門猪熊にて、殿下の御出に、はなづきにまいりあふ。御ともの人々「なに者ぞ、狼籍なり。御出のなるに、乗物よりおり候へおり候へ」といらでけれでも、余にほこりいさみ、世を世ともせざりけるうへ、めし具したる侍ども、皆廿より内のわか者どもなり。礼儀骨法弁へたる者一人もなし。


殿下の御出ともいはず、一切下馬の礼儀にも及ばず、かけやぶッてとをらむとするあひだ、くらさは闇し、つやつや入道の孫ともしらず、又少々は知つたれども、そらしらずして、資盛朝臣をはじめとして、侍ども皆馬よりとて引おとし、頗る恥辱に及びけり。


資盛朝臣、はうはう六波羅へおはして、おほぢの相国禅門に此由うッたへ申されければ、入道大きにいかッて、「たとひ殿下なりとも、浄海があたりをばはばかり給ふべきに、おさなきものに左右なく恥辱をあたへられけるこそ遺恨の次第なれ。かかる事よりして、人にはあざむかるるぞ。此事おもひしらせたてまつらでは、えこそあるまじけれ。殿下を恨み奉らばや」とのたまへば、


重盛卿申されけるは、「是は少もくるしう候ふまじ。頼政・光基など申源氏共にあざむかれて候はんには、誠に一門の恥辱でも候ふべし。重盛が子どもとて候はんずる者の、殿の御出にまいりあひて、のりものよりおり候はぬこそ尾籠に候へ」とて、其時事にあふたる侍どもめしよせ、「自今以後も、汝等能く能く心うべし。あやまッて殿下へ無礼の由を申さばやとこそおもへ」とて帰られけり。


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」

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〈現代語訳〉


平資盛朝臣(たいらのすけもりあそん)は、大炊御門(おほひのみかど)猪熊で、摂政藤原元房の行列と出会い頭に参りあった。摂政の御供の人々は、「何者だ、無礼だ。摂政藤原元房さまのお出ましであるのだ、乗物から降りてください、降りてください。」とせかしたが、あまりにも一族の権勢を誇り、いさんで、世を世とも思わなかった上、引き連れていた侍たちは、みな二十歳以下の若者である。礼儀作法を弁えている者はひとりもいない。


摂政藤原元房さまのお出ましとも気にせず、一切、馬から降りるというような礼儀を行なわず、馬で辺りをかけ破って無理に通ろうとするので、(摂政の御供の人々は)暗さのせいで清盛入道の孫とは気づかず、また多少は気づいたものでも、あえて知らないふりをして、資盛朝臣をはじめとして、侍たちを皆、馬から引き摺落として、ひどい恥ずかしめにあわせた。


資盛朝臣はやっとのことで、六波羅にいらっしゃって、祖父である清盛入道に、この旨を訴え申し上げたので、入道は大いに怒って、「たとえ、摂政さまといえども、私、清盛の身内には遠慮なさるのが当然であるのに、幼い資盛に躊躇することもなく、恥辱を与えなさったことは恨みをのこす事態である。こういうことから、人にあざむかれるものだ。このことを摂政さまに、思い知らせ申し上げないではいられないだろう。元房殿下をお恨み申し上げたい。」とおっしゃると、


重盛が申し上げたことには「頼政・光基などと申す源氏どもにあざむかれますならば、本当に、平家一門の恥辱でございましょう。重盛の子どもでありますものが、摂政さまのお出ましに遭遇して、乗り物から降りませんことは愚かでございます。」と言って、その時事に当たっていた侍たちを呼び寄せて、「今より以後も、お前たちよくよく心得るがよい。過失によって摂政さまに無礼をしたとの旨を申し上げようと思う。」といってお帰りになった。

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2010年11月11日

10分でわかる「平家物語」巻一「鹿谷」(鹿谷での反平家グループの謀議の場面)


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東山の麓、鹿の谷と云ふ所は、うしろは三井寺につづいて、ゆゆしき城郭にてぞありける。俊寛僧都の山庄あり。かれにつねはよりあひよりあひ、平家ほろぼさむずるはかりことをぞ廻らしける。


或時法皇も御幸なる。故少納言入道信西が子息、浄憲法印御供仕る。 其夜の酒宴に、此由を浄憲法印に仰せあはせられければ、「あなあさまし。人あまた承り候ひぬ。唯今もれきこえて、天下の大事に及び候ひなんず」と、大きにさはぎ申ければ、新大納言けしきかはりて、ざッとたたれけるが、御前に候ひける瓶子を狩衣の袖にかけて引きたうされたりけるを、法皇「あれはいかに」と仰せければ、大納言立ち帰つて、「平氏たはれ候ひぬ」とぞ申されける。


法皇ゑつぼにいらせおはしまして、「者ども参ッて猿楽つかまつれ」と仰ければ、平判官康頼まいりて、「あら、あまりに平氏のおほう候ふに、もて醉ひて候ふ」と申す。俊寛僧都「さてそれをばいかが仕らむずる」と申されければ、西光法師「頸をとるにしかじ」とて、瓶子のくびをとてぞ入にける。


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
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【アイテム紹介】「平家物語」の舞台となった土地を旅してみるのも、なかなか良いものです。京都はもちろん、厳島神社、屋島、壇の浦等々。物語の登場人物達が生きていたその場所を自分の目で確かめること。これには大きな感動があります。そんな平家物語ゆかりの土地を訪れるガイドとして役立つ本を紹介します。
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平家物語 (物語の舞台を歩く)



「平家物語」の舞台を歩く―真説・平清盛

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〈現代語訳〉


東山のふもとの、鹿の谷という場所は、後ろは三井寺へと続いていて、素晴らしい城郭たる場所だった。ここに俊寛僧都所有の山荘があった。そこにいつも人々が集まって、平家を滅ぼそうというはかりごとをめぐらしていた。


ある時、後白河法皇の訪れがあった。亡くなった少納言入道信西のご子息、浄憲法印が御供申し上げた。その夜の酒の席で、この平家打倒の旨を、法皇が浄憲に仰せられなさったので、(浄憲は)「ああ驚き呆れることだ。きっと多くの人が聞いてしまう。今すぐにでもこの件が、きっと世間にもれて大事におよびますでしょう。」と大いに騒ぎ申し上げたので、新大納言成親は様子が変わって、さっとお立ちになったところ、法皇の前にございました酒の瓶、瓶子を狩衣の袖にひっかけて倒してしまったのを、法皇が「これはどうしたことだ。」とおっしゃったので、大納言は席に戻って、「へいじが倒れました」と申された。


法皇は笑いのつぼにお入りになって、「者どもよ、参って猿楽を演じて見せよ」とおっしゃったので、「ああ、あまりに瓶子(へいじ)が多くございますので、おかげで酔ってしまいました。」と申す。俊寛僧都は「それでは、それをどのように致しましょう」と申されたので、西光法師が「首をとるのが一番だ。」と言って、酒をいれた瓶子の首をとって、席に入った。

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2010年11月18日

10分でわかる「平家物語」巻一「御輿振」(源氏、平家の活躍で、院側と、比叡山側の争いがいったん収束)


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大衆無勢たるによッて、北の門、縫殿の陣より神輿をいれ奉らむとす。頼政卿さる人にて、馬よりおり、甲をぬいで、神輿を拝し奉る。兵ども皆かくのごとし。衆徒の中へ、使者をたてて、申し送る旨あり。


其使は渡辺の長七唱と云ふものなり。唱、其日はきちんの直垂に、小桜を黄にかへいたる鎧きて、赤銅づくりの太刀をはき、廿四さいたる白羽の箭おひ、しげどうの弓、脇にはさみ、甲をばぬぎ、高ひもにかけ、神輿の御前に畏って申しけるは、


「衆徒の御中へ源三位殿の申せと候。今度山門の御訴訟、理運の条勿論に候。御成敗遅々こそ、よそにても遺恨に覚え候へ。さては神輿入れ奉らむ事、子細に及び候はず。ただし頼政無勢に候。其上あけて入れ奉る陣よりいらせ給ひて候はば、山門の大衆は目だりがほしけりなど、京童部が申し候はむ事、後日の難にや候はんずらむ。神輿を入れ奉らば、宣旨を背くに似たり。又ふせき奉らば、年来医王山王に首をかたぶけ奉って候身が、けふより後、ながく弓箭の道にわかれ候ひなむず。かれといひ是といひ、かたがた難治の様に候。東の陣は小松殿大勢でかためられて候。其陣よりいらせ給べうもや候らむ」


といひ送りたりければ、唱がかく申すにふせかれて、神人・宮仕しばらくゆらへたり。


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【アイテム紹介】「平家物語」では延暦寺などの寺社勢力が、朝廷そして平家を大変に苦しめていますが、この本からは、この時代においていかに寺社勢力がいかに強大かつ重要な存在であったかについて学ぶことができます。学校では教わることのない「歴史の深層」に迫ることのできる本がこちら「寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民」です。「平家物語」の正しい理解のためにも必読の一冊だと思います。



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寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 (ちくま新書)


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〈現代語訳〉


延暦寺の衆徒は、守りの薄い場所だと判断して、北の門、縫殿の陣から、神輿を入れ申し上げようとする。源頼政卿は、しっかりとした人物で、馬から下りて、甲を脱いで、神輿を拝み申し上げる。兵たちも皆、このようにふるまった。延暦寺の衆徒の中へ頼政は使者をたてて、申し送りたいことがあった。その使いというのは、渡辺の、ちょうじつとなう、というものである。唱(となう)は、その日は、麹塵(きくじん)の直垂に、小桜の形を黄色く染めた鎧を着て、赤銅で作った太刀を身につけ、24本の白い羽の矢をさしたやなぐいを背負って、漆で塗ってつるを巻いた、しげどうの弓を脇に挟んで、甲を脱いで、鎧を吊る高ひもにかけて、神輿の前にかしこまって(となうが)申したことには、


「衆徒の皆様に源頼政三位殿から申し上げよとのことでございます。『このたびの延暦寺の皆様のご訴訟は、道理として当然のことでございます。裁定が遅れていることは、よそながら残念なことだと思っております。そうであるので、神輿を皆様が内裏へと入れ申し上げる事について、私がとやかく言うことではございません。ただし私、頼政の守りは無勢でございます。その上、この北の門を開けて皆様を入れ申し上げようとしている、この陣からお入りになりますならば、比叡山の衆徒は弱みにつけこんだなどと都の若い者たちが申し上げますような事態は、後々の非難へとなりますでしょう。私がここから、神輿を内裏にいれ申し上げたら、天皇の宣旨に背くことになります。また、もしそれを防ぎますならば、長年、比叡山の薬師如来と日吉山王権現を信仰し申しあげていたおりますわが身が、今日から、長く武士の道から離れることになりますでしょう。あちらといい、こちらといい、おのおの難しい問題です。東の陣は小松殿、平重盛が大勢で固めております。そちらの陣から、お入りになるべきではございませんか。』」


使いであった唱(となう)が、このように申すのにとどめられて、比叡山側の神主や下級の僧らは、そこでしばらく停滞することになった。

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2010年11月25日

10分でわかる「平家物語」巻二「西光被斬」(打倒平家の動きを清盛へと多田蔵人行綱が密告)

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同五月廿九日のさ夜ふけがたに、多田蔵人行綱、入道相国の西八条の亭に参ッて、「行綱こそ申すべき事候ふ間、参って候へ」といはせければ、入道「つねにも参らぬ者が参じたるは何事ぞ。あれきけ」とて、主馬判官盛国を出だされたり。「人伝には申まじき事なり」といふ間、さらばとて、入道みづから中門の廊へ出られたり。


「夜ははるかにふけぬらむ。ただ今いかに、何事ぞや」とのたまへば、「昼は人目のしげう候ふ間、夜にまぎれて参って候ふ。此程院中の人々の兵具をととのへ、軍兵をめされ候ふをば、何とか聞し召され候ふ」。「それは山攻らるべしとこそきけ」と、いと事もなげにぞの給ひける。行綱、近うより、小声になて申しけるは、「其儀では候はず。一向御一家の御上とこそ承り候へ」。「さてそれをば法皇も知ろし召されたるか」。「子細にや及び候。成親卿の軍兵めされ候ふも、院宣とてこそ召され候へ。」俊寛がとふるまうて、康頼がかう申して、西光がと申してなどいふ事共、始めよりありのままにはさし過ぎていひ散し、「いとま申して」とて出にけり。


入道大いに驚き、大声をもて侍共よびののしり給ふ、聞くもおびたたし。行綱なまじひなる事申しいだして、証人にやひかれんずらんと恐ろしさに、大野に火をはなたる心地して、人も追はぬにとり袴して、いそぎ門外へぞ逃げ出ける。


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【アイテム紹介】「平家物語」を覚一本の原典そのままに、各界の第一人者による朗読・演技・演奏で見て聴かせようという、前代未聞のDVDシリーズです。

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DVD 原典 平家物語 巻第二[4105-02]

西光被斬──市川段四郎
小教訓──岡橋和彦
大納言死去──下條アトム
徳大寺厳島詣──富沢亜古
卒都婆流──下條アトム
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〈現代語訳〉


同じく治承元年5月29日の夜更け頃、多田蔵人行綱が入道相国平清盛の西八条の邸に参って、「私、行綱はもうすべきことがございますゆえ、参っております。」と人を介して言わせたので、清盛入道は「いつもは参らない者が参っているのは何事だ、お前が聞いてこい。」と、主馬判官盛国(しゅめのはんがんもりくに)を対応に出した。「人づてでは申しあげられない事です。」というので、そうであるならば、ということで清盛入道ご自身が中門の廊へと出て来られた。


(清盛が)「夜はだいぶ更けているであろう。今頃、いったい何事だ。」とおっしゃると、(行綱)「昼間は人目が多くございますので、夜にまぎれて参っております。この頃、院側の人々が武器を集めて、兵を呼び集められておりますのを、どのようにお聞きになられますか?」(清盛は)「それは比叡山をお攻めになるはずだと聞いている。」とこともなげにおっしゃった。行綱が近くから小声で清盛に申しあげることには、「そういうことではありません。すべて平家一門のためだと承っております。」(清盛)「それではそれを法皇もご存じなのか。」(行綱)「あれこれ言うまでもなくそうでございます。成親卿が軍をお集めになっておりますのも、院の命令であるとして、お呼びになられております。」俊寛がどうふるまって、康頼がこのように申して、西光がこう申してなどなどと(行綱は)初めからありのままに大げさに言い散らして「それではおいとま申し上げます。」と言って出て行った。


清盛入道が大いに驚いて、大声で侍たちを呼んで大騒ぎしたその様子は、耳で聞くだけでもすさまじい。行綱は自分がなまじ言わなくてもいい事まで言い出したせいで、後に証人にでも呼ばれるだろうかと恐ろしくなって、あたかも自分が広い野原に火を放ったような後ろめたい感じがして、人が追ってくるわけでもないのに、走りやすいように袴をまくって、急いで門の外へと逃げた。

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2010年12月02日

10分でわかる「平家物語」巻二「西光被斬その2」(鹿谷の謀議が発覚し、清盛に捕らえられた西光法師)


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入道相国大床にたッて、「入道傾けうどするやつがなれるすがたよ。しやつここへ引きよせよ」とて、縁のきはに引きよせさせ、物履きながらしやつらをむずむずとぞふまれける。


「本よりを己等がやうなる下臈のはてを、君の召し、つかはせ給ひて、なさるまじき官職をなしたび、父子共に過分のふるまひすると見しにあはせて、あやまたぬ天台の座主流罪に申しおこなひ、天下の大事引き出いて、あまつさへ此一門亡ぼすべき謀反にくみしてンげるやつなり。有りのままに申せ」とこそのたまひけれ。

西光もとよりすぐれたる大剛の者なりければ、ちッとも色も変ぜず、わろびれたる景色もなし。居直りあざ笑ッて申けるは、「さもさうず。入道殿こそ過分の事をばのたまへ。他人の前は知らず、西光がきかん所にさやうの事をば、えこそのたまふまじけれ。院中にめし使はるる身なれば、執事の別当成親卿の院宣とて催されし事に、くみせずとは申すべき様なし。それはくみしたり。」


「ただし、耳にとどまる事をも、のたまふ物かな。御辺は故刑部卿忠盛の子でおはせしかども、十四五までは出仕もし給はず。故中御門藤中納言家成卿の辺に立ち入り給ひしをば、京童部は高平太とこそいひしか。保延の比、大将軍承り、海賊の張本卅余人からめ進ぜられし勧賞に、四品して四位の兵衛佐と申ししをだに、過分とこそ時の人々は申しあはれしか。殿上のまじはりをだにきらわれし人の子で、太政大臣までなり上がつたるや過分なるらむ。侍品の者の受領検非違使になる事、先例傍例なきにあらず。なじかは過分なるべき」と、はばかる所もなう申しければ、入道あまりにいかてッ物ものたまはず。


しばしあて「しやつが頸左右なうきるな。よくよくいましめよ」とぞのたまひける。


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【アイテム紹介】「平家物語」以前の清盛の姿が描かれているのが「保元物語」「平治物語」。「平家物語」に比べて出版されている本の種類も少ないのですが、この小学館の「日本古典文学全集」のシリーズは「原文・現代語訳・注」が段組みになっていて非常に便利です。平将門の乱を描いた「将門記」や、前九年の役を描いた「陸奥話記」も収録されています。

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新編日本古典文学全集 41「将門記」「陸奥話記」「保元物語」「平治物語」


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〈現代語訳〉


清盛入道は寝殿造りの広廂に立って「私清盛入道を倒そうとする奴のなり果てた姿である。やつをここに引き寄せろ。」といって、西光を縁の際に引き寄せて、履物のままで西光の顔をむずむずと踏まれた。


(清盛)「そもそもお前のような下賎極まりない者を、君がお召しになり、お使いになって、なすべきでない官職につけなさって、父子ともに身の程を過ぎた振る舞いをすると見ていたのに加えて、罪もない比叡山の天台座主を流罪にするように申し行って、天下に大事を引き起こして、のみならず我が平家一門を滅ぼそうとする謀反にくみしてしまったやつだ。ありのままに申せ。」とおっしゃった。


西光はもともと大変に気の強いものであったので、少しも顔色が変わらず、悪びれた様子もない。西光が居直って清盛をあざ笑って申したことには「そんなことはございません、清盛入道の方こそ身の程知らずのことをおっしゃている。他の人の前では知らないが、私、西光が聞くところでは、そのような事をおっしゃるべきではない。私は院の周りで召使われる身であるので、執事の別当成親卿が院のご命令として発せられた軍の招集の命令に行動をともにしないとは申すことはできない。それには参加した。ただしあなたは耳にひっかかる事をおっしゃるなあ。あなたは亡くなった刑部卿、平忠盛の子でいらっしゃるが14、5歳までは宮中に出仕もしていなさらない。あなたが藤原家成卿の辺に立ち入りなさっていたのを、都のうるさい若者たちはは高平太といったものだ。崇徳天皇の時代に、あなたの父忠盛が軍の指揮官を承り、海賊の張本人を30人ほど逮捕した功績で、四位となって兵衛佐に任じられたことでさえ、身に過ぎたことだと当時の人々は言いあったものだ。殿上での交際でさえ嫌われた人の子で太政大臣になりあがったのは身に過ぎたことであろう。武士出身のものが、受領や検非違使になる程度であるなら、先例が無いわけではない。そのくらいならどうして身の程を過ぎたなどと言うだろうか。」と西光がはばかることなく申し上げたので、清盛入道は怒ってものもおっしゃらない。


しばらくして「こやつの首をたやすく切るな、よくよく戒めてやれ」とおっしゃった。


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2010年12月09日

10分でわかる「平家物語」巻二「小教訓」(新大納言藤原成親を助けようとする平重盛)


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車よりおり給ふ処に、貞能つと参て、「など是程の御大事に、軍兵共をば召し具せられ候はぬぞ」と申せば、「大事とは天下の大事をこそいへ。かやうの私事を大事と云ふ様やある」とのたまへば、兵杖を帯したる者共も、皆そぞろいてぞ見えける。


「そも大納言をばいづくに置かれたるやらん」とて、ここかしこの障子引あけ引あけ見給へば、ある障子のうへに、蛛手結うたる所あり。ここやらんとてあけられたれば、大納言おはしけり。涙にむせびうつぶして、目も見あはせ給はず。「いかにや」とのたまへば、其時みつけ奉り、うれしげに思はれたるけしき、地獄にて罪人共が地蔵菩薩を見奉るらんも、かくやとおぼえてあはれなり。


「何事にて候ふやらん、かかる目にあひ候ふ。さてわたらせ給へば、さりともとこそたのみ参らせて候へ。平治にも既誅せらるべかりしを、御恩をもて頸をつがれ参らせ、正二位の大納言にあがッて、歳既四十にあまり候ふ。御恩こそ生々世々にも報じつくしがたう候へ。今度も同じくは、かひなき命を助けさせおはしませ。命だに生きて候はば、出家入道して高野粉河に閉じ籠り、一向後世菩提のつとめをいとなみ候はん」と申されければ、


大臣、「誠にさこそは思し召され候らめ。さ候へばとて、」御命失ひ奉るまではよも候はじ。たとひ、さは候ふとも、重盛かうて候へば、御命にもかはり奉るべし」とて出られけり。


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【アイテム紹介】「平家物語」の入門書としては最強のわかりやすさだと思います。それもそのはず、著者の千明守氏は、代々木ゼミナール講師の椎名守。予備校講師としても一流の著者による解説です。文体は架空の生徒と先生のやりとりの形式になっていて、大変に読みやすい本です。イラストなども豊富に使われていて、読んでいて眠くなりません。「平家物語」の参考書を買うならば、1冊目に選ぶべき本はこれです!

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平家物語が面白いほどわかる本



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〈現代語訳〉


重盛が車からおりなさると、平貞能(たいらのさだよし)が、参ってきて「どうしてこれほどの大事に、兵たちをお連れにならないのですか。」と申すと、(重盛が)「大事というのは天下の大事のことを言うものだ。このような私事を大事などということがあるか。いや言うことはできない。」とおっしゃると、武装していた兵たちも、みな動揺して見えた。


「いったい大納言をどこに置かれたのであろうか」と重盛があちこちの障子を開けて見なさると、ある障子の上に、木材を蜘蛛の足のように交差させて結びつけているところがある。「ここであろうか」とお開けになると、大納言がいらっしゃった。成親は涙にむせんでうつぶして、目も見合わせなさらない。重盛が「どうですか」とおっしゃると、その時初めて、成親は、重盛を見つけ申し上げて、嬉しそうに思いなさっている様子は、地獄で罪人たちが、地蔵菩薩を見申しあげている有様も、このようであろうかと、思われて不憫である。


(成親が)「何事でございましょう。私はこのような目にあっております。こうして、重盛様が、おいでくださったので、そうはいってもお助けくださるであろうと、頼りにし申しあげております。平治の乱でも、すでに処刑されるはずであったところを、重盛さまの御恩でもって、正二位の大納言の位にのぼって、歳はすでに40歳過ぎでございます。重盛さまの御恩は来世もその先もずっと、報いがたい程のものでございます。今回も、同じことなら、どうしようもない我が命をお助けください。命だけでも助かりますならば、出家し、仏の道に入って、高野山や粉河寺に隠遁し、ひたすらに来世に極楽往生できるように仏道修行を営むつもりです。」と申されたので、内大臣重盛は「本当にそこまで思いつめなさっているのでしょう。そうであるからといっても、命を奪い申し上げる事態までは、まさかございませんでしょう。たとえ、命に関わる事態がございますとしても、私、重盛がこのようにおりますので、いざとなれば、あなたを命にかえても、お守り申しあげましょう。」


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2010年12月16日

10分でわかる「平家物語」巻二「教訓状」(ついに後白河院との全面対決への決意を固めた清盛の言葉)


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保元に平右馬助をはじめとして、一門半ば過ぎて新院のみかたへ参りにき。一宮の御事は、故刑部卿殿の養君にてましまいしかば、かたがた見放ち参らせがたかッしかども、故院の御遺誡に任せて、みかたにて先を駆けたりき。是一の奉公也。


次に平治元年十二月、信頼・義朝が院内をとり奉り、大内にたてごもり、天下くらやみとなッたりしに、入道身を捨て凶徒を追落し、経宗・惟方を召しいましめしに至るまで、すでに君の御ために命を失はんとする事、度々に及ぶ。たとひ人なんと申すとも七代までは此一門をば、いかでか捨てさせ給ふべき。


それに、成親と云ふ無用のいたづら者、西光と云下賎の不当人めが申事につかせ給ひて、この一門亡すべき由、法皇の御結構こそ遺恨の次第なれ。此後も讒奏する者あらば、当家追討の院宣下されつと覚ゆるぞ。朝敵となッてはいかにくゆとも、益あるまじ。世をしづめん程、法皇を鳥羽の北殿へうつし奉るか、しからずは、これへまれ、御幸をなし参らせんと思ふはいかに。其儀ならば、北面の輩、矢をも一つ射てンずらん。侍共に其の用意せよと触るべし。大方は入道、院がたの奉公思ひきッたり。馬に鞍置かせよ。着背長取り出せ。


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【アイテム紹介】当サイトは「オーディオ」ファイルによる「平家物語」の解説を行っていますが、是非とも併用して頂きたい本がこの「平家物語図典」です。当時の武具、衣食住の図や、物語の舞台となった名所旧跡の写真などなど「ビジュアル的」に平家物語を理解するには、最強の本です。じっくり読み込んでも良し。ただ眺めているだけでもとても楽しい本です!
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平家物語図典


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〈現代語訳〉


保元の乱の時に、平右馬助をはじめとして、平家一門は大半が新院のみかたに参った。崇徳上皇の第一皇子のことは、父忠盛の養い君でいらっしゃったので、いろいろな方面から考えても見捨て申し上げ難かったが、亡くなった鳥羽院の遺された遺訓に従って、私は後白河天皇側の味方として先を駆けたのだ。これが第一の奉公である。


次に平治元年十二月、藤原信頼と源義朝が内裏に立てこもり、天下が暗闇となった時に、私入道は、身を捨てて逆賊を追い落として、藤原経宗・藤原惟方などの藤原信頼に味方したものたちを召し出して、戒めたことに至るまで、これまで後白河様のために命を失おうとする事は、たびたびに及んだ。たとえ人が何と申すとしても、この先、七代までは、この平家一門を、どうしてお見捨てになることができようか。いや本来はできないはずだ。


それなのに、成親という役立たずのどうしようもない者や、西光という下賎な道理を知らない者らが申すことに従いなさって、この平家一門を滅ぼそうとしたことを、後白河法皇が企てなさったことは恨むべきことである。今後も平家のことを悪く言って告げ口するものがいたら、後白河法皇は平家討伐の旨のご命令を下してしまうと思われるぞ。朝廷の敵となったら、どんなに後悔しても無駄である。世の中を静めるまでの間、法皇を鳥羽の北殿へ移し申し上げるか、そうでなければ、ここ(=西八条の邸)でもよい、お出ましさせ申し上げようと思うがどうか。そうなるなら、北面の武士たちが、矢のひとつでも打ってくるだろう。侍たちにその準備をせよと指示するがよい。もう私入道は、後白河院側へ奉公は断念する。馬に鞍をつけさせろ。鎧を取り出せ。


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2011年01月06日

10分でわかる「平家物語」巻二「烽火之沙汰」(命をかけた平重盛の大演説)


↑「平家物語」原文の朗読・現代語訳・解説の音声ファイルです。
再生ボタンをクリックして聴くことができます。(各回10分程度)
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是は君の御理にて候へば、叶はざらむまでも、院の御所法住寺殿を守護し参らせ候ふべし。其故は、重盛叙爵より今大臣の大将にいたるまで、しかしながら君の御恩ならずといふことなし。其恩の重き事を思へば、千顆万顆の玉にもこえ、其恩の深き事を案ずれば、一入再入の紅にもなほ過ぎたらん。しかれば、院中に参りこもり候べし。其儀にて候はば、重盛が身にかはり、命にかはらんと契たる侍共少々候らん。これらを召し具して、院の御所法住寺殿を守護し参らせ候はば、さすが以外の御大事でこそ候はんずらめ。


悲しきかな、君の御ために奉公の忠をいたさんとすれば、迷慮八万の頂より猶たかき父の恩、忽にわすれんとす。痛ましきかな、不孝の罪を逃れんと思へば、君の御ために既不忠の逆臣となりぬべし。進退惟谷れり、是非いかにも弁へがたし。申うくるところ、詮は、ただ重盛が頸をめされ候へ。さ候はば、院中をも守護し参らすべからず、院参の御供をも仕るべからず。




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【アイテム紹介】「平家物語」で繰り返し生じる清盛と後白河法皇の対立。「重盛は法皇と清盛の対立を超越した運命の予言者である」という解釈をされているのが、石母田正氏。「岩波新書青版「平家物語 」は平家物語成立の過程に対しての考察など、「平家物語」を読み解くためのエッセンスが凝縮された歴史的名著です。



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〈現代語訳〉


これは後白河法皇様側にとっては当然の道理がございますので、私重盛はそれが叶わないことであっても、院の御所である法住寺をお守り申し上げるつもりです。その理由は、私重盛が始めて五位に叙させられて以来、現在の大臣かつ大将の位に至るまで、すべて後白河法皇さまのご恩でないことはない。その恩の重みを思うと、千粒万粒の宝石を越え、その恩の深さを案ずると、何度も染め直した紅の色にも勝るでしょう。そうであるので、私は院の御所へと参って籠るつもりです。そのようなことになりましたら、私重盛の身に代わって、命に替えてもと誓う侍たちが少しはおりますでしょう。その侍たちを呼び寄せて、ともに連れて、院の御所である法住寺をお守りし申し上げますならば、そうはいってもやはり、もってのほかの一大事でございましょう。


悲しいことだ。後白河院様のために忠義を尽くそうとすると、須弥山八万由旬の頂上よりも高い父の恩をたちまちに忘れることになります。痛ましいことだよ、親不孝の罪を逃れようとすると、君主に対して背く、不忠儀ものの反逆者となってしまうだろう。進むこともできず、退くこともできない。是も非もどうにも判断しかねる。お願いもうしあげるところは、結局は、ただ私重盛の首をおはねになってください。もしそうなりますならば、院をお守り申し上げることも、院を攻める父側のお供をすることもできません。

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2011年01月13日

10分でわかる「平家物語」巻二「烽火之沙汰その2」(清盛の法皇幽閉の計画を思いとどまらせた平重盛)


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「重盛こそ天下の大事を別して聞出したれ。我を我と思はん者共は、皆物具して馳参れと披露せよ」と宣へば、此由披露す。おぼろけにては騒がせ給はぬ人の、かかる披露のあるは別の子細のあるにこそとて、皆物具して我も我もと馳参る。淀・羽束師・宇治・岡の屋・日野・勧修寺・醍醐・小黒栖・梅津・桂・大原・しづ原、芹生の里に、あぶれゐたる兵共、あるいは鎧きていまだ甲を着ぬもあり、あるいは矢おうていまだ弓をもたぬもあり。片鐙ふむやふまずにて、慌て騒いで馳せ参る。


小松殿に騒ぐ事ありと聞えしかば、西八条に数千騎ありける兵共、入道にかうとも申しも入れず、ざざめきつれて、皆小松殿へぞ馳せたりける。少しも弓箭に携る程の者、一人も残らず。其時入道大きに驚き、貞能を召して、「内府は何と思ひて、これらをば呼びとるやらん。是でいひつる様に、入道が許へ討手などやむかへんずらん」と宣へば、貞能涙をはらはらと流いて、「人も人にこそよらせ給ひ候へ。いかでかさる御事候ふべき。今朝是にて申させ給ひつる事共も、みな御後悔ぞ候ふらん」と申しければ、入道内府に中たがうては悪しかりなんとや思はれけん、法皇むかへ参らせんずる事も、はや思とどまり、腹巻ぬぎをき、素絹の衣に袈裟うちかけて、いと心にもおこらぬ念珠してこそおはしけれ。


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〈現代語訳〉


「私重盛は天下の一大事を聞きつけた。我こそはと思うようなものは、みな武装して馳せ参じろと告げ知らせよ。」と重盛がおっしゃるので、この旨が広く伝えられた。「並大抵のことでは騒ぎなさらない重盛様が、このようにお触れを出すということは特別の事情があるのだろう」と、皆が武装して我も我もと馳せ参じた。淀・羽束師(はつかし)・宇治・岡の屋・日野・勧修寺(かんじゅじ)・醍醐・小黒栖(おぐるす)・梅津・桂(かつら)・大原・しづ原、芹生(せりょう)の里に、各地にこぼれるように散っていた武士たちが、ある者は鎧を着て、まだ甲を身につけていない者もいる、ある者は矢を背負っていちが、弓を持たないものもいる、片方のあぶみを踏んだり踏まなかったりしている様子で、慌てて騒いで馳せ参じる。


重盛の邸で騒ぎがあると噂になったので、西八条に数千騎いた武士達が、清盛入道に何も申し入れず、騒ぎながらつれだって、皆、重盛の邸へ馳せ参じた。少しでも武芸に携わっているという程の者は、一人も残っていない。そのとき、清盛入道は大いに驚いて、貞能をお呼びになって「重盛は何を思って、これらの侍たちを呼び集めているのだろうか。ここで言ったように、私清盛入道のもとに、攻撃などをしむけようとでもしているのだろうか。」とおっしゃると、貞能は涙をはらはらと流して「そのようなことをするのは人によりなさることです。重盛様に限ってどうしてそのような事がございましょう。今朝、ここで申し上げなさったことも、いまは全て後悔なさっているでしょう。」と申したところ、清盛入道は重盛と仲違いしては良くないだろうとお思いになったのだろうか、後白河法皇を迎えて幽閉しようという計画を、もはや思いとどまって、鎧を脱ぎ、絹の衣に袈裟をかけて、まったく心にもない念仏をしなさった。

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2011年01月20日

10分でわかる「平家物語」巻二「大納言死去」(平家に捕らえられた新大納言成親が流罪にされ処刑される)


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さる程に、大納言入道殿をば、同八月十九日、備前・備中両国の堺、庭瀬の郷吉備の中山と云ふ所にて、つひに失ひ奉る。其最後の有様、やうやうに聞えけり。酒に毒を入れてすすめたりけれども、叶はざりければ、岸の二丈ばかりありける下にひしを植ゑて、うへよりつき落し奉れば、ひしにつらぬかッてうせ給ひぬ。無下にうたてき事どもなり。ためしすくなうぞおぼえける。


大納言の北の方は、此世になき人と聞きたまひて、「いかにもして今一度、かはらぬすがたを見もし、見えんとてこそ、けふまでさまをもかへざりつれ。今は何にかはせん」とて、菩提院と云ふ寺におはし、さまをかへ、かたのごとくの仏事をいとなみ、後世をぞ弔ひ給ひける。


此北方と申すは、山城守敦方の娘なり。勝れたる美人にて、後白河法皇の御最愛ならびなき御思ひ人にておはしけるを、成親卿ありがたき寵愛の人にて、給はられたりけるとぞ聞えし。幼き人々も花を手折り、閼伽の水を結んで、父の後世を弔ひ給ふぞ哀れなる。さる程に、時うつり事さッて、世のかはりゆくありさまは、ただ天人の五衰にことならず。


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【アイテム紹介】2012年の大河ドラマ「平清盛」。「平家物語」や、吉川英治「新平家物語」などで既に作られている既存の清盛像に留まらず、新たな清盛像を描き出そうと、果敢に挑んだ意欲作。俳優陣の新鮮な演技、斬新な音楽、新たな物語解釈。特に後半の脚本の切れ味は素晴らしい。忠盛の男っぷり、西行出家の際の美しい桜の描写、父を諌める重盛、時忠の例のセリフや、仏御前の登場場面等々、名シーン・名演がたくさん。最終回、壇の浦からの、まさかのあのラストシーンもなかなか良かったと思います。
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〈現代語訳〉


その成親の最期の様子は様々に噂となって伝わった。酒に毒を入れてそれを飲むように勧めたが、それは成親が、拒否してうまくいかなかったので、崖で二丈ほどの高さのあるところの下に菱を植えて、上から成親を突き落としなさったので、菱に貫かれてお亡くなりになった。ひどく残酷なことである。このようなことは、前例の少ないことだと思われる。


大納言の北の方は、成親がすでにこの世にいない人であると聞きなさって「なんとかして、もう一度、成親の変わらない姿を見たい、そして自分の姿をお目にかけたい」と、今日まで尼姿となることもしなかった。「それも今となっては何の意味もない」と、菩提院という寺にいらっしゃって、尼姿となり、型どおりに仏事を行って、成親の来世での冥福を祈り、弔いなさった。


この北の方と申し上げた人は山城守敦方(やましろのかみあつかた)の娘である。優れた美人で、後白河法皇の最愛の人で、並ぶもののない愛人でいらっしゃったのを、成親卿は法皇にとってのめったにない寵臣であるとして、この山城守敦方の娘を頂いたと噂になった。幼い人々も花を折り、供養のための水を供えて、父の来世を弔いなさったのは物悲しい。そのようにしているうちに、時が移って事は去っていき、世の移り行く様子は、ただ天人の五衰に異ならない。



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