「平家物語」各場面の原文朗読・現代語訳・解説の音声ファイルを公開しています。
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2009年08月20日

どろんこ保育園について(2009年8月13日・8月20日放送分の音声ファイルです。)

2009年8月13日・8月20日放送分の音声ファイルです。

僕は時々プールにいって泳いでいるんですが、先日、この、朝霞周辺では有名な、あのわくわくドームに泳ぎにいったんです。その時、どこからともなくヤギの声が聞こえました。こんなところで、なぜヤギの声? 実は調べてみるとそのヤギの声には深い背景があったんです。今回は朝霞のわくわくドーム付近で聞こえたヤギの声の謎を通じていろいろなことを学んでいきます。




朝霞わくわくドーム付近で聞こえたヤギの声には深い教育理念が背景としてあったことを先週の放送で学びました。今週も朝霞どろんこ保育園が目指すところについて詳しくお話を聞いてみようと思います。それでは今日もいろいろなことを学んで行きます。

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2011年01月29日

SNSが無くてもつながれますよね?(「卒都婆流」に見る平判官康頼の一念)

「平家物語」に「卒都婆流」というエピソードがある。

平家打倒を企てた鹿ヶ谷の陰謀が発覚しとらえられ、
現在の硫黄島とされる「鬼界ヶ島」に流罪となった、
平判官康頼という人にまつわる逸話だ。

この「鹿ヶ谷の陰謀」に関与したせいで、
都から遠く離れた鬼界ヶ島へ流罪となったのは、
俊寛、藤原成経、平康頼の3人。

このうち藤原成経、平判官康頼の二人は、
なんとか都に戻れるように、信仰の日々を送る。
島の一部を熊野に見立てて祈りを捧げ、
一晩中念仏をすることもあった。

ある時そんな康頼は、都を恋しく思うままに、
千本の卒都婆を作って、歌を書き、
熊野権現、さらには厳島神社にむかって、

「せめてこの卒都婆の一本だけでも
都に伝えてください」と、


祈りをこめつつ海へと流す。

果たしてその結果。なんとその内の一本が厳島神社に流れ着き、
康頼にゆかりのあった僧がそれを発見し、都へと持っていき、
康頼の母や妻子のもとへと届けられたのだった。

その奇跡的な出来事は、後白河法皇さらには、
平重盛、平清盛の知るところとなる。
清盛はその届けられた卒都婆に書かれた歌をみて、
大変に憐れみを覚えたということだ。

ちなみにその康頼が卒都婆に書いた歌はこんな歌だ。

「さつまがた 沖の小島に 我ありと 親には告げよ八重の潮風」
(薩摩潟の 沖の小島に 自分は生きていると
 親に告げてくれ はるか遠くを渡る潮風よ)
「思ひやれ しばしと思ふ 旅だにも なほふるさとは 恋しきものを」
(思いを察してくれ ほんのしばらくと思う
 旅でさえ やはり故郷は 恋しいのに)

親への思い、故郷への思いを痛切に訴える内容だった。
そして、この後、様々な経緯を経て、
最終的に康頼は許されて都に帰ってくることとなる。

さすがにこの「厳島神社に卒都婆が流れついた」というエピソードは、
作り話ではないかという気もするが、

「真剣に願えば、その思いは届く」

という、この物語が伝えようとしているところは、
現代に生きる我々も真摯に受け止めるべきことだろう。

インターネットや電子メール等、我々は、
「平家物語」の時代に生きた人々に比べて、
あまりに便利な伝達の手段(メディア)を手に入れている。

だが、それがゆえに、ちょっとおかしなことになっていないだろうか。
特に10代20代の若い子たちは、LINEやtwitterなどのSNSに依存することが多い。
それらを使って互いにメッセージをやりとりすることに慣れ過ぎていはしないか?
逆を言えば、

「SNSのアカウントを知らないとやりとりができない」

などという状態になっていたりはしないか?

例えば、もしあなたが、あるビッグな有名な人を、
自分の主催するイベントか何かに呼びたいと思って、
その人に、SNSでメッセージ等を送ったとする。
だけど、何らの返事ももらえなかったとしよう。

さあ、どうする?

