「平家物語」各場面の原文朗読・現代語訳・解説の音声ファイルを公開しています。
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2011年04月14日

10分でわかる「平家物語」巻三「法皇被流」(清盛は後白河法皇に対しても怒りが向かい幽閉へ)


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同廿日、院の御所法住寺殿には、軍兵四面を打ちかこむ。「平治に信頼が三条殿にしたりし様に、火をかけて人をばみな焼き殺さるべし」と聞えし間、上下の女房めのわらは、物をだにうちかづかず、慌て騒いで走りいづ。


法皇も大きにおどろかせおはします。前右大将宗盛卿御車をよせて、「とうとう召さるべう候ふ」と奏せられければ、法皇「こはされば何事ぞや。御とがあるべしとも思し召さず。成親・俊寛が様に、遠き国遥かの島へも移しやらんずるにこそ。主上さて渡らせ給へば、政務に口入するばかりなり。それもさるべからずは、自今以後さらでこそあらめ」と仰せければ、宗盛の卿「其儀では候はず。世をしづめん程、鳥羽殿へ御幸なし参らせんと、父の入道申し候ふ」。


「さらば宗盛やがて御供に参れ」と仰せけれども、父の禅門の気色に恐れをなして参られず。「あはれ、是につけても兄の内府には事の外におとりたりける物かな。一年もかかる御目にあふべかりしを、内府が身にかへて制しとどめてこそ、今日までも心安かりつれ。いさむる者もなしとて、かやうにするにこそ。行末とても頼もしからず」とて、御涙をながさせ給ふぞかたじけなき。


平家物語連続講義のこれまでの内容を物語の展開順にまとめました。
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【アイテム紹介】「平家物語」の面白いところは「物語化」されているとはいえ、そのベースになっているのが「歴史的事実」であるということ。平清盛も木曾義仲も源義経も、実在の人物でした。「歴史(history)」と「物語(story)」は語源をともにしていると言われます。「平家物語」を入口に「歴史」の世界を学ぶのも面白いかもしれません。こういった学習マンガは何かと使えます。お子様へのプレゼントにも良いかもしれません。
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〈現代語訳〉


同じく二十日、院の御所法住寺殿では軍勢が四方を取り囲んだ。「平治の乱の時に、藤原信頼が三条殿でしたように、火をかけて、人を皆、焼き殺されるのだろう」と噂になったため、地位の高い女房も、低い女房も、雑用をする少女たちも、笠などさえも被らないで、慌て騒いで走り出た。


法皇も大いに驚きなさった。前の右大将である平宗盛は、車を寄せて「はやくはやくお乗りになるべきでございます。」と法皇に申し上げられたので、法皇「これはいったい何事か。私に罪があるとは思われない。成親・俊寛のように私も、遠い国の島へ流そうとするのであろうか。高倉天皇はあのように若くいらっしゃるので、私は政治に口出しをしているだけのことだ。それもするべきでないなら、今後そうしないでいよう。」(宗盛)「そういう意図で来たのではございません。世の中を静めるまでの間は、法皇様に鳥羽殿までおいで頂こうと父である清盛入道が申しております。」


「それならば宗盛よ、そのまま私のお供に参れ」と法皇はおっしゃったが、宗盛は父清盛の様子を恐れて参ることができない。「ああ、是につけても兄の重盛には大変に劣ったものだなあ。1年前にもこのような目にあうはずだったところを、重盛は我が身に変えて制しとどめてくれたからこそ今日まで私は安心していられたのだ。清盛を諌めるものも無いからこのようにするのであろう。平家の行く末は頼りない。」といって法皇が涙を流しなさるのはもったいないことだ。



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2011年04月21日

10分でわかる「平家物語」巻三「法皇被流その2」(鳥羽殿に幽閉されてしまった後白河法皇が死を予感し行水を願う)


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さて御車に召されけり。公卿、殿上人、一人も供奉せられず。ただ北面の下臈、さては金行といふ御力者ばかりぞ参りける。御車の尻には、尼ぜ一人参られたり。この尼ぜと申すは、やがて法皇の御乳の人、紀伊二位の事也。七条を西へ、朱雀を南へ御幸なる。あやしの賎男賎女にいたるまで、「あはや法皇の流されさせましますぞや」とて、泪をながし、袖をしぼらぬはなかりけり。「去七日の夜の大地震も、かかるべかりける先表にて、十六洛叉の底までもこたへ、乾牢地神の驚き騒ぎ給ひけんも理かな」とぞ、人申しける。


