「平家物語」各場面の原文朗読・現代語訳・解説の音声ファイルを公開しています。
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2011年01月27日

10分でわかる「平家物語」巻二「康頼祝言」(流された鬼界が島で熊野の神を信じて信仰し続ける、藤原成経と平康頼)


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丹波少将・康頼入道は、もとより熊野信じの人々なれば、「いかにもして此島のうちに、熊野の三所権現を勧請し奉ッて、帰洛の事を祈り申さばや」と云ふに、俊寛僧都は天性不信第一の人にて、是を用ゐず。


二人はおなじ心に、もし熊野に似たる所やあると、島のうちを尋ねまはるに、或は林塘の妙なるあり、紅錦繍の粧しなじなに、或は雲嶺のあやしきあり、碧羅綾の色一つにあらず。山のけしき、木のこだちに至るまで、外よりもなほ勝れたり。南を望めば、海漫々として、雲の波煙の浪ふかく、北をかへり見れば、又山岳の峨々たるより、百尺の滝水みなぎり落ちたり。滝の音ことにすさまじく、松風神さびたる住ひ、飛滝権現のおはします那智のお山にさ似たりけり。さてこそやがてそこをば、那智のお山とは名づけけれ。此の峯は本宮、かれは新宮、是はそんぢやう其王子、彼王子など、王子王子の名を申して、康頼入道先達にて、丹波少将相ぐしつつ、日ごとに熊野まうでのまねをして、帰洛の事をぞ祈りける。


「南無権現金剛童子、願はくは憐みをたれさせおはしまして、古郷へかへし入させ給ひて、妻子をも今一度見せ給へ」とぞ祈りける。日数つもりてたちかふべき浄衣もなければ、麻の衣を身にまとひ、沢辺の水をこりにかいては、岩田河のきよき流れと思ひやり、高き所にのぼっては、発心門とぞ観じける。


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〈現代語訳〉


成経少将と平康頼は、もともと熊野への信仰を持っていた人々なので、「なんとかしてこの島の中に熊野の三つ権現をお呼びして申し上げて、都に帰れるように祈り申し上げたい。」と言うが、俊寛僧都はもともと信仰心のまったくないものであって、これに賛成しない。


成経と康頼は、同じ気持ちで、「もしや熊野に似た場所があるだろうか」と島の中を尋ねまわっているうちに、あるところには美しく林がつらなる堤があり、紅の錦の織物で飾られたようにいろとりどりの花が咲き、あるところには雲間にそびえる高い峰で神秘的な場所があり、緑色のうすものと綾絹のように色合いがひとつでなく変化にとんでいる。山の様子、木立に至るまで、他の場所よりもやはり優れていた。南をのぞむと、海は満ち溢れんばかりに広がり、空の雲の波や、海の雲のような波が深く、北をふりかえって見ると、山がけわしくたっているところから、100尺の滝がみなぎり落ちている。滝の音は特にはなだしく、松の間を風が吹き抜け、神々しいたたずまいは、飛滝権現のいらっしゃる那智の山にいかにも似ていた。そしてすぐにそこを那智の山と名付けた。「この峯は本宮だ、あれは新宮だ、是はなになにの王子、あの王子だ」などとそれぞれ王子の名を申して、康頼入道が先にたって、成経を伴って、毎日、熊野詣での真似をして、都に帰れるように祈った。


「ああ、権現金剛童子よ!願うことなら憐れみを恵んでくださって私たちを都へ帰しなさって妻子にもう一度会わせてください!」と祈った。鬼界が島に来てから何日もたって、着替えるべききれいな衣もないので、麻の衣を身にまとって、沢辺の水を浴びて水ごりをして、岩田川の流れの清い流れだと思って、高い場所にのぼって、熊野本宮にあった発心門に見立てた。


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2011年02月03日

10分でわかる「平家物語」巻三「足摺」(ひとり鬼界が島に残された俊寛僧都)


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既に船出すべしとてひしめきあへば、僧都の乗ッてはおりつ、おりては乗ッつ、あらまし事をぞし給ひける。少将の形見にはよるの衾、康頼入道が形見には一部の法花経をぞ留めける。ともづな解いてをし出せば、僧都綱に取つき、腰になり、脇になり、たけの立つまでは引かれて出づ。たけも及ばず成りければ、舟に取りつき、「さていかに各々、俊寛をば遂に捨てはて給ふか。是程とこそおもはざりつれ。日比の情も今は何ならず。ただ理をまげて乗せ給へ。せめては九国の地まで」と口説かれけれども、都の御使「いかにもかなひ候ふまじ」とて、取りつき給へる手を引きのけて、船をば遂に漕ぎ出す。


僧都せん方なさに、渚にあがり倒れふし、幼きものの乳母や母などをしたふやうに、足ずりをして、「是、乗せてゆけ、具してゆけ」と、おめきさけべども、漕ぎ行く舟の習ひにて、跡は白浪ばかり也。いまだ遠からぬ舟なれども、涙に暮れて見えざりければ、僧都高き所に走り上がり、沖の方をぞまねきける。彼の松浦佐用姫がもろこし舟をしたひつつ、ひれふりけんも、是には過ぎじとぞ見えし。


舟も漕ぎかくれ、日も暮るれども、あやしのふしどへも帰らず。浪に足うちあらはせて、露にしほれて、其夜はそこにぞあかされける。さりとも少将は情けふかき人なれば、よき様に申す事もあらんずらんと憑をかけ、その瀬に身をもなげざりける心の程こそはかなけれ。昔壮里、息里が海岳山へはなたれけんかなしみも、今こそ思ひしられけれ。


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赦文──澤村藤十郎
足摺・有王・僧都死去──坂東三津五郎
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飈無文──榎木孝明
法印問答・法皇被流──風間杜夫
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〈現代語訳〉


もう船を出そうと騒いだところ、僧都は船に乗っては下り、下りては乗って、こうあったらいいという事をしなさった。少将の形見としては寝具、康頼入道の形見としては一部の法華経を残した。ともづなをほどいて船を出すと、俊寛僧都は船のその綱に取りついて、海面が俊寛の腰の高さになり、脇の高さになり、背丈の立つまでは船にそのまま引かれていき、背丈が及ばなくなってしまったので、船に取りついて、「ああ、なんと皆さんは、この俊寛をとうとう見捨ててしないなさるのか?これほど冷たいとは思わなかった。日頃の友情も今はもうどうしようもない。ただ道理を曲げて私を乗せてください。せめて九州の地まででも。」と言葉を尽くしたが、都からの使いは「どうにも叶うことではございません」と、取りつきなさった俊寛の手を引きのけて、船を遂に漕ぎ出す。


俊寛僧都はどうしようもなさに、渚にあがって倒れて伏して、幼い者が乳母や母を慕うように足をばたばたさせて、「おーい、乗せてくれ!連れて行ってくれ!」とわめき叫んだが、漕ぎ行く船にとって普通のことだが、残ったのは白い波ばかりである。まだ遠くない船であるけれど、涙にくれた目には見えなかったので、俊寛僧都は高いところに走りのぼって、沖の方へと手招きをした。伝説にある松浦佐用姫(まつらさよひめ)が夫の乗る中国行きの船にむかって首にかけていた布を振ったという例も、この俊寛の悲しみに勝らないだろうと見えた。


船も漕ぎゆき姿を消し、日も暮れたが、祖末な寝床へも帰らない。波に足を洗わせて、夜露に濡れて、その夜はそこで夜を明かしなさった。「そうはいっても、成経少将は情け深い人であるので、都で私のことをいいように申して取りはからってくれる事もあるだろう。」と望みをかけて、その瀬に身を投げなかった心はむなしいことだった。昔、インドの壮里(そうり)息里(そくり)という兄弟が、継母に海岳山(かいがくざん)というところへ、捨てられたという悲しみが、今、思い知られる。




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2011年02月10日

10分でわかる「平家物語」巻三「御産」(後の安徳天皇となる皇子が誕生)


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かかりしかども、中宮はひまなくしきらせ給ふばかりにて、御産もとみに成りやらず。入道相国・二位殿、胸に手を置いて、「こはいかにせん、いかにせん」とぞあきれ給ふ。人の物申しけれども、ただ「ともかうもよき様に、よき様に」とぞのたまひける。「さりとも軍の陣ならば、是程浄海は臆せじ物を」とぞ、後には仰せられける。


御験者は、房覚・昌雲、両僧正、俊堯法印、豪禅・実専、両僧都、各々、僧伽の句どもあげ、本寺本山の三宝、年来所持の本尊達、責めふせ、責めふせもまれけり。誠にさこそはと覚えてたッとかりける中に、法皇は折しも、新熊野へ御幸なるべきにて、御精進のついででなりける間、錦帳近く御座あッて、千手経をうちあげうちあげあそばされけるにこそ、今一きは事かはッて、さしも踊りくるふ御よりましどもが縛も、しばらくうち鎮めけれ。


法皇仰せなりけるは、「いかなる御物気なりとも、この老法師がかくて候はんには、いかでか近付き奉るべき。就中に今あらはるる処の怨霊共は、みなわが朝恩によッて人となッしものどもぞかし。たとひ報謝の心をこそ存ぜずとも、豈障碍をなすべきや。速にまかり退き候へ」とて「女人生産しがたからん時にのぞんで、邪魔遮生し、苦忍がたからんにも、心をいたして大悲呪を称誦せば、鬼神退散して、安楽に生ぜん」とあそばいて、皆水精の御数珠押しもませ給へば、御産平安のみならず、皇子にてこそましましけれ。


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〈現代語訳〉


このように祈祷が行われたが、中宮は絶え間なく陣痛がおこりなさるばかりで、出産はなかなかなされない。清盛と、母である時子は、中宮の胸に手をおいて、「これはどうしよう」と途方にくれなさる。人が清盛にあれこれ申しても、清盛入道はただ「とにかくよいように、よいように。」とおっしゃっるだけだった。「それにしても、いくさの陣であるなら、これほど私もおびえないのに」と、(清盛は)後にはおっしゃった。


祈祷をする僧は、房覚(ぼうかく)・昌雲(しょううん)の二人、さらに俊堯(しゅんぎょう)法印、豪禅(ごうぜん)・実専(じっせん)の二人。それぞれが、祈祷のことばをあげて、それぞれの寺の本山の仏や、長年祈っているご本尊に、強く強く祈った。本当に、これほどの祈りが捧げられたならその霊験もあるだろうと思われて尊かった中で、後白河法皇はちょうど、自らの作った新熊野神社に、お出ましになる予定になっていて、身を清める精進の機会であったので、中宮の寝所の周りにめぐらしたとばりの近くにおすわりになって、千手経(せんじゅきょう)を読み上げなさったのはひときわ様子が変わっていて、あれほど踊りくるっていたよりまし達の呪縛も、しばらくはおさまった。


法皇がおっしゃったことには、「どのような物の怪であろうと、この私のような老法師がこのように中宮のそばに控えているなら、どうして近づきもうしあげることができるだろうか。特に今現れているところの怨霊どもは、皆わが朝廷の恩によって一人前になったものどもだ。かりに感謝して恩に報いようという心を感じないことがあったとしても、どうして中宮のご出産を妨げるようなことがあろうか。速やかに退散するがよい。」といって「女人が難産でいる時に際して 邪悪な魔物が出産を妨げようとし 苦しみに堪え難い時にでも 心をつくして だらにを唱えたら 鬼神は退散して 安産できるだろう」と読みあげられて、水晶で作った数珠をおしもみなさると、ご出産は安産であったのみならず、皇子のご誕生でまでもあった。




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2011年02月17日

10分でわかる「平家物語」巻三「大塔建立」(平家と厳島神社の関係)


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「厳島はなきが如くに荒れ果てて候ふ。此のついでに奏聞して修理せさせ給へ。さだにも候はば、官加階は肩をならぶる人もあるまじきぞ」とて立たれけり。此老僧の居給へる所、異香すなはち薫じたり。人を付て見せ給へば、三町ばかりは見え給ひて、其後はかき消つやうに失せ給ひぬ。


ただ人にあらず、大師にてましましけりと、いよいよたッとくおぼえて、娑婆世界の思出にとて、高野の金堂に曼陀羅を書かれけるが、西曼陀羅をば常明法印といふ絵師に書せらる。東曼陀羅をば清盛書かんとて、自筆に書かれけるが、何とか思はれけん、八葉の中尊の宝冠をばわが首の血を出いて書かれけるとぞ聞えし。


さて都へのぼり、院参して此由奏聞せられければ、君もなのめならず御感あッて、猶任を延べられ、厳島を修理せらる。鳥居を立てかへ、社々を作りかへ、百八十間の廻廊をぞ造られける。


修理をはッて、清盛厳島へ参り、通夜せられたりける夢に、御宝殿の内より鬟結うたる天童の出でて、「これは大明神の御使なり。汝この剣をもッて一天四海をしづめ、朝家の御まもりたるべし」とて、銀の蛭巻したる小長刀を給はるといふ夢をみて、覚めて後見給へば、うつつに枕上にぞ立ッたりける。大明神御詫宣あッて、「汝知れりや、忘れりや、ある聖をもていはせし事は。但し悪行あらば、子孫までは叶ふまじきぞ」とて、大明神上がらせ給ひぬ。目出たかりし事どもなり。


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平家物語 (物語の舞台を歩く)



「平家物語」の舞台を歩く―真説・平清盛

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〈現代語訳〉


「厳島神社はまるでないもののように荒れ果てています。この機会に帝に奏上して修理しなさってください。もしせめてそのようにしましたら、官位を得ることについて、あなたと肩を並べる人もいないだろう。」といって(老僧は)お立ちになった。この老僧がいなさった場所は、特別な香りが漂っていた。人をつけて見せなさると、三町くらいまでは姿が見えたが、その後はかき消すように消えなさってしまった。


「ただ者ではない、弘法大師でいらっしゃたのだ。」と、ますます尊く思って、「現世の思い出に」と、清盛は高野山の金堂に曼荼羅をお書きになったが、西曼陀羅をば常明(じょうみょう)法印といふ絵師に書かせなさる。「東曼陀羅をば、私清盛が書こう」と、自らの手でお書きになったのだが、なにを思われたのだろうか、蓮華座の上の大日如来の冠を、自分の首の血を出して、それでお書きになったとうわさになった。


そして都にのぼって、清盛は院に参ってこの老僧のお告げについて申し上げると、院も並々でなく感動なさって、なおいっそう清盛の安芸の国司としての任期を延長しなさって、厳島神社を修理しなさる。鳥居を立て替えて、やしろを作りかえて、百八十間の回廊をお造りになった。


修理が終わって、清盛は厳島神社に参って、夜通し籠りなさった時の夢に、御宝殿の中からびんづらを結った童が出て来て「これは大明神のお使いである。お前はこの剣によって天下を鎮めて、朝廷のお守りになるがよい。」ということで、銀がヒルのように巻かれた装飾を施された小さい長刀を頂くという夢を見て、目を覚まして見なさると、現実にも枕もとにその小長刀が立っていた。大明神からのお言葉があった。「お前は知っているか、ある聖をもって言わせた事を。ただし悪行があるなら子孫までは叶わないだろう。」と言って大明神は去っていかれた。素晴らしかったことである。



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2011年02月24日

10分でわかる「平家物語」巻三「少将都帰」(藤原成経少将・平康頼入道の帰京後の様子)


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少将はしうと平宰相の宿所へ立ち入り給ふ。少将の母うへは霊山におはしけるが、昨日より宰相の宿所におはして待たれけり。少将の立ち入り給ふ姿を一目みて、「命あれば」とばかりのたまひて、引きかづいてぞ臥し給ふ。宰相の内の女房・侍ども、さし集ひて、みな悦び泣きどもしけり。まして少将の北の方、めのとの六条が心のうち、さこそはうれしかりけめ。六条は尽せぬ物思ひに、黒かりし髪もみな白くなり、北の方さしも花やかにうつくしうおはせしかども、いつしか痩せおとろへて、其人とも見え給はず。


ながされ給ひし時、三歳にて別れし幼き人、おとなしうなッて、髪ゆふ程なり。又、そのそばに、三つばかりなる幼き人のおはしけるを、少将「あれはいかに」とのたまへば、六条「是こそ」とばかり申して、袖を顔に押しあてて涙をながしけるにこそ、さては下りし時、心くるしげなる有りさまを見置きしが、事故なく育ちけるよと、思ひ出ても悲しかりけり。少将はもとのごとく院に召し使はれて、宰相中将にあがり給ふ。


康頼入道は、東山双林寺にわが山庄の有りければ、それに落ち着いて、まづ思ひつづけけり。


 ふる里の軒の板間に苔むして思ひしほどは漏らぬ月かな


やがてそこに籠居して、憂かりし昔を思ひつづけ、宝物集といふ物語を書けるとぞ聞えし。


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〈現代語訳〉


成経少将は舅である平教盛の邸に入りなさった。成経少将の母上は東山の霊鷲山(りょうじゅせん)にいらっしゃたが、昨日から宰相平教盛の邸にいらっしゃって成経をお待ちになった。成経少将がお入りになる姿をひとめ見て、「いのちあればこそ」とだけおっしゃって、衣をかぶって臥しなさる。宰相の家の女房や侍たちが集まって、みな喜びに涙を流しあった。ましてや、少将の奥方や、乳母である六条の心のうちはさぞかし嬉しかっただろう。六条は尽きることのない心苦しさによって黒かった髪もみな白くなって、奥方もあれほど華やかで可愛らしくいらっしゃったのに、いつの間にかやせ衰えて、その人であるとも見えなさらない。


成経が流されなさった時に、三歳で別れた幼い者たちは成長しなさって、髪を結う程である。また、そのそばに三歳ほどである幼い子がいらっしゃったので少将は「あれはどうしたことか。」とおっしゃると、六条が「是こそ。」とだけ申して、袖を顔に押し当てて涙を流したので、「それでは都を下ったときに、北の方が身ごもっていた子が、無事に育ったのだよ。」と思い出すのも悲しかった。少将はもとのように院に召し使われて、宰相の中将の位にのぼりなさった。

康頼入道は、東山双林寺(ひがしやまそうりんじ)に自分の山荘があったので、そこに落ち着いて、まずは思いを歌にした。

「故郷の山荘の軒の 板のあいだからは 苔むしているせいで 思ったほどには 月の光が漏れて来ない」

そのままそこに籠り住んで、つらかった昔を思い続け、「宝物集」という物語を書いたと言われた。


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2011年03月03日

10分でわかる「平家物語」巻三「有王」(鬼界が島に取り残されて俊寛僧都と弟子であった有王が再会)


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ある朝、いその方よりかげろふなどのやうに痩せおとろへたる者一人よろぼひ出できたり。もとは法師にて有りけりと覚えて、髪は空さまへ生ひあがり、よろづの藻くづとり付いて、おどろをいただいたるがごとし。継ぎ目あらはれて皮ゆたひ、身に着たる物は絹布のわきも見えず。片手にはあらめをもち、片手には魚をもち、歩むやうにはしけれども、はかもゆかず、よろよろとして出できたり。


「都にて多くの乞丐人見しかども、かかる者をばいまだみず。「諸阿修羅等居在大海辺」とて、修羅の三悪四趣は深山大海のほとりにありと、仏の解きおき給ひたれば、知らず、われ餓鬼道に迷ひ来たるか」と思ふ程に、かれも是も次第に歩みちかづく。もしかやうのものも、わが主の御行方知りたる事やあらんと、「物まうさう」といへば、「何ごと」とこたふ。


「是に都よりながされ給ひし、法勝寺執行御房と申す人の、御行方や知りたる」と問ふに、童は見忘れたれども、僧都はいかで忘るべきなれば、「是こそそよ」といひもあへず、手に持てる物をなげ捨て、いさごの上に倒れふす。さてこそわが主の御行方は知りてンげれ。


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〈現代語訳〉


ある朝、磯の方からトンボのようにやせ衰えた者がひとりよろめきながらやってきた。もとは法師であったと思われて、髪は空の方へと生え上がり、その髪に藻のくずが付いて、いばらを頭に載せているようだ。関節が現れて、皮はたるんで、その身に着ているものは絹と布の区別もわからない。片手には海藻をもって、片手には魚を持って、歩こうとはしたけれど、はかどらず、よろめきながらやって来た。


「都で多くの物乞い行為をしているものを見たが、このような者はいまだに見た事が無い。諸々の阿修羅などは、海辺に住むというように、修羅の三悪や四趣は深山大海のほとりにあると仏が説いておきなさったので、知らないうちに私は餓鬼道に迷いきたのか。」と思ううちに、その者も有王も次第に歩んで近づいた。「もしかしてこのような者であっても、私の主人の行方を知っていることもあるだろうか。」と、有王が「物をお尋ねもうしあげます」と言うと、その者も「何事だ」と答える。


「ここに都から流されなさった法勝寺執行であった俊寛と申す人の、行方を知っているか。」と問うと、有王の方は見忘れていたけれど、僧都は決して有王を忘れていなかったので、「私こそがその俊寛だよ。」と言い終わらないうちに、手に持っていた海藻と魚を投げ捨てて、砂の上に倒れ臥した。そして有王は自分の主人の行方を知ってしまった。


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2011年03月10日

10分でわかる「平家物語」巻三「僧都死去」(鬼界が島に流された俊寛が亡くなる)


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「此島へながされて後は、暦もなければ、月日のかはり行くをも知らず。ただおのづから花の散り、葉の落つるを見て春秋をわきまへ、蝉の声麦秋を送れば夏と思ひ、雪のつもるを冬としる。白月黒月のかはり行くをみて、卅日をわきまへ、指を折ッてかぞふれば、今年は六つになると思ひつる幼き者も、はや先立ちけるごさんなれ。


西八条へ出でし時、この子が、我もゆかうど、したひしを、やがて帰らうずるぞとこしらへおきしが、今の様に覚ゆるぞや。其れを限りと思はましかば、今しばしもなどか見ざらん。親となり、子となり、夫婦の縁をむすぶも、みな此世ひとつにかぎらぬ契ぞかし。などさらば、それらが、さやうに先き立ちけるを、今まで夢まぼろしにも知らざりけるぞ。人目も恥ぢず、いかにもして、命いかうど思ひしも、これらを今一度見ばやと思ふためなり。



姫が事ばかりこそ心ぐるしけれども、それは生き身なれば、歎きながらも過ごさんずらん。さのみながらへて、己にうき目を見せんも、我身ながらつれなかるべし」とて、をのづからの食事をもとどめ、ひとへに弥陀の名号をとなへて、臨終正念をぞ祈られける。


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〈現代語訳〉


「この鬼界が島に流されて後は、暦もないので、月日が過ぎ行くのも分らなかった。ただ自然に花が散り、葉が落ちるのを見て春や秋を知り、蝉の声が麦の熟す頃の終わりを告げると夏だと思い、雪が積もることで冬と知った。新月から満月へ、満月から新月へと変わっていくのを見て30日を知り、指折り数えてみると、今年で六歳になると思っていた幼い子もすでに先立ってしまったようだ。」


「私が西八条へ出頭した時、此の子が自分も行こうと慕ってきたのを、『すぐに帰って来るよ』と、なだめておいたのが、今現在のことのように思われるよ。それっきりになると思っていたなら、どうしてもうほんの少しの間でもあの子を見ておかなかったんだろう。親となったり、子となったり、夫婦の縁を結ぶのも、みなすべて現世だけに限らない縁なのだよ。私の家族たちがそのように先立ったことを、今まで夢や幻にさえも私は知らなかったのだ。人目を恥じることもなく、どうにかして命を生きながらえようと思ったのも、家族にもう一度会いたいと思うがゆえである。」


「残された12歳の姫の事だけは心配だが、その子は生きているので、嘆きながらもなんとか暮らしていけるだろう。こんな状態でばかり私が生きながらえて、有王、お前につらい思いをさせることは私としても無情であるだろう。」と、たまの食事も摂る事をやめ、ひたすら阿弥陀の名を唱えて、死に臨んで、妄念は捨てて、祈りを捧げた。


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2011年03月17日

10分でわかる「平家物語」巻三「医師問答」(不吉な死への予兆を漂わせていた平重盛)


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小松のおとど、かやうの事どもを聞き給ひて、よろづ心ぼそうや思はれけん、其比熊野参詣の事有りけり。本宮証誠殿の御前にて、夜もすがら敬白せられけるは、


「親父入道相国の体を見るに、悪逆無道にして、ややもすれば君をなやまし奉る。重盛長子として、頻りに諫をいたすといへども、身不肖の間、かれもッて服膺せず。そのふるまひを見るに、一期の栄花猶あやうし。枝葉連続して、親を顕し名を揚げん事かたし。此時に当って重盛いやしうも思へり。なまじいに列して世に浮沈せん事、あへて良臣孝子の法にあらず。しかじ、名を逃れ身を退いて、今生の名望を抛て、来世の菩提を求めんには。但し凡夫薄地、是非にまどへるが故に、猶心ざしを恣にせず。南無権現金剛童子、願くは子孫繁栄絶えずして、仕へて朝廷にまじはるべくは、入道の悪心を和げて、天下の安全を得しめ給へ。栄耀又一期を限って、後混恥に及ぶべくは、重盛が運命をつづめて、来世の苦輪を助け給へ。両ケの求願、ひとへに冥助を仰ぐ」と肝胆をくだいて祈念せられけるに、燈籠の火のやうなる物の、おとどの御身より出て、ばッと消ゆるが如くして失せにけり。人あまた見奉りけれども、恐れて是を申さず。


又下向の時、岩田川を渡られけるに、嫡子権亮少将維盛以下の公達、浄衣の下に薄色のきぬを着て、夏の事なれば、なにとなう河の水に戯れ給ふ程に、浄衣のぬれて、衣にうつッたるが、偏に色のごとくに見えければ、筑後守貞能これを見とがめて、「何と候ふやらん、あの御浄衣のよに忌はしきやうに見えさせおはしまし候。召しかへらるべうや候ふらん」と申しければ、おとど、「わが所願既に成就しにけり。其浄衣敢へてあらたむべからず」とて、別して岩田川より、熊野へ悦の奉幣をぞ立られける。人あやしと思ひけれども、其心をえず。しかるに此の公達、程なくまことの色を着給ひけるこそ不思議なれ。


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
「平家物語連続講義放送リスト」
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【アイテム紹介】「平家物語」で繰り返し生じる清盛と後白河法皇の対立。「重盛は法皇と清盛の対立を超越した運命の予言者である」という解釈をされているのが、石母田正氏。岩波新書青版「平家物語 」は平家物語成立の過程に対しての考察など、「平家物語」を読み解くためのエッセンスが凝縮された歴史的名著です。



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平家物語 (岩波新書)


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〈現代語訳〉


小松の大臣、平重盛はこのような占いを聞きなさって、あれこれと心細くお思いになったのだろうか、そのころ、熊野へお参りになることがあった。本宮証誠殿の前で、一晩中、申し上げられたことには、


「わが父、清盛入道の様子をみると、悪逆、無道な振る舞いで、ともすれば帝をも悩まし申し上げる。私、重盛は長男として、頻繁にいさめることをいたしましたが、わが身が愚かであるために、父はそれを心にとどめてくれない。父清盛の振る舞いを見ると、父一代の栄光でさえやはり危うい。子孫が続いて、親を世間にたたえて名をあげるようなことは難しい。このときにあたって私重盛はいやしくもこう思っています。なまじ重臣たちの中に並んで位を世に浮き沈みするようなことは、必ずしも良い家臣、孝行の子のやり方ではない。名声を捨てて、身を退いて、現世での名誉や希望を投げ捨てて、来世における菩提を求めることには及ばない。ただし卑しい凡夫である我が身は、良い悪いの判断に戸惑っているがゆえに、やはり出家の志を思うままに貫けない。ああ権現金剛童子よ願う事ならわが子孫の反映は絶える事無く平家がこのままお仕えして、朝廷に交わることができるならば、父清盛入道の悪い心をやわらげて、平家の栄華が父清盛の代で限りとなって、後に子孫に恥辱が及ぶならば、重盛の寿命を縮めて、来世の限りない苦しみから助けてください。両方の願いについて、ただひたすらお助けを仰ぎたいです。」と、心を砕いてお祈りされたところ、灯籠の火のようなものが、重盛大臣のおからだから出て、ぱっと火が消えるようにして消えてしまった。多くの人が見申し上げたが、恐れて是を申し上げない。


またお帰りの時に、岩田川を渡られたのだが、嫡子権亮少将維盛(ごんのすけ・じょうしょう・これもり)以下の公達は、白装束の下に薄紫色のころもを着て、夏の事なので、なんということもなく川の水で戯れなさった時に、(重盛の)白装束が濡れて、下の衣が透けて見えたのが、ただ喪服の色のように見えたので、筑後守貞能(ちくごのかみさだよし)が、これを見てとがめて、「なんということでございましょう。あなたの白装束がまことに忌まわしいように見えなさっております。着替えなさるべきでございましょう。」と申したところ、大臣重盛は「私の願いは既に成就した。この白装束をわざわざ着替えるつもりはない。」と言って、特別に岩田川から熊野へお礼の幣を奉る使者を遣わしなさった。周りの人は奇妙だと思ったが、その意味がわからない。しかしながらこの公達がまもなく、本当に喪服を着なさったのは不思議である。

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2011年03月31日

10分でわかる「平家物語」巻三「医師問答その2」(ことあるごとに清盛を諌めてきた人格者重盛がとうとう亡くなる)


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「重盛いやしくも九卿に列して三台にのぼる。其運命をはかるに、もッて天心にあり。なんぞ天心を察せずして、愚かに医療をいたはしうせむや。所労もし定業たらば、医療を加ふとも益なからんか。又非業たらば、療治を加へずともたすかる事をうべし。彼耆婆が医術及ばずして、大覚世尊、滅度を抜提河の辺に唱ふ。是則、定業の病、癒さざる事を示さんが為也。定業猶医療にかかはるべう候はば、豈に釈尊入滅あらんや。


定業又治するに堪へざる旨あきらけし。治するは仏体也、療するは耆婆也。しかれば重盛が身仏体にあらず、名医又耆婆に及ぶべからず。たとひ四部の書をかがみて、百療に長ずといふ共、いかでか有待の穢身を救療せん。たとひ五経の説を詳にして、衆病をいやすといふとも、豈に先世の業病を治せんや。もしかの医術によて存命せば、本朝の医道なきに似たり。医術効験なくんば、面謁所詮なし。就中本朝鼎臣の外相をもッて、異朝富有の来客にまみえん事、且つうは国の恥、且は道の陵遅也。たとひ重盛命は亡ずといふとも、いかでか国の恥をおもふ心を存ぜざらん。此由を申せ」とこそのたまひけれ。


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【アイテム紹介】「平家物語」で繰り返し生じる清盛と後白河法皇の対立。「重盛は法皇と清盛の対立を超越した運命の予言者である」という解釈をされているのが、石母田正氏。岩波新書青版「平家物語」は平家物語成立の過程に対しての考察など、「平家物語」を読み解くためのエッセンスが凝縮された歴史的名著です。



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〈現代語訳〉


「私重盛はいやしくも公卿の列に連なって、大臣にまで昇っている。その運命を鑑みると、これは天の思し召しにある。どうして天の思し召しを察しないで、愚かにも医療などの面倒なことをしようか。この病いが定まった運命であるなら、治療を施しても効果は無いだろう。また運命によるものでないなら、治療を施さなくても助かることができるだろう。あの名医耆婆(ぎば)の医術が及ばず、お釈迦様は、抜提河(ばつだいが)のほとりで亡くなられた。これは、定まった運命による病は癒せない事を示そうとするためである。定まった運命がやはり医療によってなんとかなるなら、どうして釈迦が亡くなることがあるだろうか。いやない。


定まった運命を治療することはかなわないことが明らかだ。治療しようとしたのは釈迦の身体、治療行為をするのは名医耆婆である。そうであるので、私、重盛の身は仏の身ではない、その宋から来た名医も、また耆婆には及ばないはずだ。たとえ医学の世界で四書と呼ばれる四冊の権威ある本をみて、百の治療法に通じているといっても、どうして衣食に頼って生きるけがれた我が身を救って治療できるだろうか。いやできない。たとえ医学の世界の五経とされる五冊の名著の説に詳しく、様々な病気を治すといっても、どうして前世からの定めによる病を治すことができるだろう。いやできない。もし私が宋の国の医術によって命をつなぎ止めたら、我が国に医学の道がないようなものだ。なおかつその宋の国の医術に効果が無いなら、宋の医師に会っても仕方が無い。特に、我が国の大臣である立場で、外国からふらりとやってきた来客に会うことは、一方で国の恥であり、もう一方で正しい政治の道が衰退していくことである。たとえ私重盛が死んだとしても、どうしてわが国の恥を思う心がないだろうか、いや、ある。この旨を父清盛に申し上げよ。」とおっしゃった。



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2011年04月07日

10分でわかる「平家物語」巻三「法印問答」(長男重盛を失った清盛が静憲に法皇への怒りの言葉を伝える)


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内府が中陰に八幡の御幸あッて御遊ありき。御嘆の色、一事も是をみず。たとひ入道がかなしみを御あはれみなくとも、などか内府が忠をおぼしめし忘れさせ給ふべき。たとひ内府が忠をおぼしめし忘れさせ給ふとも、いかでか入道が嘆を御あはれみなからむ。父子共に叡慮に背き候ひぬる事、今にをいて面目を失ふ、是一つ。


次に、越前国をば子々孫々まで御変改あるまじき由、御約束あッて下し給はッて候ひしを、内府に遅れて後、やがてめしかへされ候事は、何の過怠にて候やらむ、是一つ。


次に、中納言闕の候ひし時、二位の中将の所望候ひしを、入道随分執り申ししかども、遂に御承引なくして、関白の息をなさるる事はいかに。たとひ入道非拠を申しおこなふとも、一度はなどか聞こし召し入れざるべき。申し候はんや、家嫡といひ、位階といひ、理運左右に及ばぬ事を引ちがへさせ給ふは、本意なき御ぱからひとこそ存じ候へ、是一つ。


次に、新大納言成親卿以下、鹿谷に寄りあひて、謀反の企て候ひし事、まッたく私の計略にあらず。しかしながら君御許容あるによッてなり。事新しき申し事にて候へども、七代までは此一門をば、いかでか捨てさせ給ふべき。それに入道七旬に及んで、余命いくばくならぬ一期の内にだにも、ややもすれば、亡すべきよし、御ぱからひあり。申し候はんや、子孫あひついで朝家にめしつかはれん事ありがたし。凡そ老いて子を失ふは、枯木の枝なきにことならず。今は程なき浮世に、心を費しても何かはせんなれば、いかでもありなんとこそ思ひなッて候へ」とて、且つうは腹立し、且つうは落涙し給へば、法印おそろしうも、又哀れにも覚えて、汗水になり給ひぬ。


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【アイテム紹介】2012年の大河ドラマ「平清盛」。「平家物語」や、吉川英治「新平家物語」などで既に作られている既存の清盛像に留まらず、新たな清盛像を描き出そうと、果敢に挑んだ意欲作。俳優陣の新鮮な演技、斬新な音楽、新たな物語解釈。特に後半の脚本の切れ味は素晴らしい。忠盛の男っぷり、西行出家の際の美しい桜の描写、父を諌める重盛、時忠の例のセリフや、仏御前の登場場面等々、名シーン・名演がたくさん。最終回、壇の浦からの、まさかのあのラストシーンもなかなか良かったと思います。
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〈現代語訳〉


「後白河法皇は、重盛の四十九日までに、八幡へお出ましてお遊びになった。お嘆きの様子がひとつも見えない。たとえ、私清盛入道のかなしみを憐れみなさらないとしても、どうして重盛の忠義をお忘れになるべきだろうか、いや忘れてはならない。たとえ重盛の忠義を忘れなさったとしても、どうして私清盛入道の嘆きへの憐れみがないのだろう。親子ともども法皇のお考えにお気持ちにそぐわなくなってしまったことで、今になって面目を失った。これが言いたいことのひとつだ。


次に重盛の知行国であった越前の国は、子孫に及ぶまで変更がないというの旨を、お約束下さってございましたのに、平家が重盛に先立たれた後、すぐにお取り上げになりました事は、我々平家になんの過失がございましたのか。これがまたひとつの言いたいことだ。


次に中納言の欠員がございました時、二位の中将からの所望がございましたので、私清盛入道も推薦し申し上げたのだが、とうとう中将を引き立てることなく、関白のご子息を中納言になされた事は、どういうことだ。たとえ、私清盛入道が理不尽なことを申し行うとしても、一度は私の意見をどうしてお聞き入れなさらないのだろう。ましてや基通は嫡男であり、位階も申し分ない。道理についてあれこれ言うに及ばない事を、変えなさったことは、我々平家にとって不本意な取り計らいだと思っております。これがまたひとつのいいたいことだ。


次に、新大納言成親卿ほかの人々が、鹿谷に寄り集まって、謀反を企てました事は、まったく彼ら個人個人の計略ではない。すべて後白河法皇の許しがあることによってである。言い古されたことを、改めて申すようでございますが、七代までは、この平家一門を、どうしてすてなさることができるだろうか。それに私清盛入道の70歳近くに及んで、余命がいくらもない私一代のうちにさえ、ややもしたら、平家を亡ぼすとの旨の、後白河法皇のご計画がある。まして、今後、子孫が朝廷に召しつかわれる事は難しい。そもそも、年老いて子供を失うのは、枯木で枝がないのと変わらない。今は余命の少ないこの世で、心を尽くしてもどうしようもないので、どうして生きていようかと思うようになりました。」といって、一方で腹を立て、一方で涙を流したので、静憲は、恐ろしくも、気の毒にも思われて、汗が流れ落ちた。



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