もしかして、多くの人がここで諦めてしまったりしてはいないか、と思う。

本当にその人を呼びたいとか、いっしょに何かやりたいと思ったら、
その人とつながる手段は、まだまだ他にいくらでもある。

その人の事務所を調べて、手紙を書いて送ったり、電話をかけても良い。
その人の出演する他のイベントの会場に赴いて、挨拶しても良い。
その人とのコネクションをもっていそうな人を探して紹介してもらっても良い。
SNSだけがつながる手段ではないのだ。

実は、有名な方などは、日々もらうメッセージやレスの量が多すぎて、
処理しきれていないという場合もある。
そんな場合は、案外、ネットを介さないつながりの方が、
相手の印象に残って次の展開がスムーズだったりすることもあるのだ。

そう。なにも、

卒都婆を流せ!

というわけではないが、

いかにして相手にアプローチするか、
どのような手段でメッセージを伝えるか、
ということの答えは一つではないのだ。

ちなみにこの話は、イベントに有名人を呼ぶというようなケースでなくても同じ。
ある業界に入り込む、とか、あのプロジェクトに参加するとか、に応用しても良い。
お世話になったあの人にお礼を言いたいとか、
どうしても欲しいあのアイテムを手に入れるとか、でも同じことなのだ。

目標につながる道はネット上だけにあるとは限らない。
デジタルネットワーク社会に生きる我々は、
しばしばそのことを忘れがちだ。

パソコンやインターネットなどの情報技術(IT)を、
使いこなせる者と使いこなせない者の間に生じる、
待遇や貧富、機会の格差のことを、デジタルデバイドといって、
これはこれで、一つの社会問題となっている。

だけど、ネットばかり使っていることで、機会を逃すケース
ネットを超えられるか、超えられないかの差異

いわゆる「逆デジタルデバイド」現象に陥っていないか?

そんなことを僕はしばしば考えることがある。

皆さんも、自分に照らし合わせて検証してみてください。


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2012年09月20日

下らない噂を立てる奴ら(『猫間』に見る木曾義仲の魅力)

平家物語の巻八に「猫間」という章段がある。
木曾の田舎から都に上洛した木曾義仲が、
田舎者ぶりを笑い者にされるエピソードだ。

食事の場面で義仲が
客人をもてなすセリフで、

「無塩の平茸あり」

というようなフレーズを使う。

「無塩」というのは本来は
「塩漬けでない新鮮な魚」という意味。

平茸はキノコなので、
「無塩の平茸」などという言葉はおかしい。

義仲は田舎者で言葉の意味をわからず、
「新しいもの=無塩」というのだと勘違いしているのだ、
と物語の語り手によって指摘される。

平家物語の最も標準的テキスト「覚一本」は、
こんなふうに義仲の田舎者ぶりを語る。

ところが!

平家物語には多くの異本(バージョン違い)がある。
その中でも時代が古いと思われる本では実は、

「無塩の平茸あり」
となっておらず、
「無塩あり、平茸あり」
となっている。



訳すと「新鮮な魚がある。それ以外に平茸もある。」という意味なのだ。
それがいつしか「無塩の平茸あり」などという形となり、
さらに、

「義仲は『新しいもの=無塩』
というのだと勘違いしている」


などという解説まで付け加わっていく。


「無塩あり、平茸あり」が
「無塩の平茸あり」となる過程には、
書き損じや、聴き間違いなど、
偶然が作用したのだろうけど、
それが訂正されないまま、

「義仲は田舎者で言葉の意味をわからず、
『新しいもの=無塩』というのだと勘違いしている」などと、

解説まで加わって行く過程には、
成り上がり者である田舎者義仲を
笑い者にしたい人々の意識の作用
が感じられる。


人は自分がこうあったらいいという
潜在意識を作用させながら、
情報を受け取る面がある。



この義仲のくだり以外でも「平家物語」の諸本での記述の異同を検証していくと、
人々がいかに勝手に物語を改変して伝えて来たかがよくわかって面白い。


だが我々現代人も、
古典文学を享受した人々を笑えない!


例えば、こんなケースがあり得るかもしれない。


あるXというプロ野球の球団の選手であるA選手は、
次年度の年俸提示を不服としてサインしなかった。
ちなみにそのXという球団では、多くの選手に対して、
次年度の年俸の、大幅ダウンが提示されたが、
A選手以外の他の選手はそれでも渋々サインとしている。



そして、次の日のスポーツ新聞に大きな見出しでこういうふうに出るとする

「X球団のA選手、
年俸の大幅ダウン提示を
不服としてサインせず!」


さて、これは正しい情報なのか?