さて鳥羽殿へ入らせ給ひたるに、大膳大夫信業が、何として紛れ参りたりけるやらむ、御前ちかう候ひけるを召して、「いかさまにも今夜失なはれなんずと思し召すぞ。御行水をめさばやと思し召すはいかがせんずる」と仰せければ、さらぬだに信業、けさより肝たましいも身にそはず、あきれたるさまにてありけるが、此の仰せ承るかたじけなさなさに、狩衣に玉だすきあげ、小柴墻壊り、大床のつか柱わりなどして、水くみ入れ、かたのごとく御湯しだいて参らせたり。


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【アイテム紹介】当サイトは「オーディオ」ファイルによる「平家物語」の解説を行っていますが、是非とも併用して頂きたい本がこちらです。当時の武具、衣食住の図や、物語の舞台となった名所旧跡の写真などなど「ビジュアル的」に平家物語を理解するには、最強の本です。じっくり読み込んでも良し。ただ眺めているだけでもとても楽しい本です!
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平家物語図典


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〈現代語訳〉


そして後白河法皇は車に乗りなさった。公卿、殿上人、一人もお連れにならない。ただ北面の武士である身分の低い金行という下僕だけが参上した。車の後ろに尼御前ひとりが参られた。この尼御前と申す人はまさしく法皇の乳母である人、紀伊二位のことである。七条大路を西へ、朱雀大路を南へいきなさった。いやしい下賎の男や女にいたるまで、「ああ法皇が流されなさるのだ」と涙を流して、袖を絞らないものはいなかった。「さる七日の夜の地震もこのようなことになる前兆で、一六〇万由旬の地底の最も深い奥底まで響いて、大地を堅牢にしている神が、驚き騒ぎなさったとかいうのも当然のことだ。」と人々は申した。


そして後白河法皇が鳥羽殿へお入りになると、大膳大夫の信業がどのようにして紛れ参ったのであろうか、法皇の前近くにお控え申し上げているのを法皇がお呼びになって「私はきっと今夜にでも命を奪われるだろう。行水をしたいと思うのだがどうであろうか。」とおっしゃられたので、ただでさえ今朝から信業は、魂が身体から離れたような様子で、呆然とした状態であったのだが、後白河法皇のおっしゃることのかたじけなさに、狩衣の上からたすきをかけて、小柴垣を壊して、大床の下の短い柱を割って薪にして、水を汲みいれて、型通りにお湯を用意し申し上げた。

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2011年04月28日

10分でわかる「平家物語」巻三「城南之離宮」(幽閉された後白河法皇の鳥羽殿での暮らし)


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法皇は城南の離宮にして、冬もなかば過ごさせ給へば、野山の嵐の音のみ烈しくて、寒庭の月の光りぞさやけき。庭には雪のみ降つもれども、跡ふみつくる人もなく、池にはつらら閉ぢ重ねて、群れゐし鳥も見えざりけり。おほ寺の鐘の声、遺愛寺の聞きを驚かし、西山の雪の色、香炉峯の望みをもよほす。よる霜に寒き砧のひびき、かすかに御枕につたひ、暁氷をきしる車の跡、遥に門前に横たはれり。巷を過ぐる行人征馬の忙がはしげなる気色、浮世を渡る有様も思し召し知られてあはれなり。


「宮門を守る蛮夷のよるひる警衛をつとむるも、先の世のいかなる契にて今縁を結ぶらん」と仰せなりけるぞかたじけなき。凡そ物にふれ事にしたがッて、御心をいたましめずといふ事なし。さるままにはかの折々の御遊覧、ところどころの御参詣、御賀のめでたかりし事ども、思し召しつづけて、懐旧の御泪抑へがたし。年さり年来て、治承も四年になりにけり。


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【アイテム紹介】「平家物語」の入門書としては最強のわかりやすさだと思います。それもそのはず、著者の千明守氏は、代々木ゼミナール講師の椎名守。予備校講師としても一流の著者による解説です。文体は架空の生徒と先生のやりとりの形式になっていて、大変に読みやすい本です。イラストなども豊富に使われていて、読んでいて眠くなりません。「平家物語」の参考書を買うならば、1冊目に選ぶべき本はこの「平家物語が面白いほどわかる本」です!

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平家物語が面白いほどわかる本



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〈現代語訳〉


後白河法皇は鳥羽殿で、冬も半分ほど過ごしなさったので、野山の嵐の音ばかりが激しく、寒々しい月の光が美しい。庭は雪が積もるばかりであるが、雪に足あとを踏んでつける人もなく、池には氷が張って重なりあって、群れて集まっていた鳥も姿が見えなくなった。大寺の鐘の響きは遺愛寺の鐘の響きのようで、西山の雪の様子は香炉峰の眺望を想起させる。夜には霜の置く寒さの中、布を叩く砧の響きがかすかに枕に伝わり、明け方には、氷の上をきしませながら通る車の跡が、門の前に横たわっている。道をゆく人、旅する馬の忙しそうな様子、この世を渡る人々の暮らしの様子も思い知られてしみじみとしたお気持ちになる。


「宮廷の門を守る辺境から来た武士たちで、夜も昼も警備に勤めている者達は、前世でどのような運命によって私と縁を結んでいるのだろう。」と、おっしゃったことはもったいない。法皇は万事につけて心を痛めないことはない。そうしているうちにその時々のご遊覧や、あちこちへのご参詣、祝いの賀の素晴らしかったことなどを思い続けられて、昔を懐かしむ涙を抑え難い。そして年は去り、新しい年が来て治承四年となってしまった。


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2011年05月05日

10分でわかる「平家物語」巻四「厳島御幸」(安徳天皇即位にまつわる人々の反応)


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新帝今年は三歳、あはれ、いつしかなる譲位かなと、時の人々申しあはれけり。平大納言時忠卿は、内のめのと、帥のすけの夫たるによッて、 「今度の譲位いつしかなりと、誰かかたむけ申すべき。異国には、周成王三歳、晋穆帝二歳、我朝には、近衛院三歳、六条院二歳、これみな襁褓のなかにつつまれて、衣帯をただしうせざッしかども、或は摂政おふて位につけ、或は母后いだいて朝にのぞむと見えたり。後漢の孝殤皇帝は、生れて百日といふに践祚あり。天子位をふむ先蹤、和漢かくのごとし」と申されければ、其時の有職の人々、「あな恐ろし、物な申されそ。さればそれはよき例どもかや」とぞつぶやきあはれける。


春宮位につかせたまひしかば、入道相国夫婦ともに外祖父外祖母とて、准三后の宣旨をかうぶり、年官、年爵をたまはッて、上日のものをめしつかふ。絵かき花つけたる侍どもいで入て、ひとへに院宮のごとくにてぞありける。出家入道の後も栄雄はつきせずとぞ見えし。出家の人の准三后の宣旨を蒙る事は、法興院の大入道殿兼家公の御例なり。


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【アイテム紹介】「平家物語」の受容史を語ったのがこちらの「『平家物語』の再誕―創られた国民叙事詩 (NHKブックス No.1206)」です。「創られた国民的叙事詩」というのは面白い視点。「平家物語」は国民的な文学であり叙事詩である、という一般常識はいかにして成立したかについて、客観的・学術的に分析がされています。「平家物語」の受容のされ方を通じて、明治以降、近代日本の文学が何を求めて、何を価値として来たのかも、透けて見えて来ます。ちなみに、この本は早稲田大学辺りの入試問題(文化構想学部とか)で「現古融合問題」「文語文融合問題」等の形で、出題がありそうな予感がします。
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『平家物語』の再誕―創られた国民叙事詩 (NHKブックス No.1206)

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〈現代語訳〉


新たな帝は三歳、「ああ早過ぎる譲位だなあ。」と時の人々は申し合いなさった。大納言であった平時忠は、新たな帝の乳母である「そつのすけ」という女性の夫だったので、「今回の譲位が早過ぎるなどと、誰が非難申し上げることができようか。外国の例では周の成王(せいおう)が三歳、晋の穆帝(ぼくてい)が二歳で、我が国の例では近衛院は三歳、六条院は二歳で、これらは皆、産着の中に包まれて、衣服や帯を正しく身につけることはまだできなかったが、あるものは摂政が背負って位につけて、あるものは母である后が抱いてまつりごとに臨んだと見えた。後漢の孝殤(こうしょう)皇帝は、生まれて百日で帝のくらいを継いだ。天子の位に着いた先例は我が国も中国もこのようなものだ。」と申しあげたところ、その時の宮廷の故実や、礼法に通じている人々が「ああ恐ろしい。余計な事を申し上げなさるなそもそもそれらが良い例だろうか。」と互いにつぶやきあいなさった。


皇太子が帝の位にお着きになったので、清盛入道と妻の時子は夫婦でともに外祖父、外祖母として、皇后や皇太后などと並ぶ地位であるとする宣旨を頂き、年官(ねんがん)、年爵(ねんじゃく)という形で収入を頂いて、当番として仕える者を召し使った。絵を描いて花をつけている侍が出入りして、ただひたすら院や宮のような様子であった。出家し仏道に入っても清盛の栄華は尽きていないと見えた。出家をした者が、皇后や皇太后などと並ぶ地位であるとするという宣旨を頂いたことは、藤原兼家公の前例にならったものだ。


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2011年05月12日

10分でわかる「平家物語」巻四「厳島御幸その2」(厳島神社を訪れる前に、自分の父、後白河法皇を訪れる高倉上皇)


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同じき十九日、大宮大納言隆季卿、いまだ夜深う参ッて、御幸もよほされけり。此の日ごろ聞こえさせ給ひつる厳島の御幸、西八条よりすでにとげさせおはします。やよひもなかばすぎぬれど、霞にくもる在明の月はなほおぼろなり。越路をさしてかへる鴈の、雲井におとづれゆくも、折ふしあはれにきこしめす。
いまだ夜のうちに鳥羽殿へ御幸なる。門前にて御車よりおりさせたまひ、門のうちへさしいらせ給ふに、人まれにして木ぐらく、物さびしげなる御すまひ、まづあはれにぞおぼしめす。春すでにくれなんとす、夏木立にも成りにけり。梢の花色をとろえて、宮の鴬声老いたり。


去年の正月六日、朝覲のために法住寺殿へ行幸ありしには、楽屋に乱声を奏し、諸卿列に立ッて、諸衛陣をひき、院司の公卿参りむかッて、幔門をひらき、掃部寮縁道をしき、ただしかりし儀式一事もなし。けふはただ夢とのみぞ思し召す。成範の中納言、御気色申されたりければ、法皇寝殿の橋がくしの間へ御幸なッて、待ち参らさせたまひけり。


上皇は今年、御年廿、あけがたの月の光に映えさせ給ひて、玉体もいとどうつくしうぞ見えさせおはします。御母儀建春門院にいたく似まいらッさせ給ひたりければ、法皇まづ故女院の御事思し召し出でて、御涙せきあへさせ給はず。両院の御座近くしつらはれたり。御問答は人うけたまはるに及ばず。御前には尼ぜばかりぞ候はれける。やや久しう御物語せさせ給ふ。


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〈現代語訳〉


同じく治承4年3月19日、藤原隆季がまだ夜深くに高倉上皇のもとに参って、出発をうながしなさった。この日頃申し出なさっていた厳島神社への訪れを、西八条から出発し今まさに遂げようとしていらっしゃる。3月は半ばも過ぎてしまったが、霞に曇る、有明の月は依然としてぼんやりとしている。北陸道を目指して帰る雁が、雲の上を飛んでいる様子も、季節がらしみじみとお聞きになる。まだ夜のうちに鳥羽殿へお出ましになる。高倉上皇は門の前で車からおりなさって、門の中へお入りになったところ、人目もまれで、木立で辺りも暗く、もの寂しい後白河法皇の住まいを、まず物悲しくお思いになる。春はすでに暮れようとしている。夏の木立にもなってしまっている。梢の花は色が衰えて、宮殿のうぐいすの声も老いてしまった。


去年の正月六日、朝覲(ちょうきん)のために法住寺殿へ行幸をされた時には、楽人の屋舎では、合奏が行われ、貴族たちが列にたって、護衛のものたちが陣を構え警備して、院に仕える公卿が迎えに参って、長く張り巡らした幕を開いて、清掃を行う役人たちが長い筵を敷いて道を作って、ただしく行われていた儀式はいまはひとつとして行われない。今日は夢だとばかりお思いになる。成範(しげのり)の中納言が高倉上皇の到着を、様子にしめし申し上げたので、後白河法皇は橋隠しの間へお出ましになって、高倉上皇をお待ちもうしあげなさった。


高倉上皇は今年で年齢は20歳。明け方の月の光に照り映えなさって、お姿もますます美しく見えていらっしゃる。高倉上皇が母である建春門院平滋子にとても似もうしあげていらっしゃったので、後白河法皇はまず亡くなった建春門院のことを思い出しなさって、涙をせきとめきれないでいらっしゃる。お二人のお座りになるところは互いに近くにしつらわれていた。お二人の問答は人がお聞き申し上げるには及ばない。お二人の前には法皇の乳母であった紀伊二位だけがお控え申し上げた。しばらくの間お二人は語りあいなさった。




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2011年05月19日

10分でわかる「平家物語」巻四「還御」(厳島を立ち去ろうとした高倉上皇とその周りの者たちの雅やかなエピソード)


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同廿九日、上皇御舟かざッて還御なる。風はげしかりければ、御舟こぎもどし、厳島のうち、ありの浦にとどまらせ給ふ。上皇「大明神の御名残おしみに、歌つかまつれ」と仰せければ、隆房の少将


たちかへるなごりもありの浦なれば神もめぐみをかくるしら浪


夜半ばかりより浪もしづかに、風もしづまりければ、御舟こぎいだし、其日は備後国しき名の泊につかせ給ふ。此の所はさんぬる応保のころほひ、一院御幸の時、国司藤原の為成がつくッたる御所のありけるを、入道相国、御まうけにしつらはれたりしかども、上皇それへは上がらせ給はず。


「けふは卯月一日、衣がへといふ事のあるぞかし」とて、おのおの都の方を思ひやりあそび給ふに、岸に色ふかき藤の松に咲きかかりたりけるを、上皇叡覧あッて、隆季の大納言を召して、「あの花折りにつかはせ」と仰せければ、左史生中原康定がはし舟に乗って、御前を漕ぎ通りけるを召して、折りにつかはす。藤の花を手折り、松の枝につけながらもて参りたり。「心ばせあり」など仰せられて、御感ありけり。「此花にて歌あるべし」と仰せければ、隆季の大納言


千とせへん君がよはひに藤なみの松の枝にもかかりぬるかな


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平家物語 (物語の舞台を歩く)



「平家物語」の舞台を歩く―真説・平清盛

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〈現代語訳〉


同じく3月29日、高倉上皇は船を準備してお帰りになる。風が激しかったので、船を漕ぎ戻して厳島の中の「ありの浦」というところに留まりなさった。高倉上皇が「大明神への名残が惜しいので、歌を詠み申し上げよ。」とおっしゃったので、隆房の少将が歌を詠んだ。


「改めて帰って来たくらいに名残ある『ありの浦』なので 神も我らに恵みをかけて 波をかけて美しい白波をかけてくれることよ」


夜中ごろから波も静かになり、風も鎮まったので、船を漕ぎ出して、その日は備後の国、しきなという港に到着しなさった。この場所は去る応保年間に後白河院がいらっしゃった時、国司であった藤原為成が作った御所があったのを、平清盛が、この高倉上皇の御幸のために準備をしていたが、高倉上皇はそちらへは行かれなかった。


「今日は4月1日、衣替えということがあるのだよ。」といって、それぞれが都の方へと思いを馳せながら管弦の遊びなどをしなさると、岸の方に色の濃い藤の花が咲いて、松の枝に巻き付いていたのを、高倉上皇がご覧になって、隆季(たかすえ)の大納言をお呼びになって「あの花を折りに人をつかわせよ。」とおっしゃるので、左史生(さししょう)という役職にあった中原の康定が小舟に乗って上皇の前を通り過ぎるのを呼んで、藤を折りにやった。康定は藤の花を手折って、松の枝に巻き付いたままに持って参上した。上皇は「趣きがある」などとおっしゃられて、感動なさった。「この花を題に歌を詠め。」と上皇がおっしゃられたので、隆季の大納言が詠んだ。


