「平家物語」各場面の原文朗読・現代語訳・解説の音声ファイルを公開しています。
全て無料でダウンロード可能です。
オススメの使い方は→こちらをご参照ください。

2012年09月18日

2012年・平家物語を巡る旅1(屋島山上)

「讃岐国屋島」へ旅行に行ってきた。
僕にとって初の四国上陸。

屋島の戦いと言えば、
有名なのは、中学の国語の教科書で学んだ人も多い、
「那須与一の扇の的」の話。

木曾義仲の上洛によって京を追われた平家は、
いったん屋島に逃れて、勢力を盛り返すという
平家にとって重要な場所だ。

新幹線で10時20分頃、岡山に到着。
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10時53分発のマリンライナーで高松へ。
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瀬戸大橋を渡って四国へ渡る。
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高松駅着の後、
高徳線という電車に乗って屋島駅を目指す。
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11時58分発の引田行き。
ワンマン運転の電車だった!

12時20分過ぎに屋島駅に到着した。
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駅長がたぬき。

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ここからバスで山頂へ。


もともと屋島というのは、文字通り島だったんだけど、
江戸時代に埋め立てられて今は陸続きになっている。
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那須与一や弓流しなどのエピソードで知られる源平の古戦場。
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ボランティアのガイドさんが案内してくれた。
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弘法大師命名の瑠璃宝の池は別名血の池。
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源氏の武士が刀の血を洗ったという伝説がある。

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宿泊客が減って廃墟となったホテルがたくさんあった。

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ここから見える川はもともと海だった。
この辺りで源氏と平家は屋島の戦いを繰り広げたのだ。

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「鬼が島」も見える。

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屋根のような形をしているから「屋島」というらしい。

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屋島城跡は見張りのための場所だったようだ。
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讃岐国には弘法大師空海の伝説も様々。
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この岩の上で夕陽を招きかえしたとのこと。
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ここに瓦を投げて命中すると願いが叶うとか。
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屋島寺へ。
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ここはお遍路さんの84番目の札所。
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ほぼ定番ルートは回った感じなので、
ボランティアのガイドさんとはお別れして、
改めて逆ルート辿ってもう1周。
宝物館で十一面観音などを鑑賞した。

途中で目にして気になっていた
「あん餅入りの雑煮」を食べる。
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この辺りでこういう雑煮が普通らしい。

白みそ&青のり&あん餅という組み合わせ!

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あんが入ってる!
かなり癖の強い味。興味深く召し上がらせてもらった。

17時25分のバスに乗り、琴電屋島から電車で瓦町へ。
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少し歩いてロイヤルパークホテル高松へ移動し宿泊した。
http://ryl.anabuki-enter.jp/
posted by manabiyah at 13:06| 平家物語を巡る旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年・平家物語を巡る旅2(栗林公園から平家物語歴史館へ)

2日目の朝は6時半起床。
爽やかな朝。
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身支度を整えて7時10分ころには早々とホテルをチェックアウト。
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ここから歩いて「栗林公園」へ。

公園内「花園亭」の茶室にて、
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朝がゆ(要予約)。
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公園内はかなり広い。
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至るところに見事な風景が。
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ここでは和船に乗ることもできる。
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船上から風景を眺めることもできる。
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栗林公園を出てタクシーを拾って、
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ほんの10分くらいで「平家物語歴史館」に到着。

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地元出身の著名人の方々の蝋人形。

そして、いよいよ「平家物語」名場面を立体的に再現したメインコーナーへ。
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おお、いきなり鵯越の逆落とし!!

立体で造形していて、なおかつ写真撮影OKという状態。
好きな角度からあの歴史的名場面を撮れる!
気分は映画監督。
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こんな角度からでもOK!

そして、自分もその場面に居合わせることができるのだ!

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「平忠盛、鬼を捕らえる」

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「平家軍、富士川で大敗」

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「平重衛、大仏を焼く」

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「安徳天皇、入水」

さて、一通り見終わって、「平家物語歴史館」の人とあれこれ話す。

「そろそろお昼にしようと思っているんですけど、
ちょうどいい所ありませんか?」と尋ねると…。

「うどんならやっぱり山田家さんですね。
わら家さんもどうですか?」とパンフを渡される。

うどん一択か!!!

うぬぬ、やはり讃岐はそうなのか。

そんなわけでタクシーでとりあえず「山田家うどん」という名店に行って、
その足で源平合戦の遺跡をあれこれ見て回ることにした。
posted by manabiyah at 13:07| 平家物語を巡る旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年・平家物語を巡る旅3(うどん・源平合戦の遺跡巡り)

そんなわけでタクシーに乗る。
車窓からの光景。
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タクシーの運転手さんに
「昨日はどこでうどん食べましたか?」
と尋ねられる。

うどん食べ歩きに来たわけではないのだが…。
とりあえず、
「屋島の山頂で食べました」と答えると、
「いやーあれはダメですよ。やっぱりうどんは下の方で食べないと…」
というような展開。

異様なまでのうどんへのこだわり。恐るべし讃岐。

とにかく名店という評判の「うどん本陣山田家」へ。
http://www.yamada-ya.com/
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暑かったので「天ざる」を食べた。
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確かに美味しい!
絶妙のゆで加減と食感が良い。

満足して山田家を出る。
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ここからiPhoneのマップ機能を頼りに、
源平合戦の遺跡をあれこれ歩いて巡ることにした。

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前日は屋島山頂から見たところを、
今度は地上から見るというわけだ。

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船隠し。

源平合戦の折、平家は源氏の軍船が必ず海上から攻めてくると予想し、
この入り江に、平家の軍船を隠していた。

水に沈んでいるけれど、
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これが那須与一が馬の足場にした岩。
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奥に見えるイラストが扇の的のあったと思われる場所。
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今は矢のいく途中に家が建ってる!