論理的に言うと、一次情報に
「A選手は、次年度の年俸提示を不服としてサインしなかった
という記述はあるけれど、
「A選手が年俸の大幅ダウン提示を不服とした」とは書いていない。


ただ「年俸提示を不服」とあるだけなので、
「現状維持」で不満だったかもしれないし、
「アップ金額が期待より少なかった」のかもしれない。


だけど、こんなふうにスポーツ新聞の見出しに出てしまうと

「年俸ダウンを提示されたA選手」

というイメージが世間に出てしまう。
もしA選手が「現状維持」で不満とか、
「アップ金額が期待より少なかった」という理由で、
サインしなかったのなら、ちょっと気の毒なケースだ。

そして、不幸なことに、
いったんスポーツ新聞に出てしまうと、
その見出しに勝手な尾ひれをつけて、
世間は「A選手の時代は終わった」とか、
「引退するらしいぜ」とかネタにする。

さらに「だいたいA選手は、
プライド高そうでオレは昔から好きじゃなかった」
とか言い出すオッサンとか出て来る。


幸いにして、今の時代の人達は情報の消費スピードも早いから、
七十五日も経たないうちに、
次の別のニュースが話題にA選手のネタは忘れられるんだろうけど、

本質的には木曾義仲の
「無塩の平茸あり」と同じ現象。
昔の人も今の人もやっていることは同じだ。



だけど! 皮肉なことに、
意外と面白い現実がある。

平家物語の登場人物の中で、
「木曾義仲」のファンは意外と多い。
(松尾芭蕉や芥川龍之介も義仲ファンなのだ。)


そして、その魅力としてあげられるところは
「ちょっと間抜けなところ」とか
「都会のやり方にそまらない自由さ」だったりもする。


つまり「無塩の平茸あり」という記述への変遷は、
義仲を笑い者にしようという人々の
「良からぬ潜在意識」によるもの
だったのかもしれないが、

結果的には後世に
「義仲の魅力を誇張して伝える」
ことになったのかもしれない!



そして、何より!


義仲は時代に名を残したが、
笑い者にしようとした人々の名は
歴史に残ることは無かった。


そんなわけで、少なくとも僕自身は、
「ごちゃごちゃ下らない噂を立てる側」の人間ではなく、
「うわさのネタにされる側」の人間でありたいと思っているし、
むしろ、そういう立場を運命づけられているんだなと、
しばしば感じさせられる。


そんなことを思ってみると、
木曾義仲という人物の魅力を改めて再認識させられる。


もし何かの機会に
「平家物語中で最も好きな登場人物は誰ですか?」
という質問をされた時には

僕も

「木曾義仲!」

と答えることにしよう。
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2015年06月28日

吉川英治記念館のイベント「旧吉川邸を隅から隅まで見てみよう」に参加してきた。

「学びYah!」では2014年夏から、「新・平家物語」の朗読や解説をお送りする「新・平家物語連続講義」を放送している。

これまでの放送分はこちらにある。→「新・平家物語連続講義放送リスト」

「新・平家物語」の作者は吉川英治。
実は僕は、6月28日に、青梅にある「吉川英治記念館」で催されたイベント、
「旧吉川邸を隅から隅まで見てみよう」に参加してきた。

吉川英治記念館は、吉川英治が昭和19年3月、
家族と共に東京赤坂から疎開し、昭和28年8月まで生活していたところだ。
戦中から戦後の時期。「新・平家物語」の書かれた時代とも重なる。
(「新・平家物語」は、昭和25年4月から昭和32年3月までの7年間に渡って、週刊朝日に連載された。)

現在、その家が記念館となっていて、吉川英治にまつわる様々な展示を見ることができる。(年間の開館日は3、4、5、9、10、11の6ヶ月間)
http://corp.kodansha.co.jp/yoshikawa/

そんな吉川英治記念館の特別企画「旧吉川邸を隅から隅まで見てみよう」は、旧吉川英治邸の中を普段は公開していない場所も含めて公開し、学芸員さんと、吉川英治ご長男の吉川英明さん(館長)の、解説付きで見ることのできるプレミアムな企画(要申し込み&抽選)。

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僕は今回初めて、この企画に参加してきた!

吉川英治記念館はJR青梅線・二俣尾駅から徒歩15分。

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青梅駅からバスでも行けるけど、

途中の奥多摩橋からの眺めが素晴らしいので、
二俣尾駅からルートがおススメ。


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この旧吉川邸は、養蚕農家の屋敷を買い取ったもの。

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それらしい作りを感じさせるところも残されている。

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こちらは原稿を取りに来る出版社の方などが待つ場所として使われたところ。
和室と洋室が合体したような作りになっている。

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1階の和室。ここを執筆の場所として使っていた時代もあったという。

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実はここまでは、昨年度の「英治忌」の際に僕も入ったことがあった。

だが、今回のイベントのすごいところは、やはり!
通常の公開では「立ち入り禁止」になっている、

「書斎」にまで入ることができるという点。

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あの吉川英治の使った原稿用紙や、万年筆!