「千歳を経るという高倉上皇様の年齢にあやかるように 藤の花が松の枝にかかっていることだなあ」


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2011年05月26日

10分でわかる「平家物語」巻四「源氏揃」(以仁王に謀反を勧め熱く語りかける源頼政)


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其比、一院第二の皇子以仁の王と申ししは、御母加賀大納言季成卿の御娘なり。三条高倉にましましければ、高倉の宮とぞ申ける。去じ永万元年十二月十六日、御年十五にて、忍つつ近衛河原の大宮の御所にて御元服ありけり。御手跡うつくしうあそばし、御才学すぐれてましましければ、位にもつかせ給ふべきに、故建春門院の御そねみにて、おし籠められさせ給ひつつ、花のもとの春の遊には、紫毫をふるッて手づから御作をかき、月の前の秋の宴には、玉笛をふいてみづから雅音をあやつり給ふ。かくしてあかしくらし給ふほどに、治承四年には、御年卅にぞならせましましける。


其比近衛河原に候ひける源三位入道頼政、或夜ひそかに此宮の御所に参ッて、申しけることこそ恐ろしけれ。「君は天照大神四十八世の御末、神武天皇より七十八代にあたらせ給ふ。太子にもたち、位にもつかせ給ふべきに、卅まで宮にてわたらせ給ふ御事をば、心うしとは思し召さずや。当世のていを見候ふに、上には従ひたる様なれども、内々は平家をそねまぬ物や候ふ。御謀反おこさせ給ひて、平家をほろぼし、法皇のいつとなく鳥羽殿におしこめられてわたらせ給ふ御心をも、休め参らせ、君も位につかせ給ふべし。これ御孝行のいたりにてこそ候はんずれ。もし思し召したたせ給ひて、令旨を下させ給ふ物ならば、悦をなして参らむずる源氏どもこそ多う候へ」とて申しつづく。


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【アイテム紹介】「平家物語」を覚一本の原典そのままに、各界の第一人者による朗読・演技・演奏で見て聴かせようという、前代未聞のDVDシリーズです。

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DVD 原典 平家物語 巻第四[4105-04]

源氏揃・橋合戦──宝井琴梅
信連──平井真軌
競──市川亀治郎
宮御最期──中西和久
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〈現代語訳〉


その頃、後白河院の第二皇子で以仁王と申し上げた方は、母は加賀大納言藤原季成(すえなり)卿の娘である。三条の高倉にいらっしゃったので、高倉の宮と申し上げた。去る永万元年十二月十六日、十五歳で、密かに近衛河原の大宮の御所で元服された。筆跡が美しくいらっしゃって、学問においても優れていらっしゃったので、帝の位におつきになるべきであるのに、亡くなった建春門院平滋子のそねみによって、押し込められなさって、桜の花のもとでの春の管弦や詩歌の遊びの時には、筆をふるって自ら漢詩を書き、月の前での秋の宴席では笛を吹いて、自ら雅びな音色を鳴らして演奏しなさった。こうして日々を明かし暮らしなさっている間に治承四年には三十歳になりなさった。


その頃近衛河原にお控え申し上げた源頼政は、ある夜ひそかにこの以仁王の御所に参って、申したことは恐ろしい。「あなたは天照大神の四十八世の子孫で、神武天皇から七十八代目に当たりなさる。皇太子として立って、位にもつきなさるべきなのに、三十歳までただ宮におられることを情けないとはお思いにならないのですか。今の世の中の様子を見ておりますと、表面上では従っているようですが、内心では平家を恨んでいない者がおりますでしょうか。いや皆に平家を恨んでいます。謀反を起こしなさって、平家を滅ぼして、後白河法皇のいつまでともなく鳥羽殿に押し込められていらっしゃる御心をも、休ませ申し上げて、御自身も皇位につきなさるべきだ。これは親孝行の極みでもございましょう。もしご決心なされて、令旨を下しなさるものであるなら、喜んではせ参ずるであろう源氏の武者たちはたくさんおります。」といって申し続けた。


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2011年06月02日

10分でわかる「平家物語」巻四「源氏揃その2」(源頼政に促されて、以仁王が令旨を下し各地の源氏へと伝達)


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宮は此事いかがあるべからんとて、しばしは御承引もなかりけるが、阿古丸大納言宗通卿の孫、備後前司季通が子、少納言伊長と申し候、勝れたる相人なりければ、時の人相少納言とぞ申しける。其人が此宮を見参らせて、「位に即かせ給ふべき相まします。天下の事思し召し放たせ給ふべからず」と申しけるうへ、源三位入道もかやうに申されければ、「さてはしかるべし。天照大神の御告やらん」とて、ひしひしと思し召したたせ給ひけり。熊野に候ふ十郎義盛を召して、蔵人になさる。行家と改名して、令旨の御使に東国へぞ下しける。


同四月廿八日、都をたって、近江国よりはじめて、美濃尾張の源氏どもに次第にふれてゆく程に、五月十日、伊豆の北条にくだりつき、流人前兵衛佐殿に令旨奉り、信太三郎先生義憲は兄なれば取らせんとて、常陸国信太浮島へくだる。木曾冠者義仲は甥なれば賜ばんとて、東山道へぞおもむきける。


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〈現代語訳〉


以仁王はこの事はどうあるべきだろうと、しばらくはご承諾にならなかったが、阿古丸大納言宗通卿(むねみちのきょう)の孫で、備後前司(びんごのぜんじ)季通(すえみち)の子である少納言伊長(これなが)と申しました者は、勝れた人相見だったので、時の人相少納言と申した。その人がこの宮を見申し上げて「位につきなさるべき相がおありになる。天下のことをお諦めになるべきではありません。」と申した上、源頼政入道もこのように申し上げられたので、「それならばそうするべきだ。天照大神のお告げなのだろう。」と固く決心なさった。熊野神社にお仕え申し上げる源十郎義盛をお呼びになって、蔵人にしなさる。源行家と改名して、令旨のお使いとして東国へと下した。


同じく四月二十八日に、行家は都をたって、近江の国を始めとして、美濃や尾張の源氏たちに次第に告げ知らせていくうちに、五月十日に、伊豆の北条にくだりついて、流人であった前兵衛佐殿に令旨をさしあげて、信太三郎先生義憲(しだのさぶろうせんじょうよしのり)は兄であるからこの令旨を渡そうと、行家は常陸国信太浮島(ひたちのくにしだのうきしま)へと下った。木曾冠者(きそかんじゃ)義仲は甥であるから与えようと、行家は東山道へと赴いた。



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2011年06月09日

10分でわかる「平家物語」巻四「鼬之沙汰」(以仁王と源頼政による平家打倒の計画が、平清盛に知るところとなる)


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仲兼鳥羽殿にかへり参って、門より参らうどすれば、守護の武士どもゆるさず。案内は知ッたり、築地をこへ、大床のしたをはうて、切板より泰親が勘状をこそ参らせたれ。


法皇これをあけて御らんずれば、「いま三日がうち御悦、ならびに御なげき」とぞ申したる。法皇「御よろこびはしかるべし。これほどの御身になッて、又いかなる御嘆のあらんずるやらん」とぞ仰せける。さるほどに、前右大将宗盛卿、法皇の御事をたりふし申されければ、入道相国やうやう思ひなほッて、同十三日鳥羽殿をいだし奉り、八条烏丸の美福門院の御所へ御幸なし奉る。いま三日がうちの御悦とは、泰親これをぞ申しける。



かかりけるところに、熊野の別当湛増飛脚をもて、高倉宮の御謀反のよし都へ申したりければ、前右大将宗盛卿大に騒いで、入道相国折ふし福原におはしけるに、此よし申されたりければ、ききもあへず、やがて都へ馳せのぼり、「是非に及べからず。高倉宮からめとて、土佐の畑へながせ」とこそのたまひけれ。


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〈現代語訳〉


仲兼が鳥羽殿に帰り参って、門から入って参ろうとすると、警護の武士たちがそれを許さない。仲兼は鳥羽殿の中の様子に通じており、土塀をこえて、大床の下を這って、床の板敷から、泰親の占いの結果を記した文書を差し上げた。


法皇がこれを開けてご覧になると、「ここ三日のうちに喜びおよび、嘆きがある。」と申している。法皇は「喜びというのは結構なことだろう。これほどの辛い立場になって、これ以上どのような嘆きがあるのだろう。」とおっしゃった。そうしているうちに前の右大将の平宗盛が、後白河法皇のことをしきりに申し上げなさったので、清盛入道はやっとのことで考えを改めて、同じ月の13日に後白河法皇を鳥羽殿からお出し申し上げて、八条烏丸の美福門院の御所へお出ましをさせ申しあげた。ここ三日のうちの悦びというのは泰親はことのことを申しあげたのだ。


こうしていたところに熊野の別当湛増(くまののべとうたんぞう)が飛脚を使って、以仁王が謀反をおこされたとの旨を都へ申したので、前右大将平宗盛は大いに騒いで、清盛入道がちょうどその時福原にいらっしゃったので、この謀反の旨を清盛に申し上げたところ、清盛は聞き終わらないうちに、すぐに都へ馳せ上って、「あれこれ言うことはない、以仁王をからめとって土佐の畑へと流せ。」とおっしゃった。




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2011年06月16日

10分でわかる「平家物語」巻四「信連」(女装してなんとか御所を脱出した以仁王)


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宮は五月十五夜の雲間の月をながめさせ給ひ、なんの行方も思し召しよらざりけるに、源三位入道の使者とて、文持ッていそがしげにていできたり。宮の御乳母子、六条のすけの大夫宗信、これをとて御前へ参り、開いて見るに、「君の御謀反すでにあらはれさせ給ひて、土佐の畑へながしまいらすべしとて、官人共御むかへにまいり候。いそぎ御所をいでさせ給て、三井寺へ入らせをはしませ。入道もやがてまいり候べし」とぞ書いたりける。


「こはいかがせん」とて、さはがせおはしますところに、宮の侍長兵衛尉信連といふ物あり。「ただ別の様候まじ。女房装束にていでさせ給へ」と申しければ、「しかるべし」とて、御髪をみだし、かさねたる御衣に市女笠をぞめされける。六条の助の大夫宗信、唐笠もッて御ともつかまつる。鶴丸といふ童、袋にもの入れていただいたり。譬へば青侍の女をむかへてゆくやうにいでたたせ給ひて、高倉を北へ落ちさせ給ふに、大きなる溝のありけるを、いともの軽うこえさせ給へば、みちゆき人たち留まッて、「はしたなの女房の溝の越えやうや」とて、あやしげにみまいらせければ、いとどあしばやにすぎさせ給ふ。


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平家物語図典


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〈現代語訳〉


以仁王は五月十五日の夜の雲の間から見える月をぼんやりと物思いに耽りながら見なさって、この先どうなっていくのか我が身の行く末も考えられずにいらっしゃった。源頼政の使者だというものが、手紙をもって慌ただしげに現れた。以仁王の乳母の子である、六条の助の大夫宗信が「これを」といって以仁王の前に参上し、開いてみたところ、「君の御謀反はすっかりと明らかになりなさって、清盛は君を土佐の畑へと流し申し上げようとして、役人たちが迎えにまいります。急いで御所をお出になって、三井寺にお入りになってください。私、頼政もすぐに参るつもりです。」と書いてあった。


以仁王が、「これはどうしたものか」と騒ぎなさっていたところに、以仁王に使える侍で、長兵衛尉信連(ちょうひょうえのじょうのぶつら)というものがいた。「ただ特別のことはするべきではないでしょう、女房の装束を着て脱出なさってください。」と(信連が)申したので、(以仁王は)そうしようと、髪の毛を乱して、衣を重ね着して、女用の笠をお召しになった。六条の助の大夫宗信が唐笠を持ってお共し申し上げた。鶴丸という童が、袋に物を入れて頭にのせた。たとえば若侍が、女を迎えて随行していくようにして出発なさって、高倉を北へと落ちのびていきなさったところ、大きな溝があったのを、(以仁王が)とても軽々とその溝を超えなさったので、道行く人は立ち留まって、「行儀の悪い女房の溝の越えようだよ」と。不思議そうに見申し上げたので、ますます足早に通り過ぎなさった。




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