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祈り岩。
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橋を渡って川を越える。
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たくさん歩く。地方になればなるほど車への依存度が高い。
歩く想定では町が作られていない。ひたすら歩く。

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菊王丸の墓。
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そして坂道のぼってやっとのことで「安徳社」に辿りついた。
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特にプッシュされているわけでもない感じ。
一画は消防団の集会所になってた。
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前年訪れた下関の赤間神社と比べると力が入ってないな。
まあ、それでもようやく目標地点に辿りつけた。

だが!!遠い道のりを歩いて来たということは、
帰途も同じ距離だけ歩かねばならないということだ。
ようやく琴電八栗駅に辿り着く。

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なぜかイルカが那須与一をやってる…。

こういうノリはご当地ならでは。
旅先でこそ発見できる面白いものだ。

琴電高松築港駅に到着。

JR高松駅にも歩いてすぐなのだが、
「高松城」と隣接している。
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石垣とホームがすぐ近く!!
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posted by manabiyah at 13:08| 平家物語を巡る旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年・平家物語を巡る旅4〜完(骨付鳥・寝台特急サンライズ瀬戸)

21時26分の寝台特急サンライズ瀬戸に乗って帰る予定だが、
それまでにまだ時間があるので、高松駅付近で夕食をとることにした。

iPadを使ってあれこれ検索。
ご当地っぽい店が良いなあ、と思っていたら気になる店を発見。

「高松初本格骨付鳥の店 寄鳥味鳥(よりどりみどり)」
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ここで最後の高松の夜を楽しむことにした。

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たにし!これも高松名物らしい。

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しょうゆ豆。実は今回の旅では、
ほとんどの食事の付け合わせにこれがついていた。

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そしてこれは絶品!骨付鳥(親鳥)!

絶妙の歯ごたえと噛むほどに増す味わい。

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そして、いいだこの煮付け。
これも高松名物。柔らかく味わい深い名品。

人気店のようで、僕らが入った直後から入店待ちの行列になっていた。
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頼んだメニューはどれも美味しく、人気があるのも納得。

そして、徐々に高松を発つ時間が近づいて来た。
寝台特急サンライズ瀬戸に乗るのだ。
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車掌がやって来たので、シャワーカードを買って、
とにかくすぐにシャワーへ。
これは良い判断だった。後からみたら結構並んでた。

朝からずっと動き続けていたので、だんだん眠くなる。
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電車の揺れも眠りをさそう。
考えてみれば「寝台特急」なのだから、寝る以外に無い。
というわけで23時半頃には就寝。

慣れぬ寝台車で寝られるか不安だったけど、
旅の疲れもあってか、よく眠れた。
電車の揺れはあったけど、
電車で眠るのは都会人としてはよくあること。
全く気にならない。

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で、目覚めると、朝!

定刻通りに東京駅に到着。

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お土産の確認。

「讃岐の旅」というと「うどん食べ歩き」みたいになりそうだけど、
うどん以外にも、珍しい食べ物、美味しい食べ物に出会えたし、
THE観光地ではないような場所も訪れることができた。

そもそも「平家物語」を巡る旅というコンセプトが、
ある意味マニアックなのだけど、テーマがあることで、
自分らしい旅もできるのだと思う。

さて、次はどこへ行こうかな?
posted by manabiyah at 13:09| 平家物語を巡る旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月16日

2013京都平家物語を巡る旅

ここ数年、自分がラジオ番組をやっていることもあり、
「平家物語」関係の名所旧跡などを中心に巡る旅をしている。
今年はどうしようかなと思ってたが、
ふと思い立って京都へ行ってきた。


4日朝出発。
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12時過ぎ京都着。
あれこれ電車を乗り継いで、少し歩いて、
辿り着いたのは蓮華王院三十三間堂。
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平清盛が後白河法皇に寄進したことで知られる。
後白河が院政を行った法住寺院庁の跡も同じ敷地内にある。

通し矢で有名な長い廊下。
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自らで体感した。

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三十三間堂から歩いて、六波羅蜜寺を目指す。途中で通る池殿町。
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これは清盛の弟に当たる「平頼盛」の屋敷があったことにちなむ地名。
頼盛は幼い源頼朝の助命を清盛に嘆願した池の禅尼の実子。

六波羅蜜寺に到着。
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この六波羅周辺には、
平家一門一族の邸宅が「三千二百あまり」あったとされる。

六波羅蜜寺で有名なのは口から仏の出てる「空也上人」の像。
さらに「平清盛」坐像。教科書等でも有名なあれだ。
無事に清盛坐像に会うことができた。
写真撮影は不可なので絵はがきを買ってきた。
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この周辺は鳥辺野という火葬場・墓地に近かったため、
この世とあの世の境と考えられたらしい。
六波羅珍皇寺には冥土の交差点「六道の辻」、
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この世とあの世を往復したという伝説のある「小野篁」の碑がある。
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そこから清水寺方面にちょっと歩いてみたが、
「いかにも」な観光地っぽい雰囲気に幻滅した。
清水寺はまたの機会にでも行くことにして、三十三間堂方面に戻る。

途中、新日吉神社なども見る。
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「後白河法皇が法住寺殿を造営し、近江日吉山王の神を勧請したのが始まり」とされる。
後白河法皇の子が高倉天皇。その高倉天皇の中宮が清盛の娘である徳子だ。
そして徳子の産んだ子が幼帝安徳天皇。
安徳天皇の父方の祖父が後白河で、母方の祖父が清盛という関係。

後白河の御所であった「法住寺」を訪れる。
実は、「法住寺」は三十三間堂の道路を挟んで向かい側。
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そして、その「法住寺」の裏に「後白河法皇」の墓もある。
土日は入れないらしいので、平日に来て正解だった。

そこからいったんバスで京都駅に戻り、
さらにバスと徒歩で「梅小路公園」へ。
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実はこの梅小路公園の一部は、
清盛が太政大臣を退いて、福原へと居を移した後の清盛の都での拠点。
「西八条第」の跡地なのだ。
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「鹿ヶ谷事件」の処分が決められた場所であり、
白拍子「祇王」の物語もここを舞台にしている。

梅小路公園にて日暮れ。この辺りで、初日分の探訪は終わり。

京都駅から嵯峨嵐山へと移動。20時頃、駅から少し離れると、嵐山はもう真っ暗。
ちょっと道に迷いながらも、なんとかホテル着。

iPadに青空文庫からダウンロードしておいた高山樗牛「滝口入道」を読む。
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http://www.aozora.gr.jp/cards/000271/files/1556_45797.html

平家物語に描かれた滝口入道と横笛の悲恋の挿話を元ネタとした、明治期の小説。
平家など古典の教養に基づいた、巧みな引用と華麗な文体。
そして熱い浪漫主義的ストーリー。

(読めそうな方は是非、読んでみてください。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000271/card1556.html
文語体で読みづらいかもしれないけど。)

そう、翌日はこの滝口入道の住んだとされる「滝口寺」を訪れる。
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000162

翌朝、嵐電の駅を過ぎて、竹の小径を入っていく。
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様々な和歌の歌碑がいろいろなところにある。
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野宮神社。
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光源氏と六条御息所の別れで有名。

そう、平家のみならず様々な日本の古典文学で、
嵯峨野は舞台となっている。
僕の番組でもかつて取り上げたことがある。

源氏物語「賢木、六条御息所との別れ」
音声ファイル
http://www.voiceblog.jp/manabiyah/1009609.html
テキスト
http://www.voiceblog.jp/manabiyah/1007935.html

竹の小径をさらに行く。落柿舎。
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松尾芭蕉の高弟である向井去来が住んだ場所。
裏に向井去来の墓。さらに西行法師の庵の跡も。

さらに祇王寺や滝口寺を目指して歩く。
坂道も多く、足が疲れる。
心配した雨は結局その後降らなかった。

いよいよ祇王寺へ。
滝口寺と祇王寺は隣接している。
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再興された時にそうなったのだろうが、
平家物語の読者にとっては、
近場にあって一度に二箇所訪れることができるのは便利。

まずは「滝口寺」から。
拝観者は僕一人だけだった。
小さくみすぼらしい民家のようなたたずまいで、
かえってそれっぽくて良かった。
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滝口入道は自らを訪れてきた横笛との対面を拒む。
そういえば、その場面もラジオで扱ったことがあった。
平家物語「滝口入道」
(音声ファイル)
http://www.voiceblog.jp/manabiyah/1068221.html
(テキスト)
http://www.voiceblog.jp/manabiyah/1061317.html

滝口入道と横笛の木像。鎌倉時代の作。
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つづいて祇王寺。
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http://www.giouji.or.jp/

祇王は清盛に愛された白拍子。
だが、ある時清盛の前に現れた別の白拍子である仏御前に、
清盛は心を奪われる。

祇王は妹と母の三人で尼となって山奥の庵でひっそりと暮らす。
ある時、その庵に、あの仏御前が訪れる。
彼女もまた尼姿となっていた。

そんな物語の舞台となった場所。
詳しくはこちらを。仏御前登場の場面。
平家物語「仏御前と祇王」
(音声ファイル)
http://www.voiceblog.jp/manabiyah/1149915.html
(テキスト)
http://www.voiceblog.jp/manabiyah/1147411.html


その後の部分は「平家物語連続講義」で解説した。

「平家物語」巻一「祇王」
http://manabiyah.seesaa.net/article/382120699.html

「平家物語」巻一「祇王その2」
http://manabiyah.seesaa.net/article/382120870.html

緑が美しい。
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もう少ししてから行くと、
紅葉など美しいらしい。四季様々に楽しめる。

ちなみに祇王寺では大覚寺との共通チケットを売っていたので、
ついでに購入。だが、大覚寺まではさらに徒歩20分以上あるらしい。
途中に「清涼寺」があるので、いったんそちらを訪れることにして出発。

「清涼寺」と「平家物語」は直接つながるものではないけど、
鹿ヶ谷事件で鬼界が島に流されたうちの一人である
平康頼は、後に赦されて、都に戻り京都東山に籠居した。

ところが、そんな康頼は、
「清涼寺の釈迦如来像がインドに帰ってしまう」
という噂を耳にする。
当時は末法の世。正法・像法の世を経て、
仏像の姿としても仏に巡り会えないのが「末法」だ。

康頼は「まだこの国には、
あの清涼寺の釈迦如来像があることを、
頼りにしていたのに…」と嘆き、
居ても立ってもいられずに、清涼寺を訪れる。
そこで極楽往生についての話を聞き、それを書き留めて、
説話集「宝物集」を記したのだ。

「清涼寺の釈迦如来像がインドに帰る」という噂を耳にした当時の人々は、
行列をつくって並んで清涼寺に押し掛けたとも述べられているのだ。

そんなすごい釈迦如来像を是非この目で見てみたい!

そんなわけで清涼寺を訪れたのだ。
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実はこの釈迦像は「生き仏」という扱いがされてきたという。
どういうことか。(wikiより。)

>「然(938−1016)という東大寺出身の僧がいた。
>「然は、宋へ渡航中の985年、
>台州の開元寺で現地の仏師に命じて1体の釈迦如来像を謹刻させた。
>その釈迦像は、古代インドの優填王(うてんおう)が
>釈迦の在世中に栴檀の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻したもので、
>「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」と呼ばれている。

実際のおシャカ様の姿のコピーのコピーというわけだ。

さらに、その仏像内部には、
頭に鏡、目に水晶、耳は空洞、喉には鈴、
さらに布でできた五蔵六腑が埋め込まれていたという。
(これは昭和の時代にわかったことらしい。)

で、是非とも近くで見たかったんだけど、
まず最初に寺に入った時には、
帳がかけられていた。

仕方ないので、寺に陳列されている品々など見て、
再び戻ってくると、ご開帳していた。
お坊さんがお経をあげて、
老夫婦がその前に合掌していた。

じゃあ、僕もいっしょにと思って、並んで合掌していたら、
若いお坊さんに、「ただ今礼拝中ですので、ちょっとお待ちください」と言われた。

ああ、すいません、お邪魔したようですね。
というわけで、その若いお坊さんとあれこれ語る。
「末法の世になって天竺に帰ろうとしたという、
噂の仏様を是非見たくて来たんですよ。」
と言うと、その若いお坊さんが、
「ええ!ち、ちょっと待ってください!!」
と急いでメモ用紙を持って来た。
「そのお話、是非詳しく聞かせてください!」
と言われた。

どうやら時々、耳にする話だったらしいのだけど、
出典が解らずに困っていたとのこと。
確かに自分の勤める寺のご本尊のことだから、
しっかりと正確に学んでおきたいのだろう。
熱心なお坊さんだ。

というわけで、上に述べた「宝物集」のことを教えてあげた。
作品名も平康頼という人物名もしっかりと。

で、しばらくたって無事に釈迦如来像に近くで対面できた。
他のベテランっぽいお坊さんが「三国伝来」「生身」の由来をしっかりと語ってくれた。
ちなみにこれまでに応仁の乱とかで寺自体は何度も焼けたんだけど、
この仏像だけはなんとか守り抜いて伝来当時のままの本物らしい。
ちなみに中国にあった元バージョンも義和団の乱で焼けてもう無いとのこと。

ちなみに清涼寺は「光源氏の墓があるところ」としてもアピールしている。
光源氏は架空の人物なので、まさか墓などあるわけがないのだが、
モデルとなった人物の一人とされる「源融(みなもとのとおる)」の墓があるのだ。
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そんな清涼寺を離れて、さらに歩いて大覚寺へ。
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ここは祇王寺との共通チケットがあったから来てみた。
この大覚寺は六代(平維盛の子ども)とその母達が隠れ住んだところ。
この六代が斬られて終わる「断絶平家」というタイプの異本がある。
例えば「それよりしてぞ、平家の子孫は絶えにけり」と「平家物語」百二十句本は終わる。

ちなみに藤原公任の歌で「なこその滝」というのが、有名。
行ってみたけど、涸れてしまっていて、
もう滝って感じではなかったな。
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そもそも当時から絶えて久しくなってた滝だから仕方ないけど。

大覚寺付近から、今度は電車に乗るべく移動。
嵐電「嵯峨嵐山」を出発して、
途中、嵐電北野線に乗り換えて、
「御室仁和寺」で下車。
そう「仁和寺」だよ。
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仁和寺といえば「徒然草」の「仁和寺にある法師〜」で有名だよね。
愛しい稚児を喜ばせようとして、
痛いことになってしまった法師どものお話を、
ラジオで放送したことがある。
徒然草「稚児のため余計な演出」
(音声ファイル) http://www.voiceblog.jp/manabiyah/969395.html
 (テキスト)http://www.voiceblog.jp/manabiyah/967923.html

ところで、「平家物語」で仁和寺と言えば、
琵琶の名手、平経正と守覚法親王との「青山」という琵琶の名器を巡るエピソードや、
大納言法印行慶との切ない別れの場面が有名だ。

「平家物語」巻七「経正都落」
http://manabiyah.seesaa.net/article/382242606.html


しかしながら、「徒然草」愉快なエピソードを感じさせるものなど仁和寺にはない。
「経正」については謡曲化されたものの説明を記した札があったが、
これも片隅で色あせている。
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仁和寺って由緒正しい真言宗御室派の総本山なんだけど、
なぜか古文の世界ではこぼれ話っぽいものばかりが出て来る。

世界遺産「仁和寺」。
外国人の方もたくさん来ていた。
うーん、確かに素晴らしい景色。
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五重塔がなかなか素晴らしい。
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さて、もう15時半過ぎ。
お寺を拝観できる時間は、
16時とか16時半までのところも多い。

電車にのって三駅先の「常磐」という駅へ。

そう「常磐」って源義経の母の名だ。
義経の母である常磐の生誕の地。
そして、この常磐の地に、
後白河法皇や崇徳天皇の母にあたる、
待賢門院璋子が晩年を過ごした「法金剛院」がある。
(大河ドラマでは壇れいが演じていた。)
駅から歩いて15分ほど。なんとか16時ギリギリに駆け込んだ。
拝観者は僕ひとりだけだった。
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待賢門院に仕えた堀河の歌の碑もあった。
(大河ドラマではりょうという人が演じてた。)

極楽をイメージして植えられたたくさんのハスの花。
2013heike-kyoto191.JPG残念ながらもうだいぶ枯れていたが…。
そして見つけた「沙羅双樹」!
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「平家物語」の冒頭でもお馴染みだよね。

「平家物語」巻一「祇園精舎」
http://manabiyah.seesaa.net/article/382119267.html

残念ながら花は咲いていなかった。

その後、再び常磐駅付近へ。
義経の母「常磐」の墓があるという「源光寺」を目指すが…。
うう、もう拝観時間が終わっていた。
そろそろタイムリミットだなあ。

気がつけば二日目は野宮神社、落柿舎、滝口寺、祇王寺、
清涼寺、大覚寺、仁和寺、法金剛院、源光寺と巡ったわけだ。
さすがにこれだけ回れば良しとしよう。
鹿ヶ谷とか八坂神社とか行ってみたかったけど、
またの機会に!


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【アイテム紹介】「平家物語」の舞台となった土地を旅してみるのも、なかなか良いものです。京都はもちろん、厳島神社、屋島、壇の浦等々。物語の登場人物達が生きていたその場所を自分の目で確かめること。これには大きな感動があります。そんな平家物語ゆかりの土地を訪れるガイドとして役立つ本を紹介します。
書名or表紙画像↓をクリックすると詳細が表示されます。
平家物語 (物語の舞台を歩く)



「平家物語」の舞台を歩く―真説・平清盛


ちなみに僕もこんなふうにいろいろな平家物語関連の名所を旅していますが、ホテルの予約などでは「じゃらんnet」を使って検索しています。当日予約や限定プラン、航空券や、新幹線と宿泊のセットのプランなどもあります。リッチな温泉旅館からビジネスホテルまで目的に合わせて検索できて便利です。観光情報や口コミも載っています→「じゃらんnet

posted by manabiyah at 22:34| 平家物語を巡る旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月15日

2014年・平家物語を巡る旅1(奈良の都の盂蘭盆会)

2泊3日で「平家物語を巡る旅2014年」に行って来た!
初日(8月15日)は奈良へ。

8時過ぎには京都着。
まずは宿泊予定の京都駅前の新阪急ホテルに荷物の一部を預けておく。

京都からJRで奈良へ。
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さらに乗り換えて法隆寺駅へ。

法隆寺駅からはバス。
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法隆寺着。天気予報は曇だったけど、見事に晴れた。
言わずと知れた聖徳太子ゆかりの寺。
「平家物語」では巻二「教訓状」で重盛が父清盛を諌める場面で「十七条の憲法」が引用される。
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周囲に他の建物が無いのが良い。時空を越えて、飛鳥時代へ。
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五重塔!!
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正岡子規の「柿食へば〜」の碑があることを、
寺の人に教えてもらった。
(案内図には載っていなかったと思う。)
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夢殿。
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そして12時ジャストの「法隆寺の鐘」を聞く。
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ランチ。デザートに柿ソフトクリーム。
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昼食後はいったんバスで法隆寺駅へ戻ってから奈良駅へ。
さらにバスで法華寺へ。


ここには「平家物語」の「滝口入道と横笛の悲恋のエピソード」で有名な「横笛」が、
尼となって住んでいたことで知られる横笛堂や、横笛の像がある。
(俊寛の娘が尼となった寺でもある。)
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本堂では淡々と解説テープが流れていた。

これが横笛堂なのだが、
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「この建物は当寺の由緒ある文化財建造物です」とか書いてあるだけで、

特に詳しい説明はなし。なんとも素っ気ない。



庭の方には光明皇后が千人の垢を、
自ら流したという伝説で知られる蒸し風呂「から風呂」があった!
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おお、この話は昔学研のマンガで読んだぞ。


歴史的にはそれなりに由緒あるはずの法華寺だが、
拝観者は僕らの他は一人だけ。
お寺の人も二人くらいしかいなくて、静かな雰囲気。


まあ、要するに閑散としたということだが、
普通のありがちな観光ルートを辿る旅ではなく、
こういう所を訪れるのもまた「平家物語を巡る旅」の面白さだ。

帰りはバスの本数が少ない上に、日射しが強くて大変。
バスを待っている間に暑さで倒れそうだった。
今回は夏場の旅行ということもあって、
ペットボトルを何本買っても足りないくらいだった。

ようやくバスに乗り込み、近鉄奈良駅に移動。
ここからはメジャーところの大寺院へ。

やはり平家物語で奈良といえば、真っ先に思いつくのが、
平重衡による「南都焼き討ち」だろう。治承4年(1180年)の大事件。

平家の政権運営を妨げる一大勢力だった奈良の仏教勢力を討伐すべく、
奈良を攻めた平重衡により興福寺や東大寺が焼失した。
(「平家物語」では過失で火が燃え広がったことになっている。)


そんな興福寺と東大寺を訪れた。ともに奈良公園の中にある。

興福寺!!
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国宝館では阿修羅像が有名な乾漆八部衆像や、
金剛力士像、千手観音菩薩像などを観ることができた。

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奈良公園には鹿がたくさん。

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ちなみに興福寺の宝蔵院跡(奈良国立博物館近く)には、
宝蔵院流槍術発祥の地の石碑がある。
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宝蔵院流槍術は宮本武蔵でもお馴染み。
吉川英治の「宮本武蔵」でも、武蔵がこの場所を訪れている。
武蔵ファン、吉川英治ファンには重要な場所だ。

宝蔵院の背中合わせの隣に「奥蔵院」というところがあった。
武蔵は宝蔵院を訪れる過程でその「奥蔵院」に立ち寄る、
実は宝蔵院の隣のその奥蔵院に隠居していた老僧こそが、
宝蔵院の先代の胤栄(いんえい)の友人であり、
宝蔵院二代目である胤舜(いんしゅん)に、
槍術を伝えた日観(にっかん)という者であった。

武蔵は奥蔵院を過ぎて、宝蔵院へと向かう際に、
畑仕事をしている老僧日観を目撃する。
そして、気がつくと武蔵はその老人の視線が、
じっと自分の足下を射ているような感覚を感じて、
思わず九尺も横を飛んで通ってしまう。

そして、その出来事について、その後日観本人から、
こんなことが語られる。

武蔵が既に発していた殺気を、
鍬の先に感じた日観は、
それに対して心に武装をもったに過ぎない。
つまり武蔵が老人に感じた殺気はむしろ、
武蔵自身の影法師であった、と。
武蔵は「自分の影法師に自分で飛び退いただけ」だと。

「おん身は強過ぎる、もっと弱くならなにゃいかん」と言われた武蔵は、
未熟な自分を思い知らされて、すさまじい敗北感にさいなまれる。

この宝蔵院流槍術発祥の地の石碑を過ぎて、東大寺に辿り着く。
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言わずと知れた奈良の大仏のあのお寺。
この寺も大仏も、興福寺と同じく、
治承4年(1181年)の平家による南都焼き討ちで焼失し、
後に復興されたという経緯を辿っている。


金剛力士像がお出迎え。
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鹿も。
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大仏殿。
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中には大仏!
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焼き討ち後の、大仏殿再建時の模型もあった。
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上にのびている急な階段のようなものがある。
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「平家物語」によると。

焼き討ちの当時、平家勢の来襲を恐れて、
大仏殿の二階に千人余りの人がのぼった後に、
敵が来ないようにと階段を外してしまった。
そこへ炎が襲って来る。人々は逃げるに逃げられず、
焼け死んでしまったという。


そんなことを思い出す。

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文化財を火災から守ろう!…そうだよね。


さて、東大寺を拝観し終わってから、
吉野本葛の天極堂にて夕食。
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この後、再び東大寺へ。
実は8月15日は、19時から22時まで、
大仏殿にたくさんの灯籠がお供えされ、
「万灯供養会」が行われるのだ。


「大仏殿正面の観相窓が開いて、
大仏の顔が灯火に浮かび上がる様子を
参道から観ることができる」


というスペシャルイベントだ!


そんなわけで19時めがけて再び東大寺へ。
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夜の東大寺の様子。これは荘厳で神秘的。
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大仏殿の外から大仏の顔が見える!!
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大仏殿を飾る灯籠。

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中では読経が行われている。
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夜の東大寺は実に美しかった。


そこから春日大社へ移動。

春日大社では「中元万灯籠」が催されている。
これも期間限定もの。(2月の節分と8月のお盆の時だけ。)
お盆の時期に奈良を訪れるからこそ体験できる空間だ。
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近鉄奈良から電車に乗って京都へ。
京都駅前の新阪急ホテルにチェックインする頃には、
もう22時を過ぎていた。

翌16日は鞍馬へ。(続く。)

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2014年08月16日

2014年・平家物語を巡る旅2(鞍馬で危うく遭難?)

2日目(16日)は、義経ゆかりの鞍馬寺へ。
まずは京都新阪急ホテルで朝食。
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京都駅前からバスで出町柳へ、
そこから叡山電鉄で鞍馬駅へ。
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実は、この日は、鞍馬寺から貴船神社まで赴いて、
川床料理を食べる予定で、
お店に予約をしていたのだが、
お店の方から「雨で川が増水して川床が使えない」
という連絡をもらった。
その時点では、まあ他の店を探すのも面倒だから、
屋内で食事でいいやと思っていたのだが…。

とりあえず鞍馬駅に到着。
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平治の乱で父源義朝が敗れて、
義朝の子、牛若丸(義経)は、
この鞍馬に預けられることとなる。
そんな鞍馬寺に到着。
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歩き出すも、結構傾斜がキツイ。
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さらに降り出す激しい雨。そして雷。

かなり激しい。
なかなかハードな感じになって来た。

義経の供養塔。
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つづら折りの坂道をのぼっていくのだが、
とにかく雨が尋常でない。雷も。

かろうじて鞍馬寺本殿金堂に着く。
たくさんの人が雨宿り中。
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雨が降り続く。
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短時間だけ弱まったり、
休止することはあっても、
またすぐに豪雨になる。

本当はこの先の木の根道とか奥の院を過ぎて、
貴船神社まで歩いていく予定だったが、
天候が実にヤバい雰囲気だったので、
ここで断念。
(今になって思うと、
かなり賢明な判断だった。)

いったん鞍馬駅にもどって、電車で貴船に行くことにした。

で、帰路は鞍馬駅までケーブルカーに乗ろうと思い乗り場へ。
だが、乗り場に行くと乗車待ちの人の列がすごい。
しばらく待っても列が延びるばかりで、
ケーブルカーが来ない。

なんと落雷を避けるために、電源を切っているとのこと。

状況的に運転再開の見込みは不明。
もう、待っているのも面倒なので、
徒歩で豪雨の中を駅まで歩く。

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やっとのことで、鞍馬駅に着くと、
鞍馬駅も長蛇の人の列。
なんと叡山電車も雨で線路が冠水して運転中止。
もう、貴船に行くのは断念。
お店にはキャンセルの電話を入れる。

とりあえず栄養補給。
豪雨の中で山道を歩いて、
身体も弱っているので、
何はさておき昼食。

食べないと死ぬぞ!
バス停近くの店で「うなとろ丼」。
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食事を終えて、唯一動いていたバスに乗る。
バスも超満員。乗り切れない人もいるくらいの長蛇の列&すし詰め。
でも何とかやっと山から脱出。地下鉄烏丸線国際会館前駅に到着。
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そこから地下鉄で宿泊予定のホテルへ。
ようやく雨で濡れた服を着替えることができた。

ニュースによると、
16日の京都は災害レベルのものすごい雨だったようだ。
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どこかで判断間違えていたら、山の中で遭難したかも。
途中で帰ってきて良かった!

とりあえずホテルに辿り着けて一安心。(続く)

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2014年・平家物語を巡る旅3(五山の送り火)

ホテルは御所近く、

そして菅原道真公生誕の地の近くの、
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「パレスサイドホテル」。
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ホテルから近くのスーパーに、改めて買い出しへ出かける。
食料品や飲料、そして雨で靴が濡れてしまったので、
代用の履物を調達。
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(山用の靴と違って履きやすく、これはこれで便利。)

濡れた靴はホテルのフロントで新聞紙をもらって吸水し、
濡れた服は備え付けの洗濯機&乾燥機で洗って乾かす。
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夜はこの旅のメインイベントとも言うべき「五山送り火」。
これは基本的には雨天中止はないとのこと。
ニュースでも準備が進行している旨が伝えられる。
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部屋で、風呂に入って、落ち着いて夜に備える。

このパレスサイドホテルは、
「五山送り火」鑑賞のベストスポットのひとつとして知られるホテル。

テレビの取材にもよく使われる。
この日の宿泊者は、屋上での鑑賞券がもらえる!
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19時半くらいに屋上へ。
たくさんの人が20時の点火の時を待つ。
心配された天候は奇跡的に好転。
20時少し前に、一瞬パラッと来たが、
点火中はもう降らなかった。

20時。
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徐々に浮かび上がる。
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大文字がはっきりと見えてくる。

続いて「妙法」という文字。
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(パレスサイドホテルからは「妙」が欠けて、
「法」だけはしっかり見える。)

そして舟型。
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さらに左大文字。
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もうひとつの鳥居は山が低いために見えないが、
ひとつの場所から五つのうち四つを見ることができた!

点火の瞬間もエキサイティングだけど、
じわーと、消えていく大文字を眺めているのも、
なんとも風情があった。
送り火。そして過ぎ行く2014年の夏。

日本人として生まれたからには、
一生に一度は見たかった五山の送り火。
感慨無量だ。

念願の五山の送り火を見ることができたが、
実はまだこれには続きが。
そう翌日は大文字山へ登る予定なのだ。

再び登山!(続く)

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2014年08月17日

2014年・平家物語を巡る旅4(大文字の山に登った!)

3日目(17日)は昨夜の大文字焼きの山(如意ヶ嶽)に登る。
まずはパレスサイドホテルで朝食(バイキング)。
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着替え等の不要な荷物をフロントに預けて出発。

天気予報は曇り時々雨だったので、
「空模様を見ながら慎重に」と思っていたが、
実際は「曇り後晴れ」という天気で、
結局この日は雨には全く降られなかった。

烏丸今出川からバスで銀閣寺道で下車。
そこから「哲学の道」を歩いて、
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大文字山の登山口へ。
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ここから前夜の大文字を目指す。

ちなみにこの大文字の山の中腹に、
「平家物語〜鹿谷」で知られる、
俊寛僧都の山荘があったとされる。
この山荘に反平家勢力が集まって、
平家打倒の謀議がされたと言われる。

大文字の消し炭をゲットするとともに、
俊寛の山荘の跡地を想像する。
そんな目的の登山だ。

というわけで入山。
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消し炭を求めてたくさんの人達が登っている。
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子供やお年寄りを伴った家族連れも多い。

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この階段を越えるとあと少し!

素晴らしい眺め。
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これが昨夜の大文字のパーツのひとつひとつ。
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ここで間食。
昨日スーパーで買っておいた
チーズ・プチトマト・パイナップル。
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保冷剤で品質維持。

空いた容器に消し炭を入れる。
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良い景色。
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文字の場所によって微妙に形が違う。
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これはちょうど中心部のクロスするところ。
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こんなふうに連なって文字ができる。
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下山。
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そして昼食。僕はカレーライスを食べた。
大文字山の下、銀閣寺の前の店。
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ここまで来たので銀閣寺にも寄ってみる。
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その後、哲学の道を歩いて霊鑑寺の方へ。
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実はこの先に「俊寛僧都の山荘跡地」とされる場所があり、
そこに石碑が建っている。
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だが!!
これが実に怪しい。

昭和十年(1935)に西垣精之助とかいう人物によって、
建てられたものらしいが、
この人がなんと「夢の中で見た場所」という、
極めていい加減な根拠に基づいた石碑が建てられている。
(ちなみに、この山荘自体の存在を疑問視する学説もある。)

まあでも、それはそれで面白いので、
訪れてみようと思ったのだが…。

何とも急な坂道。
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かなり激しい山道を進むと、
石碑のありそうな雰囲気のところまでようやく来たが…。
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どうも道が崩れてしまっているようで、
どうにも先に進めない。
前夜の大雨の影響も恐いので、ここで撤退。
まあ、大体の場所はわかった。これでいいや。

で、坂を下る。既に大文字に行くまでに登山でハードだった上に、
この石碑の位置も結構山の上で、かなーり疲れた。
汗もかいてTシャツがぐっしょり。

当初の予定では東山界隈の、
いろいろな寺など巡ろうかと思っていたけど中止。

とりあえずホテルに帰って荷物を受け取って、
銭湯に行って汗を流すということにした。

バスタオル用に土産物屋で、
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新撰組タオルを買ってタクシーに乗った。(続く)

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2014年・平家物語を巡る旅5〜完(五条の橋から夕顔の墓へ)

タクシーでパレスサイドホテルに戻り、
預けていた荷物を持って、銭湯へ。

15時台ということで、
地元の爺さん達が数名いた。

僕はとりあえず体だけ流せば良いかとも思っていたので、
番台で石けんだけ買って入ったんだけど、
中で、お客のひとりの爺さんがシャンプー貸してくれた。
ありがとうございます!

その後はガストに行って、
かき氷食べつつ、次の計画を練る。
もう神社仏閣関係は、
拝観時間終わっているし、どうしよう。

というわけで、あれこれ思案した結果。
義経と弁慶が出会ったというあの五条大橋へ。
実際は当時の橋と、今の五条大橋の位置は違うらしいが、まあ良い。
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「修練・奉仕・友情」とか文字の刻まれた台に、
なんだか微妙に変な感じの弁慶&義経像があった。

橋の近くには「牛若ひろば」とかいうこれまた怪しい広場が。
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だが、ここで思わぬ発見。

歌人大田垣蓮月の石碑が!
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この人はなかなか面白い。
今でいうブランド商法みたいなことを明治時代にやっていた陶芸家&俳人。
下記の青空文庫の服部之総による文章が詳しい。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001263/files/50372_39818.html

そして「平家物語を巡る旅」に相応しいもう一つの発見。
一の谷で熊谷直実に斬られた、
若き平家の公達「平敦盛」、
その妻にまつわる碑があった。
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敦盛死後、この地で敦盛の妻であった女性が、
ここにあった寺の僧とともに扇を作ったとのこと。

五条大橋からの眺め。
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もう辺りも夕闇な感じになってきた。

この周辺は京都の中心。
この場所は成り上がり者の平家関係よりも、
純粋な貴族文化な「源氏物語」の方が縁の深い所かもしれない。

実はこの五条は、光源氏が夕顔という女性と交際した地でもある。
そして聞くところによるとその「夕顔の墓」がこの近くにあるとか。

実在の人物や歴史的事件が元となっている「平家物語」と違って、
「源氏物語」はフィクション。夕顔も実在しない。
それなのに、墓があるとは…なんとも無理矢理な。

ちなみに五条は夕顔の家があったところではあるが、
夕顔は源氏とデート中に物の怪に取り憑かれて亡くなり、
東山の鳥辺野あたりで火葬されてしまう。

五条に墓があるというのも、
やや強引な設定だが、まあ良い。

民家に紛れて、かなりわかりづらい所にあるらしいので、
iPhoneのマップ機能のお世話になりながら、何とか探索。
散々さまよってようやく見つけた。
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暗闇で撮影したものを加工したら、
何だか恐い写真になってしまった…。

さて、そろそろ旅も終わりに近い。
五条から京都駅は電車でひと駅。

21時34分の最終の新幹線で東京へ。
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今回は山歩きも多かったし、
天候も暑かったり、
豪雨に見舞われたりもした。

ある意味非常にハードな旅行だったけれど、
満足度は高い。

というわけでこの旅シリーズの続編が、
またいつかここで書かれることになると思う。
お楽しみに!(今回分はこれにて完結。)

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【アイテム紹介】「平家物語」の舞台となった土地を旅してみるのも、なかなか良いものです。京都はもちろん、厳島神社、屋島、壇の浦等々。物語の登場人物達が生きていたその場所を自分の目で確かめること。これには大きな感動があります。そんな平家物語ゆかりの土地を訪れるガイドとして役立つ本を紹介します。
書名or表紙画像↓をクリックすると詳細が表示されます。
平家物語 (物語の舞台を歩く)



「平家物語」の舞台を歩く―真説・平清盛




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