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そして資料として使ったと思われる蔵書などを、

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目の前で見ることができる!

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そして有名な言葉、「吾以外皆吾師」の掛け軸。

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この言葉については、こちらに説明がある。
http://corp.kodansha.co.jp/yoshikawa/faq/
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>吉川英治「新書太閤記」の『大坂築城』という章に、このように書かれています。

秀吉は、卑賤に生れ、逆境に育ち、特に学問する時とか教養に暮らす年時などは持たなかったために、常に、接する者から必ず何か一事を学び取るということを忘れない習性を備えていた。
だから、彼が学んだ人は、ひとり信長ばかりでない。どんな凡下な者でも、つまらなそうな人間からでも、彼は、その者から、自分より勝る何事かを見出して、そしてそれをわがものとして来た。
――我れ以外みな我が師也。
と、しているのだった。

>これこそが、吉川英治の人生に対する処し方でした。

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この掛け軸も通常の公開では建物の外からしか見る事はできない。

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でもこの特別企画では…!

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おお!!すごい。こんな近くで。

そしてこの箱は、
「地図」を収納するためのもの。

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吉川英治の小説は、伝奇小説にせよ、歴史小説にせよ、
日本全国いろいろなところがその舞台となるわけだが、
吉川英治氏自身がその地に実際に赴いて取材するということは、
極めて少なかったらしい。

あの「宮本武蔵」ですら書き始められた時点では、
ご自身は、まだ武蔵生誕の地の宮本村に行ったことは無かったとか。

そう。吉川英治はこんなふうに「地図」を見て、
各地の地形や地名を探り、後は作家としてのイマジネーションを駆使して、
あれだけ多くの作品を書いたということなのだ!

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おお!そうなんだ!!
創作の秘密を知った!!

こちらは3階(屋根裏)部分。
ここもなかなか入れる場所ではない。
作りが養蚕農家だった時の名残を感じさせる。

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左下にある機械は当時珍しい低周波治療器。
胃腸が弱かったためか、逆に健康オタクっぽい面もお持ちだったとか。
右端はゴルフバッグ。ゴルフも健康維持のために医師に勧められて始めたとか。

こちらが3階から見た、外の眺め。

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戦争の頃、ご長男の吉川英明さん(館長)は、
午前3時ころ、急にお父上に起こされて、
ここに写っている椎の木の根元の当たりで、
東京が空襲で焼ける様子を見せられたという。

そして、その際、B29が、この地からほんの1キロ半ほどの山中に、
墜落する瞬間を目撃したという。

再び1階。

昭和20年8月15日。

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この場所にあったラジオで、玉音放送を聴いた吉川英治は、
突っ伏して声をあげて泣いたということだ。

終戦後は様々な人がこの場所を訪れてきたとのこと。
戦地から引き揚げて来た方や、作家志望の方、ヤクザもののような人、
一説によれば、空手家の大山倍達も来たとか。(目撃者がいないらしいが。)

一方で、無条件降伏に納得せずに不穏な動きをしていた海軍航空隊を、
説得するよう依頼されて「今日は帰れないかもしれない」と言いながら、
ゲートルを巻いて出ていったということもあった。

ちなみにその際、吉川英治は隊員たちを、

「銃を持たずに鍬を持て!」

と言う言葉で説得したとか。

この言葉は、英明さんが吉川英治夫人文子さんから、
「又聞きした」とのことで、真実かどうかは不明らしいが、
本当ならば「まだ世に知られていない吉川英治の名言」かも!
そんな「本では読めない」貴重なお話なども、たくさん聞かせてもらった。

ちなみにこれは、少年の頃のご長男の英明さんが、
父・吉川英治を怒らせて縛り付けられた「柱」!

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英明さんは、何度も「恐い父だった」と繰り返していた。
こういう写真を見ると、とても優しそうに見えるけど。

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昔の「日本の父」というものは恐いものだったんだよなあ、と思った。

とにかく充実のイベントだった。
でも、ここに書いたのは、ほんのその一部。

是非、このサイトに辿り着いた皆様は、
青梅の「吉川英治記念館」を訪れてみて欲しい。
(*年間の開館日は3、4、5、9、10、11の6ヶ月間なのでご注意ください。)
http://corp.kodansha.co.jp/yoshikawa/

もちろん僕もまた行ってみようと思っている!

posted by manabiyah at 22:27| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする